12:4 Noel A


「ここが、島の地下にある研究所…」


 あの薄汚い古小屋とは打って変わって、真っ白な壁に真っ白な床。科学の結晶だと言わんばかりの自動ドア。様々なものがわらわたちの視界に入り、その場に立ち尽くしてしまう。


「宿泊施設、遊戯施設等も地下にあります。地上にあるものが丸々地下にも設備されている、と言えば分かりやすいかもしれません」

「おぬしらは地上ではなく、この地下に住んでおるのか?」

「この地下施設で寝泊まりすることが義務付けられていますから。生徒以外の教員などは全員ここに帰ってきます」

 

 下を向けば、真っ白な床は顔が映りそうなほどに磨かれている。わらわとリートはサヨの後に続いて、そんな通路を突き進んでいった。


「サヨさん、お疲れ様です」

「お疲れ様」


 道中に何人かの研究員とすれ違ったりしたが、サヨに挨拶するだけでわらわたちなど眼中にないようだ。敵意も、疑心、意識すらも、何も向けてはこなかった。


「本当に大丈夫なのか…? その辺にわらわたちのことを口外しそうじゃが…」

「大丈夫です。あの研究員たちは、Noel Projectのことしか考えないように創られています」


 サヨの言葉を信用していないわけではないが、どうしても不安で仕方がない。わらわは気を紛らわせるため、隣で聖書を読みながら歩くリートへこんなことを尋ねてみる。


「その聖書はおぬしの私物か?」

「これは私物だ」

「神様が聖書を読むなんて奇々怪々じゃな」


 リートは開いていた聖書を閉じると、大きな溜息をつく。そしてわらわにこんな話をする。


「私がこの聖書を読んでいる。そう見えるのなら、お前の頭はさぞかし悪いのだろう」

「…ならば、どうして聖書なんて持っておるんじゃ?」

「特に理由はない」


 わらわは思わず「ないんかい」とツッコミを入れたくなったが、リートのおかげで少しだけ緊張がほぐれた。


「この先です」


 "Noel V"に対抗するための"Noel A"は、研究所の"薬品保管庫"に置かれているらしい。手に入れるためにはそれなりの苦難が待ち構えているのでは、と常に緊張していたものの、特に何事もなく"薬品保管庫"の前まで到着した。


「…?」

「どうしたんじゃ?」

「ロックのかかった鍵が、開いています…」


 パスコードを入力する必要のある扉が、既に開いている。サヨはそれに違和感を覚えながらも、薬品保管庫へとゆっくりと足を踏み入れた。わらわとリートも、その後姿を眺め、足音を立てないように中へと侵入する。


(これは全部、実験に使われる薬じゃろうか…?)


 十列ほどの棚が、わらわたちから見て横長に並んでいる。その棚に威圧されているような気がして、ごくりと唾を呑み込んだ。


「…誰かいます」


 サヨが手でその場に静止させる。少しずれて奥を覗いてみれば、"Noel A"が置かれているであろう棚を、ごそごそと一人の男性が探っていた。


「何をしているんですか?」

「――!!」


 意を決してサヨがその男性に声を掛ければ、すぐさま振り返ってリボルバー式の拳銃をサヨに向ける。


「おまえらは…」

「ここは出入り禁止のはずだけど」

「…サヨさんと、そこにいる二人は――」


 わらわの存在に気が付けば、銃口を今度はこちらに向けた。サヨも左手にオートマチック式の拳銃を創造して、その場で構える。


「おまえたちが探してんのは、これだろ」


 男性が白衣のポケットから、真っ白な液体が詰め込まれた注射器を取り出す。それはどこからどう見ても"Noel A"。


「どういうつもり? あなたは白金昴の差し金?」

「ちげぇよ。俺にはこの薬が必要なんだ」 

「いいや違う。必要なのは私たちだ。その薬をデュアルに投与して弱体化させる」

 

 リートがその男性に怖気づくことなく、どんどん距離を詰めていく。相手から何も危害を加えられないからか、リートは随分と勇ましい行動を取っておるな。


「デュアルに…。それはほんとか?」

「本当じゃよ。わらわたちはその為にここまで来た」

「よく見てみればお前、七代目教皇か? どうして生きて…」


 死んだはずの七代目教皇。わらわの正体に気が付いたその男は、銃をゆっくりと下ろす。


「そんなことを説明している暇はない。私たちはすぐにでもその薬が必要だ。その女に渡せ」 

「ま、まてっ! サヨさん、あんたは白金昴の手下じゃ――」

「見て分かるでしょ。私はとっくにアイツを裏切ってるの。別にあなたを咎めようなんて思っていないわ。ほら、それを早く渡して」

 

 サヨがその男の前に立つと、手を差し出してNoel Aを要求する。男は意を決したように、下ろしていた銃をわらわに向けた。 


「七代目教皇。お前は神和癒衣を知っているな?」

「神和癒衣? 確かに知ってはおるが…」

「答えろ。どうしてあの子を助けてやらなかった」

 

 "助けてやらなかった"。そんな質問をされ、わらわは神和癒衣について思い出してみる。四色の孔雀として務め、自殺をしてしまった…という情報ぐらいしか知らない。わらわはその男にそう伝える。 


「知らないだって…!? あの子はデュアルにイジメを受けていたんだ…! 毎日毎日、ナイトメア内で奴隷のように扱われていたんだぞ!?」

「まさかそんなはず…。わらわはそのような話、一度たりとも聞いて…」

「それでも教皇なのかよ!! 自分の部下の面倒も見れないのに、あんな威張り散らしてたのか!?」


 サヨも、リートも、わらわもこの男が何に対して怒りを抱いているのか、察していた。その対象は間違いなく、デュアルだ。彼は神和癒衣の真実を知り、Noel Aでデュアルに復讐しようとしていたに違いない。


「待ちなさい。妲己様に怒りを向けるのは間違っているわ。あなたは神和癒衣の敵討ちをしようとしたんでしょ?」

「あぁそうだ。俺はデュアルがどうしても許せない。神和癒衣の代わりに、俺はあいつに復讐してやりたいんだ」

「男、お前がしようとしていることは私たちにとっても好都合だ。ここでいがみ合うより、手を組んだ方がお互いに目的を果たせる」


 リートの言う通りだとわらわとサヨも頷く。男は落ち着きを取り戻したおかげか「それも、そうだな…」とその意見に同意する。


「…あんたたちに協力するよ。俺は名前も無い、ただの研究員だけどな。何かしら力にはなれるはずだ」

「男、賢明な判断だ」

「それで今からどうすんだ? 何か考えがあって、ここまで来たんだろ?」 


 わらわたちは名も無き研究員に、現在進行形で行われている作戦を手短に説明した。外で他の二人が、ローザとデュアルを引き付けていること。耐え凌いでいられる時間もあまり猶予がないこと。名も無き研究員はそれを理解し、急いでジュラルミンケースにNoel Aを入れる。


「デュアルは島の東部にいるわ」

「それならこっちに東側へ出られるエレベーターがある! 俺についてこい!」


 薬品保管庫を四人で飛び出して、名も無き研究員の後に続く。他の研究員たちは急いでいるわらわたちに見向きもしなかった。


「このゲートの先にエレベーターが…!」


 名も無き研究員がゲートを開くと、すぐにエレベーターをパネルで作動させる。


「厄介なヤツらと会わなくて良かったな」

「地上であれだけ騒ぎ回っていれば、私たちがここにいることもバレないわ」

「……」

 

 地上から降りてくるエレベーターを見ながら、何やらリートが考え事をしていた。わらわは「何を考えておる?」と聞いてみる。


「疑問に思っただけだ」

「…何だよその疑問って?」

「大したことはない。だが念のために言っておこう」


 わらわたち三人の前に立ち、リートは地下へと徐々に降りてくるエレベーターのマークを指差す。


「私たちがここへ訪れるとき、エレベーターは下から地上へと上がってきたな」

「…そうじゃったな」

「もし規定の位置が地下だったのなら――何故このエレベーターは地上から地下へと下がってくる?」


 機械音と共にエレベーターの扉が左右に開き、わらわたちの視線が内部へと集まれば、


「――ペルソナ!?」

 

 中には白いローブを纏ったペルソナが立っていた。名も無き研究員とサヨはすぐさま拳銃を取り出して、こやつに向ける。


「…」

「くぅ…っ!?」

「ぐぁあっ…!!?」

 

 しかしそこから二人が発砲をするまでの僅かな隙をついて、ペルソナはサヨと研究員の顔を掴んで、地面に叩きつけた。エレベーターから降りる瞬間など、捉えられるはずもない。 


「おぬしら! 大丈夫か!?」

「教皇…! これを持っていけ!!」


 研究員はエレベーターの内部へと、ジュラルミンケースを投げ入れる。


「……」

「させるかぁ…!!」


 それを取りに行こうとするペルソナの背中に研究員は飛びつき、身動きを封じようとしていた。サヨもペルソナの脚にしがみつく。


「行ってください!」

「し、しかしおぬしらは…」

「いいから早く行けっつってんだろ!! あの子の敵を、お前が取ってやってくれ!!」


 動揺するわらわを他所に、リートはエレベーターへと躊躇もせず乗り込んでいた。二人の命運など知ったことではないという佇まいで、ペルソナたちを眺めている。


「女、早く乗れ」

「じゃ、じゃが――」

「偽善者ぶるな。そのような温情など必要ない。これが最善の選択だ。私がそう言っているのだから、間違いない」


 わらわは後退りをしながら、エレベーターへと乗り込んだ。


「後は頼みましたよ!」


 サヨがパネルに向けて発砲をすれば、左右に開いていた扉が徐々に閉まっていく。


「……」

「うぐっ…!?」

 

 ペルソナは逃しはしないと、扉が閉まる瞬間にわらわの脇腹を銃の弾丸で貫いた。真っ白な空間に赤色の血液がぼとぼとと流れ落ちていく。


「これは、まずいのう…」

「あの二人のように死んでもらっては困る。どうにか生きろ」


 上昇していくエレベーターの中で、下の研究所からいくつかの発砲音が聞こえていたが、途中でピタリと鳴り止んでしまう。それがまるで、あの二人が殺された合図かのようにも思えた。


「…ところで、お前はあの仮面の正体を知っているのではないか?」

「……」

「あれは誰だ? そもそも人間なのか?」


 喋る余裕など少しもない。わらわは隣で語りかけてくるリートに、視線を送るだけしかできなかった。


「まぁいい、後少しで地上だ。急いでデュアルの元へ向かうぞ」


 血が止まらない。ペルソナが狙ってきたのは、やっとのことで治療した"肝臓"。古傷が開き、貫かれた穴から血がとめどなく流れ続ける。


「うっ…」

「女、何をしている? 早く立て」


 地上に到着し、エレベーターから外へと足を踏み出せば、眩暈の影響でその場に座り込んでしまう。リートはわらわを見下ろし、急いで立つよう命令する。


(わらわが、わらわがここで倒れたら…)


 何とか立ち上がり、力の限り足を動かす。しかし不思議なことに、歩いているリートよりもその速度は遅い。わらわは全力で走っているはず。リートも隣で首を傾げていた。


「この森を抜けた先に、あの女とデュアルがいる」


 遠くから激しい爆発音や衝撃音が聞こえてくる。夕陽が沈んでいるからか、冷え込んできた。とても寒い。それにジュラルミンケースが、こんなにも重く感じるのは初めてじゃ。


「女、何をしている?」


 意識が一瞬だけ飛び、気が付けばわらわは草むらの上で、うつ伏せに倒れ込んでいた。ジュラルミンケースを持っていくどころか、もう自分の身体を起こす力も出ない。


「後少しだ。女、立ち上がれ」


 リートの呼びかけに応じることすらできない。意識が、リートの声と共に消え失せていく。


(すまぬ…皆の者…)


 わらわは一体この醜い争いに何をしてやれたのか。何もしてやれなかったのではないか。そんな不安が今更募り、脳裏に小泉翔の顔が過る。あやつも、死ぬ間際にこれほどまで不安を感じていたのじゃろうか…。


「のぉ、神様…」

「何だ。喋る元気はあるのか」

「わらわの代わりに…これを…持って…」


 肺に残った空気を振り絞り、掠れた声でリートにわらわはそう伝えた。もう何も見えない。もう何も聞こえない。


「…女、死んだのか?」

「……」

「何ということだ」


 この女が死んでしまった。どうやらこの作戦は大失敗に終わるらしい。

 

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