9:9 舟と月

 時刻は二十三時。

 聞こえてくるのは潮騒と風声。それを耳に入れながらもジャージ姿のノアと黒の寝間着姿のルナはリビングの机を挟み、お互いに向かい合って椅子に座っていた。 


「ノエルちゃん、楽しそうだったね~」

「…そうだな」

 

 机の上にはクリームの付いた小皿三枚と大皿一枚が置かれ、ベッドの隅には二着のサンタ服が脱ぎ捨てられている。そんな部屋の光景を眺めつつもノアとルナの視線が辿り着いた先には、ノエルがサンタ服の格好をしたまま眠りにつく姿があった。


「ノエルちゃんってさ」

「あぁ」

「イチゴが好きなんだね」

「そうらしいな」


 この日はクリスマスパーティーを開きたいというノエルの要望に応えるため、ケーキやらご馳走やらを用意し、全員が真っ赤なサンタ服に身を包んでいた。ノエルは笑って、楽しんで、沢山の思い出を作ったことだろう。


「ノエルちゃんってさ」

「あぁ」

「私たちの"敵"なのかな?」

「…分からない」


 しかしノアとルナは雨氷雫たちに告げられた真実を知った日から、ノエルに対して不信感を抱いていた。


「Noel Project。この計画にノエルちゃんの名前が入ってるのは偶然…じゃないよね?」

「偶然じゃない。実際、ノエルはゼルチュに狙われていた。あいつにとってノエルは、計画に大きく関わる重要な存在だろう」


 ゼルチュが企てているNoel Project。

 その計画名には"Noelノエル"と記されている。その事からノエルが七つの大罪や七元徳のように計画によって創り出された存在なのではないか。二人はそう憶測を立てていた。


「でも計画に必要なら、どうして私たちからノエルちゃんを奪い返さないのかな? アニマやペルソナに命令をすれば、すぐにでも取り返せるのに…」

「別の何かを狙っているのか、それともわざと俺たちに世話をさせているのか。…どちらにせよ、俺たちが今持ち得る情報だけじゃ答えを導き出せない。考えるだけ無駄だ」


 ノアは立ち上がり、冷蔵庫のドアポケットからペットボトル型の飲料水を手に取って、一気に飲み干す。 


「…あ、そうだ」


 そんな彼を横目に流しながら、ルナは何かを閃いたようで突然ジュエルペイの画面を連打し始めた。


「何してるんだ?」

「ほら、密告システムってあったでしょ~? ゼルチュってネームプレート付けてたし、本名の"白金昴"を密告すれば追放されたりするんじゃない~?」

「どうせ無理だろうが、やってみる価値はあるな」


 けれどルナは画面を操作しているうちに唐突に身体の動きをピタリと止めて、


「…どうした?」


 目を凝らして画面をじーっと見つめていた。


「ノア、密告システムが一覧から"消えてるよ"」

「は? 消えてるだって?」


 ノアも自身のジュエルペイの画面を操作して、密告システムが表示されていた一覧を確認してみれば、


「本当に、消えてるな」


 ルナの言う通り『密告システム』という項目があった位置には、大きな空白が埋め込まれており、選択肢そのものが消失してしまっていた。 


「私たちの邪魔をするためにこんなことを?」

「いや、ゼルチュたちもかなり苦しい状況だからこそ、密告システムを消す必要があったんだと思う」


 ノアはこのエデンの園を外から"見ている者たち"がいる限り、不要なシステムは消す必要があること。見ている者たちを楽しませるような、派手で豪快なシステムへと変えなければどう足掻いても"見ている者たち"の数は減っていくばかりだということをルナに説明する。 

 

「じゃあさ~、そのうちここにまた新しいシステムが加わるってことだよね~?」

「おそらくな。詳細の予測は難しいが、密告システムのような地味な要素は来ないだろう」

「そっかぁ~…」

 

 続けて話すようなこともないのか、数分の間だけ二人の間に沈黙が流れてしまう。それを気まずいと感じたルナは「あっ、そういえば~」と声を上げ、


「雫や村正たちは何してるのかな~? 最近全然見ないけど~」


 雨氷雫と月影村正に関しての話題を出した。

 

「言われてみれば…七つの大罪と七元徳を倒した後、一度も真のユメノ世界で見かけていないな」

「どこ行っちゃったんだろうね~?」

「真のユメノ世界へ顔も出せない状態なのかもしれない。あそこへ訪れるためには、あの二人でも俺たちと同じように眠って、意識を飛ばさないといけないだろ。それが出来ない状況下にいるんじゃないか?」


 あの二人は唯一初代救世主と初代教皇が生きていた時代の同士。ノアとルナは七つの大罪と七元徳を無事に倒したことで、僅かな時間だけでも他愛もない思い出話に花を咲かせたかったと心の底で望んでいたのだが…。 

 

「それなら、仕方ないよね…」


 勝利を収めた彼らに声をかけることもなく、二人は忽然と姿を消してしまったのだ。どこへ消えたのか、何をしているのか、それさえも今となっては分からないまま。


「――!!」

 

 ルナが索漠とした気持ちで俯いていれば、ノアが手に持っていた空のペットボトルを投げ捨てて、玄関の方へと走り出す。


「ノア…? 急に走り出してどうしたの?」


 玄関の扉を勢いよく開き、周囲を注意深く観察するノア。そんな彼にルナは恐る恐る声を掛ける。


「今、この扉の前に人の気配を感じたんだが…」

「気配? ベロくんとかレインちゃんとかじゃないの~?」

「いいやレインたちじゃない。あの気配は、何て例えればいいんだ? 創造力を持たないただの人間の気配、みたいな?」


 ルナはその曖昧な返答を聞いて「う~ん?」と小首を傾げた。


「このエデンの園にそんな人いないと思うよ~? ショッピングモールの店員さんたちも創造力を扱ってるぐらいなんだから~」 

「それもそうだが、あれは確かに創造力を感じさせ――」

「気のせいだよ気のせい~! それよりも寒いから早く扉閉めてよね~!」


 彼女にそう言われ続けたノアは、疑団をぬぐい去ることができない様子で渋々扉を閉める。ルナは「うー、さむっ」と両腕をさすりながら、リビングへと戻っていった。


「スープでも飲むか?」

「コーンスープ、キボンヌ」

「それはどこの国の言葉だ…」


 彼は苦笑交じりにインスタントの粉末を赤と青のマグカップに一袋ずつ投入し、電気ポットからマグカップへとお湯を注ぐ。


「り~」

「"理解"って、何を理解したんだ?」

「違う違う~。これは"ありがとう"の"り"だよ~」

「ややこしいな。どっちも一緒の"り"だろう」


 ネット用語なのか造語なのか、判別の出来ない言葉を述べる彼女の前にノアは小さなスプーンと赤のマグカップをそっと置いた。


「ノアって専業主夫になれそうだね」

「コレが作れただけでそこまで言うか?」


 お互いにコーンスープをスプーンでかき混ぜながら、マグカップへ軽く口を付けて啜る。口の中に広がる甘さと共に、身体の芯まで伝わる温もり。それを全身で感じたルナは「ふぅ~」とひと息ついた。


「こんな私にもね~。子供の頃は夢があったんだ~」

「意外だな。俺はお前が生まれた時から狂っていたのかと思ったよ」

「ちょっとぉ~!? それ失礼じゃない~!!」


 頬を膨らませ、彼女は向かいの席にいるノアを睨む。

 

「冗談冗談。で、幼い頃のお前の夢は?」

「ち、ちょっと恥ずかしいけど…"魔法少女"になりたかったんだ~」

「魔法少女? いかにもその辺にいる子供が考えそうな夢だな」


 ルナが幼き頃、家のテレビで『ごく一般的な女の子が魔法少女となり、悪い人たちをやっつける』というよくありがちなアニメを見ていたらしい。その影響を強く受けた彼女は、魔法少女になれると信じてひたすら将来になりたい職業欄に"魔法少女"と書き続けただとか。


「まだあの頃の私は"その辺にいる子供"だったと思うよ~」


 彼女はマグカップに入っていたコーンスープを飲み干せば、卓上に伏せて顔だけノエルの方へと向ける。


「…お前はいつから村正家の養子として引き取られたんだ?」

「う~ん、いつだったかなぁ…? 中二ぐらいの時だったけ~」

「こんなことを聞くのも野暮なことだが、どうしてお前は養子になった? 親族が亡くなったりでもしたのか?」


 そんな不謹慎な問いを投げられたルナは、口を閉ざしたままゆっくりと目を瞑り、


「…捨てられたの」

「捨てられた?」

「正確には追い出された。雨宮家には不必要な存在だって言われてね」

  

 苦虫を噛み潰したような顔で、自身の辛い幼少期を思い返す。


「私は代々必ず偉人を社会へと送り出すとされる雨宮家の娘。私を産んだ母親も、私を可愛がってくれた父親も、権力と地位だけは必ず持っていた」

「…」

「その二人から産まれた私は母親や父親よりも…大きな地位と権力を持てるほど優秀な人材とならなければいけない」


 "雨宮"の血筋を引いた"雨宮紗友里"は幼少期の頃から、常に"学業"と"習い事"の二つに専念させられていた。友達と遊ぶ時間も自分の時間も、何もかもが与えられず…『成長』という一つの目的のみを達成するだけの日常。


「けど、私は全然ダメだった。勉強も習い事も、すべてが上手くやれない"失敗作"」


 彼女はどれだけ時間を費やしても成長できなかった。一般的な子供たちに比べれば「優秀なものだ」と称えられることだろう。しかし彼女の家系の枠内では、雨宮家において最底辺と称された出来損ない。


「最初は大目に見てくれていたけど、何年か経つうちに…誰よりも厳しかったお爺ちゃんからこう言われちゃったの」


 『お前は雨宮家の恥だ。名を捨て、この家から出ていけ』

 

「…ってね」


 名前を失い、居場所も失い、彼女は一人で何日も彷徨い続けた。


「その後、お前はどうしたんだ?」

「村正の母親に見つけられて、そのまま養子として暮らすことになったよ」

「まさか見ず知らずのお前を助けてくれたのか?」

「ううん。きっと私の母親と村正の母親は前から関わりがあって、捨てられた私の世話をしてくれるよう頼んでくれたんじゃないかな。……お母さんは、私に優しかったから」


 ルナは長嘆しながらも、上半身を机から起こす。 


「お前の祖父の名前は?」

雨宮徹あまみやとおるだよ」

「雨宮徹? どこかで聞いたことが…」

「あって当たり前。だって――私の祖父が"レーヴダウン"の最高責任者なんだから」


 ノアはそれを聞けば、手に持っていたマグカップを机の上へと勢いよく置いた。


「お前の祖父が、レーヴダウンの…?」

「面白いでしょ。ノアたちが従っていたのは最大の敵である私の祖父。逆に言えば、私が今まで戦っていたのはノアたちじゃなくて…"私を捨てた祖父"だった」


 『レーヴ・ダウン』の最高責任者が雨宮徹。【ナイトメア】の最高指導者が雨宮紗友里。あの戦争に雨宮家が大きく関わっていたことを知ったノアは「そんな馬鹿な…」と頬杖を突いた。


「これが戦争の裏事情と私の過去のお話だよ~」

「…悪かったな。嫌なことを思い出させて」

「もう何千年も前のことなんだから大丈夫だって~」


 暗い表情で謝罪するノアに対して彼女は明るく振る舞うと、眠りにつくためベッドへと潜り込む。


「寝ようよ~」 

「…そのベッドは俺の寝床だ」

「今日は冷えるからね~。一緒に寝た方が温かいでしょ~?」


 ノアはベッドの掛布団に包まっているルナの元まで歩み寄り、静かに見下ろした。


「ノエルはどうするんだ?」

「え?」

「ノエルも寒そうにしてるだろ。俺たちだけ温かくしてどうする」


 そしてベッドで待機していたルナを無視して、床に敷かれているノエルの布団へと潜り込む。ルナが目をパチクリさせている間にも、ノアは静かに瞼を閉じてしまい、


「そ、それなら私も~…!」

 

 慌てふためきつつも逆側へと忍び足で移動し、ノエルを真ん中にノアと挟み込む形で布団へと潜り込んだ。


「何だ。お前もこっちに来るのか」

「自分の布団で寝たらだめなんですか~!?」

「シッ、声が大きい。ノエルが起きるだろ」


 ノエルの寝顔はとても安らかなもの。二人がいると安心しきっているせいか、口からやや涎を垂らしている。 


「涎を垂らして寝るなんて、お前みたいだな」

「私はこんな子供っぽくないですけど~?」

「どうだか」


 聖なる夜も時機に終わりを告げる時刻をなる。それを待ち望むように波に揺れる一隻のノアルナによって強く照らし出されていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る