ノアとデュアル

『ちゃんと約束通り、ルナとゲームで楽しんだぜー』

『助かった。ありがとう』

  

 日が昇り始めた早朝。

 俺はリベロからメッセージを受け取り、お礼の言葉を返していた。


「…これであいつが楽しめればそれでいい」  


 リベロとグラヴィスにルナのことを頼んだのは俺だ。ブライトとヘイズに付き合わさせるよりも、この二人の方が断然ルナが付き合いやすいと考えた。


「グラヴィスも上手くルナをオンラインゲームとやらに誘えたようだし…とりあえずは成功だな」 


 俺がまず第一に考えたのはルナに共通の趣味を持つ友人を作ること。ルナがジュエルペイでリベロやグラヴィスとよく連絡を取り合っていることは知っていたため、俺からリベロたちに買い出しへ出かけるよう頼んでおいた。


「…お前もこれでいいだろ、村正」


 月影村正はルナの義理の弟。

 村正は弟として、ルナに寄り添えなかったことを悔やんでいた。だから代わりにお前たちが寄り添ってやってくれと俺に頼み込んできたのだ。だからこそその役目はリベロとグラヴィスが適任だと思い、二人にルナへ"楽しさ"を教えてほしいとジュエルペイでメッセージを送った。 


「それで…パソコンを購入するのに十万の出費か」


 グラヴィスに無理やりにでもルナにパソコンを買わせろと指示を出していたのも俺だ。ルナは自分の趣味が初代教皇の頃のものが引き継がれていることで、無意識のうちに避けようとしている。きっと他の者がそれを押さない限り、のめり込もうとしない。


「まぁ、後はグラヴィスとリベロにルナのことは任せよう」


 ちなみにノエルは頭を下げつつ、ルナの生活が安定するまではヘイズに世話を頼んでもらうことにした。ノエルは俺のことを嫌っているわけではないのだが、やはり面倒見のいい姉のような女性がいるのとでは笑顔の数が段違いだ。


 コンコンッ――


「こんな朝早くに誰だ?」


 まだ朝の七時。こんな早朝に俺の部屋を訪ねてくる人物など心当たりがない。俺は取り敢えず、扉の覗き窓から誰が立っているのかを確認し――


「縺翫?繧医≧」

「――」


 すぐに覗き窓から目を離した。

 その先にいるモノを見てはいない。ただ見てしまえば、そこですべてが終わる。本当にどうしてそう判断したのかは分からない。五感で感じ取ったわけでもない。この玄関の先には"何も分からないが、とてつもなく凄まじく強大で恐ろしい何かがいた。


「あれ? 留守なのかなー…」

 

 女の子の声が聞こえる。

 俺は息を整えてもう一度だけ覗き窓からそこに立っている者を確認してみると、


(…"デュアル"?)


 Sクラスのデュアルが辺りを見渡しながら、もう一度扉をノックしようとしていた。


「…何の用だ?」

「わわっ!? ビックリしたー!」


 ゆっくりと扉を開ければ、デュアルはそれに驚いて後退りをする。

 

「殺しにでも来たのか?」  

「ううん、わたしはノアくんとお喋りしたいなーと思って…」

「お喋りだって? よくSクラスのお前が俺たちの前にのこのこと顔を出せたな」


 彼女はこう見えても四色の孔雀の一人。今はそれほど脅威に感じないが、先ほどの"第六感"で感じ取ったおぞましい力。あんなものを見てしまえば、警戒せざる負えない。 


「でもそれって七つの大罪と七元徳だよ? わたしは四色の孔雀だから関係ないと思うけど…」

「…もし俺がその誘いを断ったらどうするつもりだ?」

「わたしがちょっぴり悲しい気持ちに浸るだけかなぁ…」

 

 何とも言葉にし難いのだが、デュアルは"些細な衝撃を与えたら爆発する核爆弾"のような存在に思えて仕方がなかった。ここで断れば彼女の中の何かが爆発しそうで、俺は軽く頷いてそれを了承する。


「だが話すとしてもここじゃなくて別の場所でだ」


 この付近には他のメンバーたちがいる。

 もしデュアルとの戦いが始まれば巻き込みは避けられない。


「じゃあ、わたしの部屋なんてどうかな?」

「…お前の部屋か?」

「うん! たまたま昨日作ったクッキーも余っているからどうかなって」

「分かった。お前の部屋にしよう」

 

 俺は私服に着替え、デュアルと共に彼女の部屋まで向かう。そこは俺たちの部屋とはかなり離れた場所にあり、見方次第では隔離をされているようにも見えた。


「上がって上がって」

「…お邪魔します」

 

 どんな部屋かと思えばデュアルの見た目通り、女の子らしさに溢れている部屋。ヘイズよりも少しだけ可愛さが重視されたピンク色の家具がいくつか置かれている。


「ノアくんー! 何か飲みたいものあるー?」 


 マグカップを二つ分用意したデュアルは、机の前に座っている俺にそう尋ねてきた。


「いや、俺はいらない」

「えぇ? 遠慮しなくてもいいよ?」

「そんなことよりもお喋りとやらを手短にしてくれ。俺だって暇じゃないんだ」


 敵陣のど真ん中にいるこの状態であまり長居はしたくない。俺が話をするように急かせば、デュアルは自分の分だけ赤色のマグカップを手に持って、何故か俺の隣に座ってくる。


「…向かい側に座ってくれないか?」


 デュアルは机の上に赤色のマグカップを置くと、こちらへと身体をくっつけて肩に寄りかかってきた。妙に距離を近くしようとする行動に俺は彼女から距離を取る。


「え? もしかしてわたし…汗くさかった?」


 匂いは大してしない。

 ただデュアルの中から漂ってくる嫌な臭いは感じ取れる。


「いいから向かい側に座れ」

「そっかぁー…なんかごめんね?」


 意識していないのか、それともわざとなのか。

 どちらにせよここまで距離を詰められていいほど、信頼関係を築き上げている相手じゃない。デュアルは俺が向かい側へと座るよう要求すると、首を傾げながら場所を移動する。


「それでお前は俺と何を喋るつもりだ?」

「――ウィッチさんが死んじゃって残念だったね」

「…挑発をするつもりなら帰るぞ」

「えっ? わたしはノアくんを慰めようとしただけなのに」

 

 デュアルの性格が掴めない。

 ルナの性格と同等、もしくはそれ以上に自分自身の本性を隠し通しているような気がしてならなかった。俺はしょんぼりとしているデュアルが、手作りのクッキーを机の上に置く姿をじっと眺める。


「このクッキー、食べてもいいよ? 口に合うかはあんまり保証はできないけど…」

「…お構いなく」

「そ、そうだよね…わたしの作ったクッキーってあんまり美味しくなさそうだし…」

 

 傍から見ればこちらが悪者扱いをされるだろう。

 だが勘のいい者なら、彼女があまりにも"わざとらしい"落ち込み方をしていることに気づくはずだ。それにデュアルは、俺に飲ませたり食べさせたりをさり気なく勧めてこようとする。毒が含まれていてもおかしくない。


「お前は慰めるために俺を呼んだだけか?」

「えっとね、わたしノアくんと仲良くなりたかったんだ」

「…敵同士仲良くできる気がしないな」

「ううんできるよ! ノアくんたちは七つの大罪に七元徳と敵対しているけど、四色の孔雀のわたしとは敵対してないでしょ? この際に条約みたいなのを結びたいなぁーって思ったの」


 とてもじゃないがそのようなことを承認したくはなかった。このデュアルという四色の孔雀の一員が、すんなりとこちら側の味方になってくれるとは思えない。狙いはおそらく内部からの崩壊。俺は首を振って、その提案を即否定した。


「俺たちはお前が今更何をしても仲間として認めることはできない。その誘いは諦めろ」

「……ふふっ」

「…?」

 

 一瞬だけ笑い声が聞こえた気がする。

 俺は視線を逸らしたデュアルの顔を覗き込もうとしたが、


「ごめんね? わたしちょっとお手洗いに行ってくるから」


 もう少しで表情が窺えたタイミングでデュアルはその場に立ち上がり、洗面所の方へと走っていってしまう。


「…何なんだアイツは」


 俺はデュアルが戻ってくるのを待っている時間も暇なので、何となく部屋の中を歩き回ることにした。異性の部屋を物色するのはあまりにも失礼なことだと重々承知で食器棚や本棚へと目を通す。


(普通、だな)


 様々なものに目を通してみたが特に変わりはない。もうそろそろ戻ってくるだろう、と最後に備え付けのクローゼットの中身を確認しようと引き戸に手を掛けた。

 

「あー?」


 その時、足元に写真のようなものが裏向けで一枚落ちる。

 どうやらクローゼットの中からはみ出してきたものらしい。


「写真なんて今時珍しい――」

 

 写真を拾い上げ裏向けの写真を表にした途端、俺は言葉を詰まらせてしまった。


(――これは俺、だな)


 そこに写っていたのは、ルナと二人で歩いている時の写真。

 ルナの顔は黒色のマジックで塗りつぶされ、俺だけが写し出されている。


「…この中から出てきたということは」


 息を呑みながらも引き戸を開く。

 そしてその先に広がっていた世界を目にした俺は、


「――」


 何も言えなかった。

 服などが保管されているはずのクローゼットの中は天井・壁・地面、至る所を覆いつくすようにして何百枚もの写真が貼り付けられていたのだ。


「…これは、何がどうして」


 写真一枚一枚に必ず俺が写っている。

 そこにもし俺以外の人物が写っていれば、カッターのようなもので切られているか、黒色のマジックで塗りつぶされているかのどちらか。


「この制服は、夏服の頃か? こっちには入学式の時にだけ着ていたルナの制服姿もあるな…」


 そこで初めてあることに気が付きゾッとしてしまう。

 

(――ずっと、ずっと見られていたのか?)


 俺がこのエデンの園へやってきた時から、Cクラスと戦っている時も、Bクラスと死闘を繰り広げている時も、休日にルナと過ごしていた時も、ずっと、ずっと"デュアル"に見られていた。


(ここにいるとやばい…!)


 急いでクローゼットの引き戸を閉める。

 見てはいけないものを見てしまったという後悔。死にかけるとはまた違った恐怖感に俺は胸を押さえた。



「――何してるの?」



 背後からデュアルに声を掛けられる。

 俺は爆発しそうなほど鼓動の早い心臓をどうにか落ち着かせつつ、平然を保つことにした。


「いや、少しだけ外の天気を確認しようとしただけだ。なんせまだ洗濯物を干していないからな」

「そういえばわたしもまだ干してなかった…! ノアくんもごめんね? 急にわたしの部屋まで連れてきちゃって…」

「俺もそろそろやるべきことをやらないといけない。悪いがここらで部屋に帰らせてもらうぞ」


 逃げるようにデュアルの横を通り過ぎて、リビングから出ていこうとする。


「ノアくん」 

「…何だ?」


 その際にノアは彼女に呼び止められたため、その場に足を止めて振り返ることなく用件を窺う。


「また――遊びに来てね」

「…気が向いたらな」


 デュアルにそう返答したノアはその部屋から足早に出て行った。


「……ふふっ、ふふっあははは!!」


 ノアが玄関から出ていく音を聞いたデュアルは、一人でに大きな声で笑い始める。


「あーあぁ…ノアくんの匂いがまだ残ってるー♪」


 そしてノアが背を付けていたベッドに顔を埋めて必死に残っている匂いを嗅ぐ。


「マグカップも、せっかく名前付きのものを用意したのになぁ…。せっかくなら"唾液"ぐらい摂取できたら良かったのに…」


 二つ出したうちの赤いマグカップには『Dual』と刻まれ、青いマグカップには『Noah』と刻まれている。それだけでなくキッチンの引き出しには大量の睡眠薬が詰め込まれていた。 


「クッキーだってわたしが精一杯の"アイジョウ"を込めたのに食べてくれなかったし…」


 クッキーを二つに割れば、中からやや赤みを帯びたホワイトクリームが出てくる。何が込められているのか、それは"アイジョウ"を込めた本人しか知らない。


「このクローゼットの中身を見られちゃったけど…ノアくんなら分かってくれるよね?」


 壁に貼り付けられている写真を一枚ひっぺはがし、ノアの写っている部分を何度も舌で舐める。


「ノアくんノアくんノアくんノアくんノアくんノアくん……!!」


 デュアルは己の欲望を満たしている最中、その写真に写るルナの部分を引きちぎった。


「ノアくんの周りにいる雌共は…わたしが排除してあげるからね? 待ってて、ノアくん」


 彼女は床に落ちた写真の切れ端を踏みつけ、クローゼットの中へと入り引き戸を閉める。


「はぁー…幸せだよぉ♪」


 そこから彼女は着ている服を一枚ずつ脱ぎ――自らを慰め始めた。

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