2:3 救世主はステラと話し合う
「ごめんねノア君。今ちょっと部屋が散らかってて…」
モニカの部屋は白色を基調とした家具が沢山置かれていた。化粧台やソファーなど、ショッピングモールの家具売り場で見たことがあるものばかりだ。
「俺の部屋よりはマシだよ」
「そうなの…?」
「お世辞じゃない。本当だ」
ルナによって散らかされた部屋と比べれば、衣類が少し床に落ちているだけでむしろ綺麗な方。「そう、なんだ」とやや言葉を途切らせながらもモニカにカーペットの上へ座らされる。
「お茶とお菓子を用意するね」
「あぁお構いなく。それよりもお礼をしたいから部屋に呼ぶ必要はあったのか?」
「うん。それはね…」
向かい側に座るのかと思えば、モニカは何故か隣に腰を下ろしてきた。隙間などは空けず、身体と身体が触れている状態までこちらに密接をしている。
「ノア君に助けてもらった時、実は少しだけ意識があったの」
「……」
「もうすぐ死ぬんだって諦めていた私を助けてくれたこと…本当に嬉しかった」
モニカは隣に座るノアの手を握り、感謝の気持ちを述べた。
ノアはそれに対して口を開くことも、反応することもなく、黙ったまま話を聞いている。
「だから、ノア君になら何でもしてあげる」
モニカは流れるようにノアの首元まで腕を巻き、自身の胸元まで抱き寄せた。柔らかい触感がノアの顔を包み込む。しかし、男性ならば少しは動揺するはずのその行為を受けたノアの表情はピクリとも動かない。むしろモニカとの距離が近づくたびに、ノアの放つ雰囲気が険悪なものへと変化をしていた。
「私の命の恩人になら身体だって―――」
制服のブレザーを脱ぎ捨て、胸元のシャツのボタンを一つずつ外していく。肌が露になるのをノアは冷たい瞳でしばらく見つめていると、閉じていた口をやっとのことで開いた。
「…手を貸してほしいのなら、正面から堂々と言えよ」
「――え?」
「モニカ。本当はこんなことしたくないんだろ?」
「…! そ、そんなわけ…」
ノアはモニカの手を払ってから立ち上がり、壁付のクローゼットに手を掛けて勢いよくスライドさせる。
「こんなところで覗き見か?」
「どうして、分かったの…?」
そこにはステラやルビーたちが身を潜めて隠れていた。こんな分かりやすい罠にノアが気が付かないとでも思っていたのか、ステラたちの表情は驚きに満ち溢れている。
「助けてもらったことを利用して、モニカに俺へと接触させた。それをやらせたのはステラ、お前だな?」
「ステラちゃん…! やっぱりこんな作戦じゃこの人を騙すなんてこと出来なかった―――」
「うるさいユーナ!」
口を滑らせたユーナにステラが怒声を上げ、クローゼットの中からノアの横を通り過ぎてモニカの元まで近寄った。
「モニカ! もっとちゃんとバレないようにしてよ!!」
「待ってよ…! 私だって頑張ってここまでのことをしたのに…!」
「モニカのせいだ! あなたの下手くそな演技のせいで私の考えていた作戦は―――」
「もういい、黙れステラ」
他人に責任を押し付けようとするステラに少しだけ苛立ちを覚えたノアは、ステラに向けてそう言い放つ。
「お前たちは俺の力を借りて、エデンの園で生き延びようとしたんだろう?」
「そうだよ!? あなたがあんなに強いとは思わなかったんだもん! ただ生き延びたいわたしたちにとっては、これしか方法がなかったんだから!」
「これしかない…だって?」
「モニカとあなたがこのまま一夜を過ごして特別な関係を築けば、わたしたちだってモニカを経由してあなたと接触ができるでしょ!? そうすればあなたの力を自然と借りられて―――」
ステラの言い分はまったく理解が出来なかった。
正面切って「助けて欲しい」の一言だけ述べれば済むことだというのに、なぜ仲間であるモニカを苦しめてまで、そのような遠回しの作戦に出たのか。ステラの品性を疑ってしまう。
「その考えに一ミリも共感できないな。お前が『助けてくれ』の一言を俺へ伝えればいいのに、自分のプライドを守るためモニカを利用して、失敗をすれば仲間を攻めて立てる」
「わたしは悪くない…! 悪いのは…モニカだ! パールだ! ルビーだ! ユーナだ!」
「ステラ、俺が良いことを教えてやる。お前たちが俺に接触をしてくることは、既に予想が付いていた。素直にお前が…いや、五人で助けてほしいと話をしに来れば良かったんだよ。そうすれば俺だけじゃない、俺の同盟内のメンバーたちも手を貸してくれたはずだ」
それは今月の殺し合い週間についての話し合いをしている時のこと。どのように対策を施すかを話していると、ブライトが突然手を挙げてこんな話をし始めた。
「今日の朝さ。ステラたちが頼ってきたらどうするか、の答えを聞けなかったんだけど…」
「…あぁ、それの答えか。俺は断ろうと思っているよ」
「―――え?」
その返答を聞いたルナとレイン以外のメンバーは、何を驚いたのかこちらの顔へと一斉に視線を向けたのだ。そんなに驚かれることかと少々不思議に思いながらも、続けてその理由を述べる。
「人数が増えれば増えるほど目が届きにくくなって、全員が無事に生存できる確率は下がっていく。だったら、目が届く範囲の人数だけで、全員の生存率を高めるべきだ」
「…あなたはやっぱり変わってる。敵は助けるのに、味方は数が多ければ省くなんて聞いたことがない」
「例えどんな救世主でも、すべてを救おうなんて無理な話なんだよ。本当なら相手の対応次第で考えようとは思っていたが…この先のことも踏まえて、ステラたちは切り捨てることにした」
ルナは「その辺りは前世と何一つ変わらない」とノアの顔を見つめていた。
彼女が皮肉の為に付けたノアというアダムネーム。それは元となった『ノアの箱舟』が、救えるものを最低限に抑えて救う姿が初代救世主の彼と似ていたからである。いや、似ているどころかそのままのようにもルナの眼には見えた。
「ノア」
「…? どうしたブライト?」
「ステラたちを、どうにか助けられない?」
「……!」
そんなノアの考えを真っ先に反発したのは、ブライト。
まさかブライトが自分に対して反対の意見を出すとは思っておらず、ノアは思わず目を見開いてしまっていた。
「確かに、ノアの言う通りだよ。仲間は増えれば増えるほど、きっとその数だけ悲しみが多くなると思うから…私たちの精神面で足かせになるかもしれない」
「…ならどうして?」
「私は救世主のことなんて詳しくはないけど…。救世主は最初から誰かを見放したりはしないと思う。救えないかどうかなんて、やってみなきゃまだ分からないし」
ノアはブライトの言葉を聞きながら、歯ぎしりをしていることにルナは気が付く。
「…何度もやったさ」
「ノア? どうしましたか?」
「俺は何度も、諦めずに、沢山の人間を救おうとした。でも、歩んでいく道の先はすべて最悪の結末。だから俺は―――」
「ノア」
感情を高ぶらせているノアの肩にルナは手を置いた。
ノアが初めて見せた怒りと悔しさの感情を目にしたブライトたちは、あまりの衝撃に呆然としている。
「…悪い、今のは気にしないでくれ」
「それでどうするの? ライトちゃんはステラちゃんたちを助けたいらしいよ?」
「これに関しては、俺が判断するべきじゃないかもな。手を貸すか、貸さないかはメンバーの多数決で決めよう」
最終的に多数決で決めることになり「手を貸す」「手を貸さない」の二択でノアはメンバーに意見を聞く。結果は案外、呆気なく決まった。何故なら「手を貸す」の選択に挙手したのは半数以上だったからだ。唯一手を挙げなかったのはレインとノアのみ。あの臆病者のグラヴィスでさえ手を貸すことに賛同していた。
「分かった…。ステラたちには手を貸すことにする」
「…ノア!」
「ただ、向こうの対応次第にさせてくれ。ステラの言動にはやや問題があるはずだからな」
「うん! ありがとう!」
赤の果実のメンバーたちはブライトを中心にステラたちのことを見捨てなかった。対応次第とはいえ、ブライトたちはステラたちが普通に声を掛けてくると思っていたはずだ。
「その結果がこの様。お前の馬鹿なプライドが、ブライトたちの善意を無駄にしたんだよ」
「どうして…!? 教皇からすれば救世主は敵なのに、どうしてそんな易々とわたしたちに手を貸そうとなんて…!」
「…自分のことだけしか頭にないお前には、一生分からない」
ノアはステラを冷ややかな視線で見下ろした。
「ここまでだ。俺はブライトたちとの約束通り"対応次第"…というチャンスをお前にやったからな」
「……なんで」
「ステラちゃん…」
「どうして…!? どうしてみんなわたしのことを見捨てるの!? パパもママもみんなわたしのことを捨てて…!!」
ステラの精神年齢は小学生と同等だった。
このエデンの園にいる生徒は全員が十七歳という年齢。ステラだけが十二歳というわけでもない。エデンの園に来る前の生活が悲惨だったのか、それとも存分に甘やかされていたのか、その真意は不明だがここで優しい言葉を掛けるつもりなど微塵もなかった。
「自分の否を認め、モニカに謝れ」
「嫌だっ! わたしは、わたしは悪くない…! 悪いのはわたしのことを見捨てるやつらなんだ…っっ!!」
ステラは親に叱られた子供のようにモニカの部屋を飛び出して、どこかへと走り去ってしまう。モニカたちも無言のまま、それに対してどんな声を発せばいいのか分からない様子だった。
「…俺は帰るよ」
「……」
「ステラのことでお前たちが俺を恨もうが、殺そうとしようが構わない。後は好きにしてくれ」
静寂に包まれた部屋の中、そこに残された者たちに背を向けて歩き始めたとき
「…待って」
モニカの声がこちらを呼び止めた。
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