March

12:1 欠けた月

「じゃあね、ルナちゃん」


 崖から突き落とされる瞬間、私の身体がこう悲鳴を上げていた。この怪我を負ったまま、海に放り出されたら死んでしまうと。死に物狂いで耐え凌いでくれと。だけど着水するまでにできることは、必死に手と足を虚空で泳がすことだけ。肝臓を損傷したせいで、上手く能力も扱えない。


「いたっ…がはっ…ぐぅっ…!?!」


 飛び出した岩石に何度も身体を打ち付けて、転がり落ちていく。再生も使えないのに骨が呆気なく折れた。青あざが身体中に浮かび上がった。それでも、まだ死ねない。死なせてはくれない。


「…うあぁっ」


 不幸中の幸い、それともただの不幸か、私の身体が海に放り出されることはなかった。転がった先の岩の上。私は気が付けば、そこに着地していた。"ボロ雑巾"のように哀れな状態で。 


「お前は生きているのか」


 苦痛に苛まれ、朦朧とした意識の中で聞こえてきた声。少しだけ顔を右に向ければ、私の身体を見下ろす誰か。顔に狐の面を付けていたことで、死んだはずのティアなのかと一瞬だけ目を疑う。


「私から吉報と悲報の二つがある。どちらを先に聞きたい?」


 この人物が私のことを助けてくれる様子はない。死ぬ間際に見えてくる幻影なのか。私は悠長に話している場合ではないため、その問いかけを無視する。


「まずは悲報からだ。お前は一部を除く仲間たちの"敵"になった。あの女はお前の居場所を奪い取り、赤の果実を動かしていくだろう」

「…」


 そんな話、わざわざ言われなくても理解している。私は意識を保つには限界が近いことを悟り、ゆっくりと目を瞑った。


「次は吉報だ」

(何なの…こいつは…)


 人が死ぬ様を観察しながら、ただ喋り続ける。救いの手も差し伸べず、私に与えてくれるのは言葉だけ。こいつに嫌気が差しつつも、最後にその吉報を聞いてから死のうとする。


「――お前は生き残る」


 そんな言葉が聞こえた瞬間、私の意識はどこか知らない場所へと飛ばされていった。 



◇◆◇◆◇◆◇◆



「――て!?」

「――だろう」


 遠くから声が聞こえた。誰かが話している声が、脳内に響き渡るように。何が起きているのか理解が出来ないまま、目を開けてみれば、温かい橙色の光が私の視界にぼやけて映り込む。


「…あれ?」


 私はベッドの上で寝かされていた。見上げていた天井はごつごつとした岩で覆われ、潮風の香りが鼻元を漂う。制服は脱がされ、患者衣の格好。身体の至る所に包帯が巻かれている。やけに現実味帯びているあの世だ…と上半身だけ起こそうと試みたが、


「おぬし、目を覚ましたんじゃな…!?」


 どこかで聞き覚えのある声と共に、一人の女性が私の寝かされたベッドまで駆け寄ってきた。紫髪に、ボロボロの和服。声だけじゃなく、その恰好にも見覚えがある。


「あなたは、"七代目教皇"の…」


 その女性は死んだはずの妲己。私は"どうして生きているのか"と問う前に、ゼルチュが創り出したクローンだと疑い、無理やり臨戦態勢を取ろうとしたが、


「――っ!!」


 右の脇腹に痛みが走ったことで、歯を食いしばりながらも呻き声を上げてしまう。そこでとても戦える状態じゃないことを悟り、せめてもの反抗心で妲己らしき女性を睨みつけた。


「わらわは本物じゃ…! おぬしの敵ではない!」

「…本当に?」

「女、そいつの言葉に偽りはない。私がそれを保証する」


 妲己の次に私の様子を見に来たのは、白色のパーカーに狐の面が特徴的な青年らしき人物。私が崖から突き落とされた後、ひたすらに喋り続けていた"アイツ"だ。片手にハードカバーの本を持ち、私に視線を送ってくる。

 

「私は、どうして生きてるの?」

「わらわが助けたんじゃよ。たまたまこの洞窟の前に、おぬしが倒れているのを見つけてな」

「ならあなたはどうして生きて…? 殺されたって聞いていたのに…」


 妲己は私の問いに対して、何があったのかをこう語った。


「わらわはペルソナに肝臓を破壊され後、波に攫われた。創造力も失い、しばらく意識を失っていたのじゃが…。運が良いことに、致命傷を負った状態でこの洞窟に流れ着いた」


 ペルソナに肝臓を破壊され、海に投げ出された妲己は再生で治療も出来ず、意識不明の重体で水平線を彷徨っていたらしい。そして気が付けば、この洞窟の前でうつ伏せに倒れていただとか。


「じゃあその傷はどうやって…」

「それは、あやつのおかげじゃ」

「――サヨ先生?」


 妲己がその場で振り向き、視線を向ける先には、Cクラスの担任サヨ先生が椅子に座っていた。私はベッドの上で唖然としてしまう。


「あやつはわらわの怪我を治療してくれた。勿論、おぬしのその怪我の治療もあやつのおかげじゃよ」

「サヨ先生、私はてっきりゼルチュの味方だと思って…」


 サヨ先生の表情はとても暗く、何か後ろめたいものがあるように感じた。私はしばらくサヨ先生の返事を待ち続けていれば、


「…"初代教皇様"、今まで申し訳ありませんでした」


 ベッドの前まで無言で歩み寄り、突然その場で四つん這いになり土下座をし始めた。あまりにも急なことで、私はポカーンと間抜けな面を浮かべる。


「私は、最初から知っていました。あなた様が、初代救世主と初代教皇の生まれ変わりだと。ノアとルナというネームプレートを与える前から、知っていたのです…!」

「…Noel Projectの関係者なら、それぐらい知っててもおかしくないよ。今更そんなこと謝られても、許すとか許さないとかそういう話じゃ――」

「違います…! 私は、私は"Drop Project"の研究員なんです…!」

 

 サヨ先生がDrop Projectの研究員だと打ち明け、私は思わず耳を疑った。彼女は眉間をごつごつとした岩にピタリとくっつけながら、続けてこう話す。


「私は、雫さんと村正さんを裏切りました…」

「裏切った?」

「本来、"七元徳"と"七つの大罪"の遺体はDrop Project側にあったんです。雫さんたちはその遺体からレプリカを作って、Noel Projectを阻止しようとしました。でも、私がそれを白金昴に横流して…」

 

 サヨ先生の身体は小刻みに震えていた。自分がどれだけ恐ろしいことをしたのか、それを頭の中で思い出し、許されない過ちだと、深く深く後悔しているようにも見えた。


「雫さんも、村正さんも、私のせいで白金昴に捕まってしまった。私のことを信頼してくれた二人を、裏切って、裏切ってしまい…」

「…どうして裏切ったの?」

「白銀昴は私に『戦死した兄を甦らせてあげようか』と取引を持ち掛けてきたんです。取引の内容は『Drop Projectの情報をスパイとして流出させ、Noel Projectの研究員となり計画を完遂させる』という内容でした」


 小さな声でサヨ先生は「兄に、兄に会いたかったんです…」と何度も連呼して、嗚咽を漏らしながらやっとのことで落ち着きを取り戻す。


「メテオさんも、きっと私と同じ取引を持ち掛けられたはずです。"息子を甦らせる代わりに、Noel Vを渡せ"…と」

「ははっ、そんなこと、そんなこと謝って何か変わることでもあるの…!? もう何もかも終わりなんだよ…!! デュアルには、デュアルには勝てない…!!」


 許しても、許さなくても、この現状は何も変わらない。デュアルに敗北をし、仲間を奪われ、まともに身体も動かせないんだから。この最悪な状況で、最悪な話なんて聞きたくもない。私は自身の"情けなさ"と"怒り"で声を荒げる。 


「いや、勝ってもらわないと私が困る。自暴自棄になるのはやめてくれないか?」

「そんなの知らないよ…! そもそもあなたは誰なの!? 偉そうな口ばかりで…」

「――"神様"じゃよ」


 偉そうな青年の代わりに、妲己がそう答えた。私は空気の読めない冗談かと、今度は怒声を妲己にぶつけようとしたのだが、


「もうそこまでにしてくれ」


 洞窟の入り口で、誰かが私たちに一喝入れる。


「…ビートくん?」


 そこに立っていたのは、少しだけ雰囲気の変わった――ビートくんらしき男性だった。 

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