12:6 目覚めた果実
「ぐぅぅぅ…!!? あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
Noel Aを投与された途端、漂っていた黒色の霧が消えていき、デュアルはその場に這いつくばりながら悲鳴を上げ始めた。リートは握っていた注射器を投げ捨てて、足元で這いつくばるデュアルを見下ろす。
「おいおい、やるじゃねぇかー」
黒色の霧が消えたことで、身動きが取れるようになったリベロがリートの背中を叩いて、賞賛した。リートの身体に触れられるようになっている状態。それが表すのは、この世界に干渉し、神の立場から人物となってしまったことだ。
「リート、もう戻れないんじゃ…」
「そうだな。私はたった今、神ではなくあの女の弟となった」
狐の面を取って、リートは素顔を見せる。よく見てみれば、瞳の色が金色から黒色へと変わり果てていた。神という権威を失ってしまった影響なのかもしれない。
「話が読めない。そもそも神ってどういう…」
「お前たちの脳内に響いたあの声。あれは私が神として語りかけていたのだ」
彼はリベロとレインが、能力による洗脳を受けていないことに勘付いていた。だからこそ神の特権であるお告げを利用し、二人を妲己が倒れている場所まで向かわせたのだ。ルナに「立ち上がれ」とあれだけしつこく命令していたのも、すべては時間を稼ぐためだった。
「神様ってほんとにいたんだなー。こいつを正気に戻すとき、神頼みしておいて良かったぜー」
「…あれだけは感謝してる」
「おいおいー、それ以外のことは感謝なしかよー?」
あの時のリベロもまた、レインを正気に戻すことに成功している。苦戦は強いられたが、どうにか彼女を気絶させ、無事生存できていた。
「あれ、私たちは一体何をして…」
「何だよこれ…。お前ら、こんなとこで何してんだ?」
今まで能力による洗脳を受けていたブライトやヴィルタスたちも、頭を押さえながらルナたちに声を掛けてくる。仲間が正気に戻った。ルナの緊迫していた表情が、少しだけ綻んだ。
「やっと元に戻ったなー。内心どうなるのかって冷や冷やしてたぜー」
「もしかして私たち、デュアルに操られたの?」
リベロとレインは正気を取り戻した彼女らに、何があったのかを説明する。その間にルナは、呻き声を上げるデュアルに視線を向けていた。
「私たち、ルナに悪いことをしたわね」
「ごめん…ルナちゃん」
アウラとファルサがそんな彼女に頭を下げて謝るが、ルナは大して気にしていなかった。今、最も心配しているのはとある人物の行方。
「ノアは?」
――ノア、彼だけ唯一この場にいなかった。ルナは辺りをキョロキョロと見渡しながらも、ブライトたちにそう尋ねる。
「ノアはかれこれ一ヶ月は目を覚ましてないからなー。まだ自室で眠ってるんじゃないのかー?」
「眠ってるって…。今すぐノアを迎えに行かないと――」
ルナが修復された寮のある方向へと向かおうとすれば、いつからそこに潜んでいたのか、草むらからブラッドが飛び出し、彼女の目の前まで迫りくる。視界に映ったものは、ナイフ。それを避けようとしても、突然のことで身体の反応が追い付かない。
「どいてろ」
その間に割り込むように、一人の青年が飛び出す。ルナの瞳に映り込んだのは、白色のコートに、眼鏡をかけた人物。その姿に見覚えのあるルナは明るい表情を浮かべ、こう叫んだ。
「…ノア!」
彼はナイフがルナの首元へと触れる前に、ブラッドを右足で蹴り上げて吹き飛ばす。受け身を取れていなかったせいか、顔に付けているガスマスクに、一筋のヒビが入る。
「ルナ、お前のおかげで助かったよ」
「…もぉ~! ほんとに大変だったんだからね~?」
ルナは今すぐ抱き着きたいという衝動に駆られていたが、そんな感動的なハグをしている状況ではないと渋々諦め、いつもの口調でノアへとそう返答した。
「おいおいー、どうしてこんなにタイミングよく目を覚ましてんだよー?」
「色々とあったんだが…。とにかく、俺は今まで"ユメ人"として真のユメノ世界にいて、"神様"とやらがこの作戦に関して色々と教えてくれた…とでも言っておく」
「神様って…」
ノアが一瞬だけリートへと視線を移していたため、ルナも釣られて彼の方へと顔を向ける。リートは彼女らに見向きもせず、ただ足元でもがき苦しむデュアルを見下ろしているだけだった。
「わたしが、わたしがこんなやつらに…!」
「よく覚えておけ。これが"力"で他者を制御するお前と、"言葉"で他者を制御する私の差だ」
「うるさいッッ…!!」
デュアルが声を荒げれば、その身体は黒色の霧に包まれ、逃げるようにずるずると森の奥へと入り込んでいく。
「おいおい、あれ追いかけないとヤバいんじゃね?」
「…あの薬の効果が永遠に続くとは限らない。弱まっているうちに、ケリをつけないと」
誰がデュアルを追いかけるのか。そんな不毛な話し合いをしなくとも、全員の視線はほぼノアへと集まった。
「……」
その大きな要因は"ティアの仇"だ。ノアにはそれを取るために、デュアルと対峙する必要がある。誰もがそう考えていた。
「ルナ、デュアルのことはお前に任せる」
「えっ…?」
「だから俺にローザの相手を任せてくれ。仇を取るために戦うのは復讐と同じだろ」
ノアは真剣な眼差しをルナへと送りながら、ティアが付けていたお面を懐から取り出して手渡す。
「分かった。じゃあ、ノアはこれを持っていって」
「あぁ、しっかりと受け取ったよ」
代わりにルナが手渡したのは、"紫色の宝石"。グラヴィスの亡骸の側に落ちていたものだった。ノアはその宝石を見ると何かを悟るようにして、右ポケットへとそれを突っ込んだ。
「あらあらー。あんたたち、こんなところで何してるのよー?」
「おいおい、ウィッチのクローンか」
「先ほど、東の方向にデュアルが逃げていきましたが…」
「…エルピス」
吹き飛ばされたブラッドの後方から、エルピスとウィッチの二人が姿を現す。レインとリベロはそれぞれの創造武器を構え、臨戦態勢に入った。
「あのニセモンのお袋はオレにやらせてくれよー」
「好きにして。私は、アイツとの決着をつけるから」
リベロはウィッチへ、レインはエルピスへと敵意を向ける。その光景を見たブライトは脳裏にウィザードのことが過り、ブラッドへ敵意ではなく"殺意"を向けて、創造武器を構えようとしたのだが、
「待てブライト。あいつの相手だけは俺にさせてくれ」
ヴィルタスがブライトの右肩を掴んでそれを阻止すると、リベロとレインの間に立ち、創造武器の細剣を軽く振った。
「ヴィル。私が、私が戦わないと――」
「ウィザードは、これを望んでいるんだ」
「…!」
「親友として、隣にいたから分かるんだよ。あいつはお前のことを大切にしていた。憎しみや復讐なんかで汚れてほしくないって。ずっとそう言ってたんだ」
親友が、相棒が大切にしていた人を、憎しみなんかで汚したくはない。きっとそれをウィザードも望んでいる。ヴィルタスは、その汚れ役を引き受けることにしたのだ。
「…女、早くデュアルを追いかけるぞ」
「リート、あなたも来るの?」
「役に立てるかどうかは不明だ。けど私にはデュアルの最後を見届ける義務がある」
ルナはリートの言葉に軽く頷くと、その場にいる仲間たちと軽く視線を交わして、デュアルが逃げていった方角へと二人で走っていく。
「レインたちにここは任せて、俺たちはローザの元へ向かうぞ」
「ええ、あなたが死んだら承知しないわよヴィルタス!」
「お前を置いて一人で死なねぇよ…!」
ノアたちはその場をレイン・リベロ・ヴィルタスの三人に任せ、島を左回りに走り、ローザと朧絢が交戦している丘まで向かい始めた。
「ここは通行止めだ」
「…デコードか」
しかしそれを阻むかの如く、道中で四色の蓮のデコードがノアたちの前に立ち塞がる。煙草の吸殻を投げ捨てて、掛けている眼鏡をクイッと中指で上げた。
「そこを通してくれ」
「無理な相談だ。私にも務めというものがある」
辺りに張り巡らされたワイヤートラップ。月の光に照らされ、蜘蛛の巣のような構造が浮かび上がる。
「ノア、ファルサ。ここは私たちに任せて」
「…いいのか?」
「大丈夫よ。私たちを信じなさい」
二人の後ろ姿。ノアとファルサは顔を見合わせると森の中へと駆けこんで、外側ではなく内側から抜けていく。
「ノアたちを追いかけないんだね」
「務めには、人それぞれ違ったものがある」
「いかにも"理系女子"って感じの返答ね?」
「馬鹿丸出しより、はるかにマシだ」
ファルサとノアが森の木々をかき分けて突き進んでいれば、けたたましい音がいくつか二人の耳に入る。ローザと朧絢がどれだけ激しい戦闘を繰り広げているのかが、ノアの脳内で映像として浮かんだ。
「待ちな」
「今度はお前か」
デコードの次に立ち塞がるのは四色の蓮のクラーラ・ヴァジエヴァ。右手の拳を鳴らして余裕綽々な態度を取りつつも、ノアとファルサがいつ動き出してもいいよう"自身の歩幅"と"相手の距離"を調整している。
「アンタと会うのは久しぶりだね。前にボコボコにした記憶があるよ」
「確かその後、アニマに殺されたんだったな」
「小僧。あんまり大人をからかうもんじゃない」
戦うしかないと身構えた瞬間、ファルサがノアに背中を向けて立つと、その先にいるクララと向かい合った。
「嬢ちゃん。打撲したくなかったら、下がってな」
「ファルサ。お前一人であいつの相手は――」
そう言いかけた途端、クララの身体が宙に浮かぶ。その真下には、左拳を突き上げた黒いゴスロリ服を着た少女。
「一人じゃねぇ! ここにワタシもいるんだよ!」
ファルサのもう一つの人格、"アメ"。少女は華麗なアッパーカットをクララに食らわせ、ノアに向かってそう叫んだ。
「ノア君、ここは私たちに任せてほしい」
「…」
「うだうだしてんじゃねぇクソ眼鏡!! アメ様の力が信用ならねぇのか!?」
彼はファルサとアメを交互に見る。多少なりとも不安は残るが、二人を信用したい。ノアはそう考えるとこの場をファルサたちに任せることにし、脇の道へと大きく逸れ、目的地に向かい始めた。
「嬢ちゃん、今のは効いたよ」
「へっ! 雑魚のお前がワタシと殴り合おうとしてんのか?」
「ああそうさ。せっかくイキのいい獲物が見つかったんだ。心行くまで、存分に、アンタたち殴り合いたいね」
ノアの前方に、花畑が広がる丘が見えてくる。潮風に乗って、色とりどりの花びらが視界の外を通り過ぎていた。
「…絢!」
「――!!」
その呼びかけに、朧絢は瞬時に反応する。その表情には、懐かしさと驚きが含まれているようにも見える。
「あなたは…」
銀製の武器を宙に漂わせるローザ、それを刀一本で捌き切る朧絢。実力はほぼ互角なようで、その証拠に両者とも軽傷程度の怪我しか負っていない。
「久しぶり、だな。えーっと、何千年以来だ? 俺が存在を消してる間も、元気にしてたか?」
「あー…。絢、俺もお前に色々と聞きたいことや話したいことは沢山ある。けど、今はそれどころじゃないだろう」
「それもそうか…。悪いな、久しぶりすぎて何を話せばいいのか分からなくてさ」
何千年ぶりかに再会して、会話を交わした二人。どこかギクシャクとしたその言葉のキャッチボールに、ローザは小さな溜息をついていた。
「いいでしょう。二人同時に相手をしてあげます。此方にとって不足はありませんから」
容易いことだと言わんばかりに、銀製の大剣を二本だけ操り、その場で軽く振り回す。恐縮するどころか、むしろ好戦的になっているようだった。
「なぁ、ローザの相手を任せてもいいか?」
「…何かあるのか?」
「"あの子"と約束したんだ。必ず迎えに行くって」
誰を指しているのか。ノアはそれを自然と察し、軽く頷いて了承する。
「ローザ、お前の相手は俺一人だ」
「…初代救世主のクローン。あなた一人で、此方に敵うとでも?」
「大事なのは敵うかどうかじゃない。お前を"負かしてやれるか"だな」
「才能に溺れ、調子に乗ったこと。いずれ後悔しますよ」
ノアは創造武器の二丁拳銃を手元に召喚して、銃口をローザへと向けた。引き金にしっかりと指先を付け、いつでも発砲できる状態で。
「頼んだぞ――"
「ああ、行ってこい――"絢"」
二人はお互いの名前を呼び合い、それぞれ役割を果たすべく、身体をすれ違わせた。
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