ノアはレインに誓う
「ティア、レインの様子は?」
「未だに良くなる予兆すらも見えません。永遠とベッドの上でぼそぼそと呟いていますよ」
「…そうか」
ノアはレインの部屋へと訪れて、ティアに容態を尋ねる。
その返答は彼自身も大体予測していたものだったため大して驚きはしなかった。むしろ悪化をしていないことだけが唯一の救いだと安堵をしているほど。
「ルナの方は本当に大丈夫なのですか?」
「あぁ、いつも通りのあいつだ。お前たちも普通に接してやってくれ」
ルナはもう大丈夫だ、とノアはルナとレインを除いた赤の果実のメンバーたちに個別で伝えている。どのようにして治したかを彼はティアたちに教えなかったが、メンバーたちは各自で「何か凄い技でも使ったのだろう」と自己解釈をしていた。
「ノア…レインも今から治療するつもりですね」
「時間が無いからな。あんな状態が長く続くのはお前でも嫌だろう?」
「ええ、普段から常識知らずですが…それでも今よりは幾分かマシです」
ティアはレインの部屋から出ていこうとノアの横を通り過ぎる。
「ただ――あまりにも
相も変わらず意味深な発言をするティア。
自分がハイリスクを背負いながら治療を試みていること。それを知っているのかと部屋から出ていくティアの顔を横目で眺める。しかし狐の面のせいで表情は窺えない。
「ああ忘れていました。避妊具を枕元に置いておきましたので治療に是非使ってください」
「お前は狐じゃなくて鬼の面をつけろ」
「ふふっ、冗談ですよ。あなたはそんなことをしませんよね」
ティアはノアをからかい満足をしたのか、そのまま部屋から出て行った。彼はそれを確認するとレインの側まで近寄り「レイン」と声を掛ける。
「…死にたい。私を殺して」
返ってきたのは死に対する願望が強い答え。
ノアは適当に愛想笑いをしながら「そんなこと言うな」と部屋の空気を入れ替えようと窓を開けた。
「ほら、今日は天気がいいぞ。少し外でも歩かないか?」
「…いい」
「…そうか」
ベッドの上で体育座りをして、顔を膝に埋めているレイン。あの青い髪が酷く荒れ、色が所々黒く濁っているようにも見える。
「レインはどうして…小泉と兄妹の関係になったんだ?」
ノアはそんなやつれたレインのベッドに腰を下ろしてそう尋ねた。
彼女にこんなことを聞くのはきっとタブーだろう。それでもこの現状で最もレインが自分から話しやすい話題は兄である小泉翔のことしかない。彼はそう考えていた。
「私が独りだったから」
「…独りだった?」
「ナイトメアに両親が殺されて、私は独りになった」
レインは運悪く住んでいた地域がナイトメアによって襲撃されたことを話す。その襲撃によって両親を失い、瓦礫の山と化した自身の家の前で泣きわめいていたそうだ。
「そんな私を救ってくれたのは七代目救世主。私の世話をしてくれて、学校まで通わせてくれて…私にとって兄のような存在だった」
「……」
「兄さんは、優しかった。疲れている時でも悲しい時でも、救いを求めている人たちに必ず笑顔で手を差し伸べていた」
七代目救世主がどのような人物だったのか。
ノアはそれをレインの口から聞いて、尚更そんな人物がエデンの園を襲撃し、生徒たちを殺そうとしたとは思えなかった。例え妲己だけがそれを企んでいたとしても、小泉は必ずそれを阻止しようとするはずだ…と。
「そんな兄さんが私たちを殺そうとしたなんて信じられない…。何かの間違いに決まってる」
「…そうだ! レイン、これを見てくれ」
ノアが取り出したものは画面が付いた小型の端末機。
それの電源を入れると、暗証番号四桁を入力する画面をレインに見せた。
「…それはなに?」
「小泉翔が死ぬ直前…俺の手に握らせたものだ」
小泉翔がアニマに殺される寸前。
ノアの手には白色の宝石とこの小型の端末機が握られていたのだ。彼はそのとき怒りで我を忘れていたが、無意識のうちにその宝石と小型の端末機を創造形態の衣服のポケットに入れていたらしい。
「この暗証番号は俺には分からない。グラヴィスに解析を頼もうかとも考えたが、お前になら分かるんじゃないかと思ってな」
「…貸して」
レインは端末機をノアから受け取って、番号を入力する画面を見つめる。どうやらノアの予測通り心当たりがあるようで、ゆっくりと四桁の空欄に数字を当てはめ始めた。
「"1010"…?」
そこに入力された数字は安直な1010というもの。ノアはその四桁で本当にロックが解除されるのかと半信半疑になりながらも、レインが決定項目をタッチする瞬間を傍観する。
「開いたのか…!?」
暗証番号を入力する画面から違う画面へと移ったことで、ノアはロックを解除できたのだと端末機の画面を覗き込んだ。そこには何枚かの写真が文書のファイルと共にいくつか記載されていた。
「…レイン?」
レインの頬に涙の粒がいくつか流れる。
なぜ泣き出したのか、その理由はすぐにレインの口から述べられた。
「…私の誕生日」
「誕生日?」
「この暗証番号は、私の誕生日の日付だった、から」
1010という四桁の数字。
それは十月十日、レインの生まれた日のことを表していた。小泉の誕生日ではなく彼女の誕生日を暗証番号にしていたということは、レインがとても大切にされていたという覆ることのない証拠。
「兄、さん…」
手が震え小型の端末機を落としそうになるのをノアが片手を添えて支える。義理の関係でも、確かにこの兄妹の間には家族同士の愛があった。ノアは大きく深呼吸をして、小泉翔が残した遺品に詰まった情報を詮索する。
「…所々データが破損しているな」
いくつかの箇所のテキストがバグっているのか、上手く表示されない。そんな文書を部分部分でかじりつつ読み進めることにした。
「何だ? …Project?」
その文書のタイトルは『"……"Project』。前半に書かれている文字の解読は出来ないが、何かしらの
「しかもこの計画はエデンの園で行われているっぽいな。文書の中間あたりにしっかりと『エデンの園で』と書かれている」
読み進めていくうちに知っている言葉がいくつか出てきた。
『エデンの園』『殺し合い』『クラス分け』…どれもこの孤島で起きていることと同じものだ。読み間違えたり飛ばさないように、一言一句しっかりと脳内に刻む。そして次のページへと進んだ瞬間、
「…何だこれは?」
―――目を疑った。
皮膚がドロドロに溶けた人型のナニカの写真。それはいつの日かティアと共に、孤島の裏側を調査した際に遭遇したものとそっくりだ。その写真の下には『被験体No.3』と書かれている。
「これは、人体実験の一種か?」
そこから先は事細かに被験体について、日記のようなものが記されていた。文字がバグって読めない個所もあったが、全体的な内容からするに何かを
「観察者は…『
聞き覚えがあるようでない名前。ノアは頭を軽く叩いて思い出せないかと必死に唸る。それを横目にレインは鼻をすすりながら、小さな声でこう呟いた。
「この人…名前を聞いたことがある」
「本当か!?」
「…兄さんがレーヴダウンの人と連絡を取り合っている時、この名前を聞いた気がする」
「ということは…四童子有栖はレーヴダウンの人間なのか」
この文書がレーヴダウンのものだという可能性が高くなる。
ノアは被験体の観察日記をすべて読み進め、最後のページへと文書を指でスライドさせた。
「ナイトメア、だって?」
レーヴダウンの研究記録だろうと憶測を立てていたが、それは最後の文書で呆気なく崩れ去ってしまう。何故なら一番最後の文書に記載されていた関係者の一覧。そこにはレーヴダウン所属の人間だけでなく、ナイトメア所属の人間たちの名前も書かれていたからだ。
「小泉翔たちの名前がない…。この計画は救世主や教皇に知らされることなく、裏で密かに進められていたのか?」
それを踏まえれば表沙汰で救世主たちと教皇たちが戦争を続けている中で、この計画は敵同士で手を組んで裏で進められていたことになるではないか。ノアは不信感を抱きつつ、この計画の責任者の名前を読み上げる。
「レーヴダウン責任者
彼はこの名前にも聞き覚えがあった。
というよりもこのエデンの園へ訪れてから、既視感のようなものは何度も体験をしている。これは本当に自分が忘れているだけなのか、それともそのように感じているだけなのか。
「ナイトメア責任者は、読めないか…」
そんなことを考えながらも次にナイトメアの責任者の名前へと視線を移す。
だがそこの部分は綺麗にテキストがバグっており、解読は不可能だった。
「…この計画は、一体何なんだ?」
目的がいまいち分からない。このエデンの園で行われていることと被験体の実験。何か繋がりがあるのか…と隣に座っているレインの方へと顔を向けてみる。
「……」
どうしても涙が止まらないらしい。
赤く目を腫らし、痕がくっきりと頬に付いてしまうほどに涙の粒が溢れ出ている。
「…レイン」
ポケットに忍ばせている錠剤を握った。
再び始まる一か八かの賭け。それに挑むべきか、挑まないべきかと考える。ルナの治療は上手くいったが、レインも同じように治療が出来るかなど見当もつかない。
「私の救世主は…もういない。こんな世界で私が生きる必要なんて、もう――」
「違う」
ノアはレインの独白を否定した。
そして彼女の両肩を左右の手で掴み、自身の方へと身体を向かせる。
「俺が――お前の救世主だ」
「…あなたが、私の?」
「小泉の代わりになれるかは分からない。けど絶対にお前を救える…レインだけの救世主になってみせる」
世界の為じゃなく、彼女の為に救世主となる。
そんなノアらしくない発言に、レインは呆然とするばかりだった。
「だから今ここで誓う。レインが八代目の救世主になるまで、俺はお前の救世主として側にいることを。必ずお前を――兄のように立派な救世主として育て上げることを」
ノアはレインを抱き寄せる。
呆然としていた彼女はその時、兄である小泉翔と過ごした日々が脳内を過った。優しさのある温もり、それを全身で感じたレインは、
「う…うああぁぁあぁ…っっ!!」
冷静沈着な彼女だとは思えないほど、子供のように泣きじゃくった。
ノアは一言も言葉を発することなく、自身の胸をレインに貸しながら頭を撫でてやる。
「…もう大丈夫か?」
レインは二時間ほど泣きわめき、外は日が沈みすっかり暗くなってしまっていた。ノアは俯いている彼女を心配すると、
「…大丈夫」
普段通りの冷めた声でそう返答した。
救世主を失ったレインが見つけたものは、新たな救世主。自分の側で心身ともに支えとなってくれる存在。それを見つけたことで、レインは精神の病から奇跡的に立ち直ることが出来ていた。
「そうか、なら良かった」
「……」
ノアはある程度落ち着きを取り戻したレインを見て「もう大丈夫だろう」と判断し、部屋から出ていこうと立ち上がる。
「待って」
しかしノアは服の裾を掴まれ、その場に呼び止められてしまった。
「何だ?」
「…お願い、今日は一緒にいてほしい」
「あー…どうして?」
「不安、だから…」
頬を若干赤らめながらそう答えるレインに対しノアは、
「…仕方ないな」
血の繋がった家族に向けるような――そんな温かい視線を送っていた。
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