笠木芹香の初日
笠木芹香は、二ホンの伝統を重んじる家の長女として生を受けた。
両親は娘のお稽古事として華道や茶道を勧めたが、セリカはそれらに興味を示さなかった。
彼女が唯一興味を持ったのは剣の道だった。堅物な父に、女性らしい習い事をしろと何度も咎められたが、止めようとはしなかった。それは、両親の言いつけ通りの人生を送ってきた彼女にとっての、ささやかな反抗だったのかもしれない。
やがて、彼女が学ぶのは剣道ではなく剣術になった。
竹刀ではなく木刀を振るようになり、型稽古なども行うようになった。
といっても、無論実戦に即したものではない。
故に、この異世界に来ても彼女は、自身の剣術などが役に立つとは思っていなかった。
彼女のスタート地点は、タイタバル帝国の帝都だった。
タイタバル帝国は、周辺の国家と比べても古い歴史を持つが、対立するリヴァーヴェル魔術連合国ほどではない。この二国は、現在のところ停戦しているが、これまでに何度も戦争を行っている。
理由は、互いの国家の理念が相容れないものだからだ。
リヴァーヴェルは、名の通り魔術の研究を進めて国家の発展を目指しており、対してタイタバルは科学を推し進めて国家の礎にしようとしている。
彼女が帝都を選んだのは、最も二ホンと暮らしが似ていると考えたからだ。
魔術などという得体の知れないものよりは、科学や機械技術の方が信頼できた。
帝都は、想像していたより数倍は洗練された街並みをしており、大通りを中心として規則的に道路が敷かれている。自動車もちらほらと見える。
信号などが見当たらないのは、まだ自動車という物が高級であり、一般市民には手の届かない代物だからだ。保有しているのは、貴族を始めとした富裕層のみ、故に交通ルールは整備されていないのだろう。
馬車と自動車が混在する不思議な光景を横目に見ながら、セリカは舗装された石畳を歩く。
時々見かける、高級そうなドレスの女性や燕尾服のようなものを身に着けた男性は貴族だろうか。シルクハットを身に着けていないのが、セリカとしては残念だった。彼女は二ホンの文化と同じように、伝統ある西洋の文化も好きであり、ノスタルジックな雰囲気に浸っているのだった。
とはいえ、いつまでも当てどなく歩いているわけにはいかない。気持ちを切り替えて、今優先すべきことを考える。まずは、人間らしい生活をするためにも、衣食住の確保だろう。
衣については、化身に今着ている一着を与えられていたが、一張羅というわけにもいかない。
食は商店やレストランを探すとして、住については宿を探すのが無難だろう。
そんなことを考えながら歩いていると、前方からバッグを抱えて駆けてくる人影があった。
その背後からは、「物取りよ!捕まえて!!」という叫び声が上がっている。
異世界に到着して早々にトラブルと遭遇したのは不本意だったが、見捨てるのは気が引けた。
傍にあった掃除用の竹箒を掴み、ひったくりの男の足を狙って振り下ろす。が、男は飛んでそれを躱して見せた。ひったくりをするだけあって、身軽らしい。
口を引き結んで悔しさを噛みしめて男の後姿を見ていたセリカだったが、突如その人影が膝から崩れ落ちた。その先には、サーベルを抜いた兵士らしき姿の男。金属のまびさしを被り、赤と青の服装に身を包んだその青年は、盗人の様子を確かめた後、無線らしきもので連絡を取った後にセリカの方へと近寄ってくる。
バッグを被害者の婦人へと還した後、セリカの方を振り返って困ったような笑みを浮かべた。
「上品な雰囲気を纏っている割に、勇敢なお嬢さんだ」
「は、はい、どうも」
どう返事していいかわからず、曖昧な言葉を呟くセリカ。
「しかし、君の体捌きとその竹箒の扱い。もしや、女性の身で武術か何かを?」
「ええ、剣術を少々」
「剣術か。女性に剣術を教えるような稽古場があるとは知らなかった」
どうやら、この帝国でも女性が分の道を志すのは珍しいようだとセリカは認識する。
「辺境から参りまして。剣術もそちらで学んだ物です」
「なるほど。そういうことなら納得できる」
そう言って、彼は頷いた。
「もしや、近々募集が締め切られる女性近衛の一員を目指しているのかな?」
「女性近衛ですか・・・?」
「その反応だと違うようだな、失礼した。あの罪人の始末は私たちで行うから、君は行っていい」
「ありがとうございます」
「あまり、無茶はしないことだ」
そう言って、青年は最初と同じ笑みを浮かべた。
「女性近衛、か・・・」
無意識にそう呟きながら、セリカはその場を後にした。
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