貝藤奈津音の初日
貝藤奈津音のスタートは、冒険者ギルド本部のあるサリシア中央国だった。
交易都市メルカルは同じ島にあり、山脈を挟んで正反対の位置に存在する。
選んだ理由は特になかった。強いて言うなら、帝国も連合国もナツネの肌には合わなそうだったからだ。
彼女は、異世界でも音楽活動をしたかった。そこで、最も自由な気風のサリシアを選んだのだった。
実を言うと、芸術活動が最も盛んなのは帝国だったが、それら活動は貴族などのパトロンがあってこそのものなので、彼女が求める物とは相反していた。それに、それら芸術は帝国の伝統を組むものであったため、尚更ナツネには合わなかっただろう。
彼女が一番気になっているのは、周囲からの視線だった。特に、異性からの熱の籠った視線が妙に多い。
魅力のスキルの仕業であるのは薄々察していたが、ONOFFの切り替えができるものではないため、今はただ耐えるしかなかった。まあいずれ慣れるんじゃないかなぁと、ナツネは楽観的に考える。
彼女は、あまり物事を深刻に捉えないタイプで、失敗してもすぐに気持ちを切り替えられる。
サッパリしたその性格は、異性同性問わず人気があり、かつての学校ではムードメーカーとして扱われていた。一部、その軽すぎる物腰を好まない者もいたが、本人のフレンドリーさも相俟って、交友関係は広い。
おかげでラブレターを貰ったり告白されたりは日常茶飯事だったが、縛られることを嫌う彼女はこれらを片っ端から断った。その断り方も、本人の性格に沿ったさばさばしたもので、いっそ清々しいと言えるものだった。それでも、逆恨みをされたりすることがなかったのは、皆ダメ元という考えだったのか、あるいはそう言った感情を抱けないほどに見事にフラれたからか。
そういった恋愛事に慣れている彼女でも、これだけの数の視線が集中すると流石に気恥ずかしい。
中にはナンパ目的に声をかけてくる者もいて、その度に表情を作って丁重にお断りする羽目になった。
かつてのようにすっぱりと断るような真似をしていないのは、声をかけてくる異性が皆武器を携えているからだ。おそらく、冒険者なのだろう。
失礼な断り方をして、首を飛ばされるのは御免だった。
声をかけてきた異性の数が二桁を超え、さすがに辟易してきたあたりで彼女はとある店に目を止めた。
その店のウインドウには、こちらの世界の楽器が並んでいる。
吹奏楽部で音楽を嗜んでいたナツネは、興味を惹かれるままに店内へと足を踏み入れた。
店員に話を聞くと、これらは冒険者用の装備らしい。これら楽器が装備なのかと問いを重ねると、並べてある楽器は全て魔道具であり、音色を奏でることができれば、敵味方の精神に様々な効果を及ぼすと言う。
その中でも、ナツネが気に入ったのは横笛型の魔道具だった。自身が吹奏楽で担当していたのがフルートだったからだ。
そして、深く考えることなく六万ペカもするそれを購入してしまう。
衝動的にこれを買っちゃった以上、冒険者になる道しかないかなぁとナツネは手元の包みを見ながら思う。
それは、自ら危険の只中へと飛び込むようなものだ。生き残ることだけを考えるなら、あまり良い選択肢とは言えないだろう。
「んー。まあ、いっか。買っちゃったものは仕方ない」
これまたいつも通り、逡巡や後悔をあっさりと投げ捨ててナツネは歩き出した。
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