10:7 赤の果実は決断する

 時刻二十三時。

 タイムリミットである明日の深夜の一時まで残り二時間。結果が定められた赤の果実は、真のユメノ世界から目を覚まし、ノアの部屋で黙々と時間が過ぎるのを待っていた。


「…文句は、ありませんね?」


 白チームの勝利により、辿り着いた結論は『ノエルを引き渡さない』というもの。これは人質に取られた全員の家族を見捨てて、ゼルチュの計画を阻止しようとする選択。ティアにそう尋ねられたルナたちは、肯定も否定もしない。


「無視、ですか」

「"はい分かりました"、なんて言いながら頷けないだろう。家族を見捨てるんだ。決着がつけば、肯定も否定も出来なくて当たり前。この反応が正しいよ」


 ノアは遠回しにティアへと「心境を察してやれ」という意味を含めた視線を送る。彼女は小刻みに何度も頷きながら、その場で黙り込んでしまう。


「後はただ時間が過ぎるのを待つだけだ。こちらが顔を出さなかった時、向こう側から接触を試みてくるはずだ」

「…ノア」

「ルナ、決着はついたんだ。今更再戦なんてできないぞ」


 口を開いたルナに彼は釘を刺すが、彼女は「ううん、違うよ」と首を横に振り、


「少しだけ思い出したことがあったんだけど…」


 神妙な顔で、頭を悩ませていた。


「思い出した? 一体何を?」

「……」

「ルナ?」


 ルナはノアのその問いに答えようとはしない。どうやら彼女の中でもその"記憶"が曖昧なものとなってしまっているからだろう。


「私たちが死んだときのこと、覚えてる?」

「あぁ覚えている」

「前に"私たちが死ぬ直前に誰かが側に立っていた"…って話したでしょ?」

「…したな」


 初代救世主と初代教皇が一週間以上に渡って殺し合いを繰り広げ、お互いに命を落とし合ったあの日。薄れる意識の中で二人の側に歩み寄る者がいたこと。ルナはその記憶が正しいことをノアへと再確認する。


「――あれって"一人"だけだったっけ?」

「…は?」

「あの場に二人はいなかった? 仰向けに倒れている私とノアの左右に一人ずつ立っててさ~」


 一人ではなく二人。

 ノアは「言われてみれば」と過去の記憶を遡ってみる。


「…! 確かにあの場にいたのは一人だけじゃない! 二人は立っていた!」


 白衣を纏った男性だけではなく、黒色のスーツに身を包んだ男の姿が鮮明と脳裏に浮かび上がり、ノアは思わず声を上げた。


「顔だけ、思い出せないな」

「でもNoel Projectに関係する人物なのは間違いないよ。それこそゼルチュの可能性だって高いし~」

「小泉が残した端末に、Noel Projectの代表者の名前が白金昴以外にもう一人書かれていた。データが損傷していたせいで、名前は分からなかったんだが…」 


 ノアはデータの修復を頼んでいたグラヴィスへと視線を送るが、彼は「まだ終わっていない」と首を横に振りながら、上の空で虚ろな表情を浮かべていた。


(…黙って待つか) 

 

 そこから誰一人として言葉を発することがないまま、刻々と時間が過ぎていくだけ。二十二時を指していた時計の短針は、気が付けばゆっくりと深夜の一時へと動き出し、


『それが君たちが選んだ"答え"のようだね?』


 ノアの部屋にある大型テレビが点灯し、画面にゼルチュの姿が映し出された。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



「ローザ様、このような時間帯に一体どちらへ?」


 電灯に照らされることのない教会近くの浜辺。少女は自身の従者を連れて、水平線の向こうを眺めながらも浜辺の砂を踏みしめていた。


「此方がなぜここへ来たのか。それを疑問に思っているのは、あなただけじゃないようですよ」

「…と、おっしゃいますと?」

「エルピス。此方たちは監視されているのです。このエデンの園へ来てから、ずっと、永遠に」


 エルピスはローザの言葉を聞けば、辺りに監視カメラが設置されていないか見渡してみる。しかし電灯一つさえ設置されていないこの場所に、監視カメラが設置されているはずもない。


「ローザ様、この付近にはカメラが設置されておりません。監視されているというのは何かの間違いでは?」

「いいえ、此方たちは監視されています。この浜辺へ足を踏み入れた辺りから、今もずっと」


 彼はその者の気配すら感じ取れず、神妙そうな面持ちを見せる。ローザは誰もいない虚空をただジッと見つめ続けて、


「スロースが木村玄輝としての自我を持っていたこと。赤の果実のあの二人がDrop ProjectとNoel Projectに関係していること。それを此方に教えてくれたのは"あなた"です」


 まるでそこに人が立っているかのように語りかけた。


「そうですか、スロースはデュアルにやられてしまったのですね」

(ローザ様は一体誰と話して…)

「それに加えて、赤の果実の家族たちが人質に取られているのですか?」

 

 真っ暗な浜辺に立つ人形のような少女が、独り言をブツブツと呟く様。エルピスからすればさぞ奇妙な光景に見えたことだろう。


「…エルピス、どうやら赤の果実はゼルチュからの要求を拒んだようです」

「ゼルチュからの要求、ですか?」

「ええ、これであの者たちの大切な方々は殺されます」


 どこから得られた情報なのか。

 それはエルピスにも分からない。ローザが情報を得る際は、必ず虚空に向かって語り続ける。少女のその独り言は一体誰に届くのか。そして誰が少女に返事を届けているのか。共に居続けた彼も、未だに理解が及ばなかった。


「ローザ様、そろそろ誰と会話をしているのか私にも教えてください」

「エルピス。あなたが此方にそれを聞くたびに、こう答えているはずです。"壁"の向こう側にいる"方々"だと」

「壁とは何ですか? それに"方々"というのは複数人いるということで――」 

「あれを見てください」


 ローザは星々が点々と輝く夜空を指差す。


「此方が指差す方向には、何が見えますか?」

「夜空です。それも星が綺麗に見える夜空」


 今日は一段と星が綺麗だ。月も丁度半月。エルピスは夜空に散りばめられたものを次々と指差して、ローザへと伝えるのだが、


「…そうですか。やはりあなたにはまだ早いようですね、エルピス」


 少女は呆れた様子で彼の顔を見上げてそう言った。

 

「さぁ帰りますよ。此方の目的は果たしました」

「…承知しました」

 

 どれだけ側にいても、少女が何を見ているのかなど見当すらつかない。エルピスは未熟な自分に対して、僅かに憤りを感じつつも、一礼してローザの後に続く。


(私は、私は必ずローザ様のお力になれるよう尽くして…)


 至高の主。

 エルピスはローザに与えられたモノを思い出す。


『…気が付いたようですね』


 うつ伏せに倒れていた彼の前に立っていたのは一人の少女。背後には溶液が零れ落ちるカプセルが置かれている。


『大丈夫ですか?』


 彼は衣服を一切纏わぬ裸状態。しかし自分の名前も、何をしていたのかという記憶も、何一つとして脳内に残っておらず、四つん這いになりながら白い床を見つめていた。


『何か覚えていることは?』

『……』

『記憶は失われている…みたいですね』


 少女はその場にしゃがみ込み、呆然としている彼の前へとその小さな手を差し伸べる。

 

『あなたはエルピスです』

『エルピ…ス?』

『そう、あなたは此方の元に仕える優秀なしもべ


 記憶に残っていない少女の声は、懐かしさという感覚を彼の身体へと与え、差し伸べられたその手を無意識のうちに左手で握った。


『エルピス。あなたの役目は生きている限り、此方に"その命を尽くすこと"です』

『尽くす、こと…』

『此方の名前は"――"。共にこの世界を変えるのです』 


 エルピスの記憶は未だに戻ってはいない。ただ分かることと言えば、ローザという少女に仕えることだけが自分にとっての生き甲斐でもあり、生きている意味でもあるということ。


「行きますよ、エルピス」

「仰せのままに」


 彼は律儀にお辞儀をすれば、ローザの側に付いて、寮へと向かう道路を少女と共に歩き始めた。

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