夢ノ雫 〜Dream Drop Out〜

小桜 丸

第零章 『勤』

第1話『人の可能性は既にありませんか?』


 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



「お前が行くのか……?」

「本当に大丈夫なの?」


 その人間たちは教室の一室で集まっていた。若き希望の象徴を背負わされている六人の高校生たちだ。一人目は勇ましく忍耐力のある人間。二人目は優しく博愛の持ち主である人間。


「別に一人で戦わなくてもいいでしょ……!」

「そうよ! 私たちだってあなたの仲間じゃない!」


 三人目は優劣つけず慈悲深い人間。四人目は清らかな心を持ち純粋な人間。


「わたくしも同感ですわ。あなた一人に全てを背負わせるのはあまりにも残酷な話でしょう?」


 五人目は規律を守り節制な人間。五人の人間は残りの六人目の人間を説得しようとしていた。


「……頼む。俺一人にやらせてくれ」


 忠義を果たし正義を信じる人間。その人間が手に持つ一通の手紙には、【人の可能性を示せ】という文と共に街から少し離れた森の場所が書かれている。誰かのいたずら。それも充分に考えられるが、どうしても行かなければならない理由があった。


「あたしらは六人揃って生徒会だろ!? どうして突然一人で行こうなんて……」 

「――勝てないんだ」

「勝てない?」

「きっと六人でも勝てない。それなら俺が一人で行けば、お前たちを危険な目に合わせなくて済むだろう」 


 六人の人間をまとめるのは、正義を執行しようとする人間だ。そう断言されてしまえば、他の五人は立場上何も言い返すことが出来ない。


「もし俺に何かあったら、妹とこの学校を頼んだぞ」

「ねえ待っ――」


 六人が五人へと欠けたとき。教室に残された希望の象徴たちは、立ち尽くしたまま顔を下に向け、自分の非力さを呪った。彼女らに負け犬は帰れと言わんばかりに、下校時間を告げるチャイムの音が学校中に響き渡る。


「…終わりよ。私たちはもう」


 ――それは希望の終わりを告げる終幕の鐘の音なのかもしれない。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆




「――ぐぅっ!?」


 そこはただ緑がどこまでも続く平原。一際目立つ白色の制服を着ている彼は、顔を地に着けてうなだれていた。そんな彼は声にならぬ悔しさを、歯ぎしりの音に変えて感情の高ぶりを見せている。


「――人間さん、哀れだね」


 白のワンピースを纏う赤髪の少女。肩まで伸びるその赤髪が風に吹かれ、緑しか続くことのない平原に色を与えている。赤髪の少女は、白い肌をワンピースの隙間から覗かせることを気にせず、その場にしゃがみ込み彼の頭に人差し指を置く。


「この勝負は人間さんの負け。だから、"この世界を正す"ことにします」

「や、めろ」   

「やめろって…?」


 彼の言葉に対して少女は優しく笑みを浮かべ、人差し指を真っ青な天に向ける。雲が流れ、鳥が飛び交い、平和を象徴するのに相応しいその空間に、


「身の程知らずだね、人間さん」

「がはっ……!?」


 似つかない轟音が響き渡った。人差し指を振り下ろし、再び彼の頭に置いただけ。赤髪の少女はただそれだけの動作で、彼の頭を平原に無理やりねじ込ませた。


「人間さんたちが作った"社会"・"法律"・"文明"。その存在をいつ私たちが認可したの?」

「ふざけるな……! お前たちが俺たち人間を生み出して…」

「確かにわたしたちが生み出したよ。でもね――」


 指を軽くひょいと上に向けると、彼の顔が宙に浮かび、赤髪の少女のいる方へ無理やり向かされる。顔面土塗れ、口からは血を吐き出し、左目付近に青あざが付いていた。醜い――表すのならそれに尽きる姿。

 

 そんな彼に少女はこう告げた。

 

「――失敗作だから仕方ないでしょ?」

「失敗作、だって? 俺たち人間はお前たちの玩具なんかじゃ」

「玩具だよ。人間さんは"ミンナ"」


 赤髪の少女の無邪気な笑みによって、身体中の神経が逆撫でされるような感覚を覚える。思わず彼は口をつぐむ。その少女の前では、すべてが無力だった。


「世界は創り直される。正しき"罰"と正しき"制裁"によってね」

「そんなこと絶対にさせ――」

「負けても抗うその根性は認めてあげる。でも、負けは敗け。人間さんはわたしに人の可能性を見せることが出来なかったの」


 彼の顔を覗き込むその紅色の瞳は、心の奥底にある彼自身のすべての歴史を見透かすようだった。いいや、見透かしていたのかもしれない。――人間が必ずしも抱く"殺意"や"憎悪"さえも。

  

「武力で制圧でもするつもりか……? それならお前たちも、俺たち人間と何も変わらない」 

「甘いよ人間さん。わたしたちはそんな手間のかかることはしない」 

「ならどうやって……」


 少女は小指を下に向けて拳を握り、親指と人差し指を開いて鉄砲の形にして、彼の眉間に突き付けた。彼はごくりと唾を飲み込み、少女の瞳を睨みつける。


「その回答は"夢の中"で見つけてね」


 ぱんっと口で乾いた発砲音を少女が真似すると、彼の額から綺麗な紅色の血が噴き出す。緑色の平原を真っ赤に濡らし、少女の白いワンピースも真っ赤に染め上げる。


「すまない、かえ――」  


 薄れゆく意識の中で彼は大切な人の名を叫ぼうとしたが、その声は届かない。彼の視界は真っ赤に染まり、意識は真っ青な空へと吸い込まれていった。


「……なーんてね」


 少女が軽く指を鳴らすと、彼の額の穴は塞がり途絶えたはずの意識が戻る。何が起こったのかを理解できない彼は、荒い呼吸を抑えるために胸を強く握りしめた。一瞬だけ見えた"死"。体が徐々に冷たくなり、心臓の鼓動が聞こえなくなる感覚。"死"を一度経験した人間は、生きていることに対して絶望する。


 "もう一度死ななければならないのか"と。

 

「死ぬのって怖いでしょ? わたしたちはこんな風に人間さんを消すつもりはないよ」  

「げほっ、ごほ……っ!」

「わたしたちはこんな簡単に人間さんたちを"再生"することができるんだ」


 彼は体の震えが止まらなかった。いや、止められなかった。見下ろしてくる赤い髪の少女の手により、正に玩具のように破壊され、修復された事実がより一層彼を恐怖のどん底へと突き落したのだ。


「ねえ人間さん。人間さんは夢を見たりする?」

「夢、だと?」 

「そう夢。わたしたちは夢の中に人間さんたちを閉じ込めちゃおうと思いますー!」


 夢の中に閉じ込める。自分を一度殺し再生させたこの少女の言葉を、彼は疑う余地すらなかった。人間の彼には想像つかない方法で、赤髪の少女は人間たちを消そうとしているのだ。

 

「もし人間さんの言う通り、この世界の人間たちに可能性があるのなら……。何事もなく世界は回り続けるから安心して」  

「何だって? お前は人間たちを消そうとしているんじゃ……」

「でーも! 人間さんたちが現在いまの世界に少しでも嫌気がさした瞬間、その人は夢の中に閉じ込められて、現実世界とはおさらばしちゃいまーす」


 この話が冗談だったらどれだけ良かったのか、と彼は冷や汗を掻く。その少女の軽はずみな発言一つで、世界の辿り着く結末が変わってしまう。

 

 彼は仰向けになりながら、その少女を止める方法を模索していた。 


「あ、そうそう。もしまだ抵抗するようだったらー……」


 ―――本当に死んじゃうよ?


「……!」


 しかし考えが読まれていたことに驚きを隠せない彼は、目を見開き近づく少女の顔を目の当たりにする。幼い少女らしさが消え失せ、倒れている彼を見る目。それは羽を失い、地の上で踠き苦しんでいる蝶へ送る"憐れみ"に似ていた。


「人間さんは私に敗けたの。往生際が悪いのは嫌われちゃうよ?」 

「なぜ、俺をすぐに殺さない?」

「そもそもわたしたちは、人の可能性を見せてもらいたいだけだからね? 人間さんたちの中で、最も可能性を秘めている人間さんがどんなものなのかを試したいだけで、消すために呼んだわけじゃないの!」


 そう語る少女を見上げながら、彼の頭の中には二つの疑問が浮かんでいた。


 一つ目はこの少女が何者なのか、ということ。容姿とは裏腹にあり得ない考えと計り知れない能力を持っているこの少女が、人間ではないことを嫌でも理解していた。


 二つ目は先ほどから「わたし」ではなく「わたしたち」と称していること。この少女一人ではなく、数人によって何かが行われようとしている。この少女のような化け物が何人も存在する。それは彼を更に絶望させる史上最悪の情報だった。   

 

「人間さんはよく頑張ったと思うからー……"永遠の眠り"をプレゼントするね」 

「……ッ!!」


 意識が揺らぐ。死を目前にした時とは違う意識の揺らぎ方。これは睡魔だ。彼はすぐにそう悟った。この少女は消しはしないと言ったが、ただで逃がすとは言っていない。


 永遠の眠り。体は生きているが、意識だけ永遠に失った状態。そんな半生半死なんかよりも、ぽっくりと逝ってしまった方がマシだった。世界がどうなるのか、最後まで見届けることもままならない彼は、残してきた五人の仲間と妹のことが頭を過る。彼女たちが唯一の希望だった。その希望たちに任せることしかできない身勝手な自分を許してくれ。

 

 彼は最後の最後まで悔いる気持ちを心に抱き続けながら、その世界から意識を手放した。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



「……?」


 リビングで皿洗いをしている彼女はふと顔を上げる。普段は夕方過ぎ頃に帰ってくるはずの兄が帰ってこない。いつもの帰宅時刻を過ぎてからそのことで頭が一杯になり、不安を抱いていた。


「……連絡もつかないし」


 何度か連絡を試みたが一向に返信が返ってこない。彼女は兄が夜に遊び歩かないということをよく知っているため、尚更不安に陥っていた。


「きっと…大丈夫、だよね?」


 もしかして携帯電話をどこかに落として探しているかもしれない。それか生徒会の仕事で手が空かないのかもしれない。理由は色々思い浮かぶ。彼女は皿洗いを終えると、食卓に並んでいる夕飯にラップをかけ、自らの寝床へ着いた。一人で眠るのはこんなにも寂しいものなのか、と孤独を感じながらも目を瞑る。


(…胸騒ぎがする)


 勘がよく当たる彼女は「気のせいであってくれ」と強く祈りながら、深い眠りへとついた。

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