同棲
紫乃
第1話 遭遇
最後の講義を聞き終え、すっかり日の落ちた帰路を急ぐ女子大生が一人。彼女の名前は
大学を機に上京して一人暮らしをしており、完全独身貴族を謳歌中。鼻歌を歌いながら、マンションのエレベーターを降りた瞬間、黒い何かが彼女の部屋の扉の前に横たわっているのが見えた。恐る恐る近づいてみると、そこには黒づくめの若い男が苦しそうに横たわっていた。顔は青白く、唇は真っ青だ。浅い息を繰り返している。素通りしようかと考えたが、ぷつんと頭のなかに空白ができたような感覚が一瞬流れ込んだ。その次の瞬間、彼女はどう見ても体調不良だ、と思っていたのだった。そして、ため息を彼女はひとつ吐くと、部屋の鍵を開けてその重い体を自室へ運び込んだ。
客人用の布団を敷きそこに寝かせる。成人男性はあまりにも重すぎて、ただ寝かせるだけに小一時間もかかった。しかも、11月という季節にも関わらず汗だくだ。
環は熱い風呂に入りたい気分だった。お湯を湯船に張る間に、ヤカンで湯を沸かし、白湯を作る。そして、浄水で肌くらいの温度まで下げるとそれをゆっくりとその男に嚥下させた。意識は朦朧としているようだが、飲む力は残っているようだった。男の顔色が先ほどより幾分かマシになっているのを確認した環は湯が立って暖かそうな浴槽へと向かった。
風呂から上がり、男の様子を見ると、スヤスヤと寝息を立てて眠っていた。唇にも血が通っており、明日には十分動けるようになっているだろう。
髪をタオルで乾かしながら、無遠慮に視線を男の顔に注いだが、非の打ちどころのない美しさを湛えていた。それはまるで暗闇の中にポツリと浮かび上がる白い能面のように怪しげな美だ。人間離れしていると言ってもいい。キリッとした眉毛にスッと通った鼻筋、桜色の薄い唇、肌はきめ細やか。目は閉じているためよくわからないが、睫毛が長いためきっと綺麗だろう。しかし、環は一つのことが気になった。
人種がさっぱりわからない。
東洋人でもあり、西洋人でもある。また、東洋人でもなければ、西洋人でもない。そんな不思議な顔立ちだ。しかし、彼女はすぐに今日だけだ、と思いその後の思考を放棄して、冷蔵庫の中の缶ビールのプルタブに手をかけたのだった。
朝起きて、ふと下を見ると男が眠っているのでドキリとしたが、自分で連れてきたことを思い出して安堵の息を漏らした。幸いなことに今日は土曜日で講義もなければバイトもない。カーテンを開けて、背伸びをした。すると、後ろでごそりと動く音がし、振り返ると男が布団から飛び起きていた。
「おはようございます。体調はどうですか」
男は首を傾げる。寝ぼけているのかと思い、彼女はもう一度同じ言葉を繰り返したが、それでも男は首を傾げたままだ。
外国人なのだろうか、と中学英語を思い出しながら同じ質問をするものの、男は再び困ったような顔をする。他にも知りうる限りの言葉で挨拶をしてみたが、男がわかる気配は一向にない。最終手段として、スマートフォンの翻訳機を使おうとしたところで、男が環に待ったをかけた。そして、その場に留まるようにジェスチャーをしたかと思うと、急にこめかみ辺りを右手の人差し指と中指の2本で抑え始めて目を瞑った。何が始まるのかと黙って見ていると、ぷつんと空白が生まれ、頭にノイズが走った。それは段々音が大きくなったり小さくなったりし、他の言語が代わる代わる聞こえてきた。
「何これ!」
環が頭を抑えてパニック状態に陥りかけていると、ようやくノイズが消えて日本語が脳内に滑り込むように聞こえてきた。
『やっとあなたの言葉、探り当てました。日本語というのですね……ああ、そんなに睨まないで。昨夜は助けていただき、ありがとうございました』
「いえ……それよりあなたの名前は?どこから来たんですか」
『ええと、私の名前はソラということで。宇宙から来ました』
「冗談を言う場面ではないかと」
『冗談ではありません。あなた方の言う宇宙人です』
「はあ」
開いた口が塞がらない環に対し、どこ吹く風のソラ。これから彼女たちの同棲生活が始まろうとしていた。
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