ノアはルナを取り戻す

「ルナ、夕食が出来たぞ」

「……」

「今日はお前の好きなハンバーグだ。冷める前に食べた方がいいんじゃないか?」


 七月二十日。

 襲撃からおよそ三日ほど経った現在。ルナの精神状態は未だに会話も成り立たないほどまで崩壊している。好物であるハンバーグにさえ見向きもしない。


「…仕方ない。今日も食べさせてやるか」 


 ノエルの世話はヘイズに頼んでいた。

 面倒見のいいヘイズならステラとノエルの二人を仲良くさせられるだろうとノアは見込んでいたのだ。レインに関してはティアに任せてあるが、この三日でティアの口からあまり良い報告は聞けていない。


「ほら、起きろ」

「毒は…?」

「入ってるわけないだろう。どこからどう見ても美味しい美味しいハンバーグだ」 


 身体の震えは止まっている…が、ノアがいないとまともに食事も摂れない状態。下手をすればこの三日間ルナはずっと布団に引きこもっていたかもしれない。


「ひっ…!?」


 ハンバーグをナイフで切っていると、ルナの顔が一瞬にして青ざめ布団から飛び出して壁に背を付けた。何に怯えたのか、ノアはそれを深く考えずともすぐに理解をする。


「…ナイフか」 

 

 ハンバーグを切るためだけのナイフ。

 それに怯えたのだとナイフを台所へと戻して、自身を見上げているルナに手を差し伸べた。


「大丈夫だ。俺がお前を殺すはずが――」


 ――ない・・

 そう断言するはずだったのに、夢の中でホワイトに言われた「殺される前に殺すべき」という言葉がぐるぐると脳内で暴れ回るようで、ルナを見下しながら身体を硬直させてしまった。

  

「……ノア?」

「…いや何でもない」


 ノアは頭を左右に振って、ルナに改めて手を差し伸べる。

 ルナは不安そうに彼の手を握りながら、その場に立ち上がり食卓まで連れていかれ椅子に座らされた。


「お前の側には俺がいる。安心して食べろ」


 三日経ってやっとルナは自分で食事を摂れるようになる。ノアはその進展に少しだけ安堵しながらも、彼女がすべてを食べきれるまで近くの椅子に腰を下ろし、ルナのことを見守っていた。


「よく食べれたな。偉いぞルナ」

「…うん」

「次は風呂に入ってこい。三日前から一度も身体を洗ってないだろう。そのせいで髪もぼさぼさだ」 


 口には出さなかったが若干臭いが酷くなりつつある。ノアはルナが食事を摂れたことで、次の段階までもしかしたら進めるのではないかと僅かな希望を掛けて風呂場にある脱衣所までルナを連れていった。


「それじゃあ、俺は布団を掃除しておく。お前はゆっくりと湯船に浸かって身体を暖めろ」

「……!」 


 脱衣所まで連れて行き、足早に出ていこうとしたときルナに左手を掴まれる。


「…どうした?」

「一人じゃ、入れない」

「一人じゃ入れない? 流石に俺は一緒には入れないぞ」

「なら近くにいてほしい…。せめてここにいてくれれば…安心できるから」


 ノアは恐怖症を抱えているルナの頼みを断れるはずもなく渋々了承した。


「…ごめん、ノア」

 

 申し訳ないと感じたルナの精一杯の謝罪。

 ノアは「気にするな」と返答し、自身の寝間着を脱ぎ始めたルナに背中を向ける。衣服がパサッという音を立てながら床に落ちる。その間に会話は一度も無かったことで、妙にその音が耳に残ってしまった。


「どうしたものか…」 


 風呂場の引き戸が閉まる音。

 それが聞こえたことでノアはぽつりと独り言を呟く。そしてすぐに振り返って脱ぎ捨ててあるルナの衣服や下着をすべて洗濯機に入れた。


(…どうすればいい?)


 頼みの綱であったゼルチュへの抗議は問題外。

 そもそもの許可が下りなかったせいで、ルナとレインの二人に優遇することは不可能となっていた。ノアはジャージのポケットに忍び込ませてあった錠剤の入った瓶を取り出す。


(やっぱりこれしかないのか?)


 サヨがノアにハイリスクだと注意をして渡した錠剤の正体。

 それは精神的な病をほんの一錠で完治させる効力を持つ…今のノアにとって希望となる薬。


「…いやダメだ。あまりにもリスクが大きすぎる」


 しかしそんな都合のいい薬が良い効力だけをもたらすと思ったら大間違い。この薬のハイリスクとなる点は『副作用として記憶の一部、又はすべてが消滅してしまうかもしれない・・・・・・』ということ。


「もしこれでルナやレインの記憶が失われれば、今の状態よりも深刻なものになる」


 錠剤を再びポケットの中へと突っ込んで、洗面台に備え付けられている鏡で自分の顔を見ようとしたが、


「まだ、殺さないの?」 

「――!?」


 鏡の中に写るのは自分の姿ではなくホワイト。

 夢の中ではないはずなのに、確かに鏡の中から白色に塗りつぶされた顔を向けてきている。


「抵抗もできない初代教皇を楽に殺せる絶好のチャンス。あなたはそれを逃すの?」

「あんな無抵抗なルナを殺して…俺は何を得られるんだよ?」

「数百年以上続いていた過去を終わらせられる。仲間の無念も、あなたの私怨も、すべてが片付けられるの」


 洗面台の棚から一本のナイフが床に落下してきた。

 刃が照明によって妙に激しく照らされ、自然とそのナイフを拾い上げてしまう。

 

「迷う必要なんてない。あなたは元々初代教皇を殺す存在、初代救世主だった」

「…俺は」

「因縁はここで終わる。あなたとしての初代救世主としての役目に…終止符を打てる」


 頭の中でホワイトの「殺して」という言葉が何十回、何百回も繰り返された。冷静さを保てなくなり初代教皇に、ルナに対する殺意がそこから込み上げてくる。


「殺して」


 ノアは彷徨うように風呂場の方へとゆっくりと一歩ずつ前進し始めた。

 

「はやく殺して」

「俺は、俺は…!」

 

 歯軋りをしながらノアはナイフの柄を強く握りしめる。


「殺せ――!!」

「黙れぇッ!!!」


 ノアは怒りに満ちた形相で振り返り、洗面台の鏡にそのナイフで切り刻みバラバラにした。その後、自身の右腕にそのナイフを突き刺す。


「はぁっ…はぁっ…」

 

 力を込めたナイフは右腕を貫いて、反対側から先端が見えてしまっていた。ノアはすぐにナイフを引き抜いて呼吸を荒げながら再生を使用する。顔を上げればそこにホワイトはもういなかった。


「…ノア? どうしたの?」


 風呂場から聞こえていたシャワーの音が止まる。


「何でも…ない」


 ノアは鏡の破片と血で汚れた洗面所を掃除し、手に握っていたナイフを綺麗に洗って棚に戻した。精神疲労によって彼は、風呂場の引き戸の近くで壁に背を向けて力なくその場へ座り込む。


「ごめんね、ノア。私がこんなに足を引っ張っちゃって…」

「足の引っ張り具合は、前とそんなに変わらない」

「…えぇ酷いね」


 ルナは湯船に浸かっているようで、お湯が不規則に音を立てていた。 


「……」

「……」

 

 そこから会話は一度もない。

 気まずい雰囲気が風呂場と脱衣所の境目に漂い始めていた。


「あっ…もう上がるね」 


 ルナが湯船の中で立ち上がり、ぺたぺたと足音を立て風呂場の引き戸を開く。ノアは目を瞑りながら、彼女に背を向けて脱衣所の出口で待っていた。


(…ルナのことを憎んでいないわけじゃない。でもこんな状態のルナを殺したところで、俺が後悔をするだけだ)


 ポケットに手を突っ込んで、錠剤の入った瓶を手に握る。

 一か八かの賭け――失敗をすればこれから歩む道は悲惨な結末を辿ってしまうだろう。


「ノア?」

「ルナ、少しだけ話があるんだ」


 濡れた髪をタオルで拭くルナを連れて、ベッドの上に座らせる。


「こんなことを聞くのは正直気が引ける。でも聞かせて欲しい」


 ノアはルナの隣に座って、真剣な眼差しを向けた。


「まだ、戦うことが怖いか?」 

「……うん。自分でも信じられないぐらい、とても怖い」


 ルナの返答はやはり三日前と何も変わらない。

 その答えを聞いたノアは、ルナの左手の上から自身の右手を被せた。


「俺も、怖いんだ」 

「ノアも怖いの?」

「ああ。でも殺し合うことが、戦うことが怖いんじゃない」


 今まで決して本心を見せなかったノア。

 そんなノアが眼鏡を外して、頬に二粒の雫を流し、


「――俺の為に戦ってくれる人を失うことが怖いんだ」


 泣きっ面でルナにそう言った。

 ルナもノアが泣いている姿など見たことがなかったため、言葉を詰まらせてしまっている。


「最初に約束しただろう? 俺はお前の為に戦って、お前は俺の為に戦うって」

「…うん」

「あの時、俺は嬉しかったんだ。ああ俺の為に戦ってくれるんだって。前世では世界の為、組織の為にみんな戦っていたから…」


 吐き出すような想いで述べられる一文一文。

 それらにノアの感情がすべて込められているようにルナは感じていた。


「…誰も、俺を救おうと・・・・・・してくれなかった」

「……」

「それが辛かった。この世で最も救われないのは一般人でも命を懸けて戦う兵士たちでもない。レーヴダウンを指揮し、現ノ世界を象徴する――俺たち救世主だったんだ」


 それに気が付いたのは前世で死ぬ間際。

 死を迎え入れる直前というのは走馬灯が脳裏を過るというが、ノアの頭の中に流れる光景すべての中にノア自身が救われている場面がなかった。小泉翔も死ぬ前、それに気が付いたに違いない。


「だから、お前が俺の為に戦ってくれると約束してくれたとき…俺はやっと救われた気がした。一人で背負う必要がないんだって」

「ノア…」

「…でももしお前が戦うことを止めてしまったら、俺はまた一人で背負わないといけないのか? 誰も俺を救ってくれなくなるのか?」


 ノアの右手にルナは左手を乗せた。

 両手でノアの右手を優しく包む。


「悪い、変な話をした」

 

 ノアは顔を左手で拭うと、手の平に何かを創造する。 


「…それは?」


 創造したモノは三日月の形をした髪留めのアクセサリー。そこには紫色の宝石と黒色の宝石がはまっていた。たった今、夜空に上っている月と同じ形をしている。

 

「一説によれば今日は月の誕生日らしい」

「月の誕生日?」

「あぁ。Lunaルナ、お前の誕生日だ」


 ノアはその髪留めをルナの少し湿っぽい髪に付ける。


「誕生日プレゼントだ」

「ありがとうノア…。私、嬉しいよ…!」  

「喜んでもらえたらなら良かった」 

 

 ノアは一瞬だけ自身の口を左手で覆った。

 ルナはその動作が何かを口の中に入れたようにも見え、ノアの口をじっと見つめていれば、



「――!?」


 

 流れるようにルナの唇にノアが口付けをした。

 舌と舌が絡み合う中でルナは喉の奥に何かを押し込まれ、徐々に意識が薄れていく。 


「…帰ってこいルナ」


 薄れゆく意識の中で聞こえた言葉。

 それを最後にルナの意識は完全に途絶えてしまった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「…ふにゅあ?」 


 三拍子のリズムでまな板が叩かれる音が聞こえ、ルナは目を開ける。

 顔をずらしてみれば窓から朝日が差し込み、自身の顔を照らしていることに気が付いた。


「おはよう」

「…あれ、ノア? 私は今まで何をしてたんだっけ?」

「取り敢えず、赤の果実のメンバーを全員覚えているか?」

「当たり前でしょ~? 私の記憶力を馬鹿にしてるの~?」


 ノアはやけに疑心暗鬼になりながらも、ルナの側まで歩み寄る。


「…とっとこ?」

「ハブ太郎~!」

 

 そんなワケの分からないやり取りを二人は交わすと、ノアは清々しいまでの表情を見せて再びキッチンの方へと戻っていった。


「朝食が出来ている。冷めないうちにさっさと食べろ」

「ねぇ~? エデンの園の襲撃はどうなったの~!? 私は確かペルソナにぼっこぼっこのギッタンギッタンにされて気を失ってたはずだけど~!」

「覚えてないのか?」

「うん~!」

「いつも通りだ。寝て食って起きて寝て…その繰り返しだよ」


 ノアが手に持っている朝食を目にした途端、ルナは布団から飛び出して食卓の椅子に座る。


「先に顔洗って歯を磨け」

「ねぇねぇ~! どうして今日はこんなに豪勢なの~!?」


 朝食はフレンチトーストにスクランブルエッグ。そしてジャムやマーガリンなど、とにかく誰もが知る朝食セットをかき集めたかのようなテンプレ感のあるものばかりだった。


「…歓迎会でも開こうと思ってたからな」

「歓迎会~? 誰の~?」

「いやもういいんだ。歓迎会は中止したからな。お前が代わりに全部食べていいぞ」

「ほんとに~!?」

   

 涎を垂らすルナにノアは苦笑いをする。

 

「…あれ? 私ってこんな髪留め付けてたっけ?」


 ルナは自身の前髪に三日月型の髪留めが付いていることに気が付き、ノアにそう尋ねた。


「おいおい、それは二日前にショッピングモールで「これ可愛いー!」だとか騒いで自分で買ったんだろう」

「ん~? そうだっけ~?」

「あぁ、お前の記憶力が致命的なだけだ」


 ノアの返答を聞いて「おかしいな…?」と一人でぶつぶつと呟きながら洗面所までルナが向かう。



「…おかえり、ルナ」



 そんな後姿を見ながらノアは一人微笑んでいた。

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