12.モーラス島(マナス王国中部州アドレーゲ海)


 濃い色の青空の下に、エメラルドグリーンの海が広がっている。

 白い帆が風をはらみ、海と風とを切り裂くように船が進んでいる。南の海、そして暑い季節が近づいてきていこともあって、肌に汗が浮かんでくるような陽気だ。吹き抜けていく海風が心地よい。

 海鳥が船に併走するように空を飛んでいた。


 今、モーラス島に向かうかたわらで、ロナウドが後方デッキで大型の魚を狙った釣りをしている。

 餌は疑似餌ぎじえといって模型の魚のようなもので、針は私のこぶしぐらい大きい。釣り糸などもミスリルを編み込んだ特製の糸で、釣り竿に至っては船縁に固定されているばかりか、ミスリル合金製で強度と粘り強さを兼ね備えた妙に凄い技術が用いられている。この技術開発だけでも釣り人の執念恐るべしと思わないでもないが、このような道具で一体なにを釣るつもりなのだろうか。


 先ほど疑似餌のついた針をポーンと投げ込んだあとは、船長さんの操作によって船は速度を上げて海を進んでいる。舳先から立った白波が後方に2筋の白い跡をのこし、そこに釣り糸がのびていた。


 釣りを教えてくれる船員がロナウドと何かをしゃべっている。きっと緊張をやわらげようとしているのだと思うけれど、そんな2人を見ていると私の期待も高まっていく。


「来た!」


 船員の鋭い叫び声に、瞬時に反応したロナウドが竿を操作する。「いいぞ! かかった!」

 途端にギュルギュルと音を立ててロール状に巻いた糸がドンドン伸びていく。しかしその一方でロナウドが竿を立てながら糸を巻き、海中の魚と綱引きをはじめた。「うおおぉぉぉ。――重い!」

 身体強化をしたロナウドでもビクともしない竿。糸を巻く手がブルブルと震えていた。もちろん船員さんもロナウドの竿を一緒に引っ張っていて、魚の強い力と対抗しようとしている。糸を伸ばしては糸を巻く、また糸を放出する。その繰り返し。「頑張れ! 向こうが疲れるまでの辛抱だ」


 とっくに汗だくになっているロナウド。見ている私だって手に汗を握っている。一進一退の攻防が延々と繰り広げられていく。


 およそ30分が過ぎただろうか。まだか、まだかと思い始めた頃に、竿の重さが軽くなったようだ。「よし! スタミナ切れだな。巻け、巻け巻け巻け!」

 船員さんが指示をするが、力を入れすぎていたロナウドの手はブルブル震えていて、うまく巻き取れないようだ。――がんばれロナウド。

 筋肉疲労が溜まっているのだろうからと、回復魔法を掛けてあげる。ちらりとこっちを見たロナウドだったが、すぐに糸の先を睨みながら凄い勢いで糸を巻きはじめた。


 船員さんが船縁から糸の先を見ている。目を細めて鋭く海中の魚を射貫くように見つめている。「あれは……カジキオヌスだ。やったな!」

 一体どんな魚かわからないけれど、とにかく凄いのだろう。「バレないように注意しろ」という新たな指示に、わかっていなさそうなロナウドが「おおっ」と返事をして、さらに糸を巻く速度を上げた。

 やがて私の目にも海中をこっちにたぐり寄せられてくる魚の影が見えてきた。――大きい。海中だから正確な大きさはよくわからないけれど、大猪くらいのサイズの何かがゆっくりと回転しながら近づいて来ていた。


「あと100メートルだ。頑張れ!」と船員さんが言ったときだった。突然、魚がスタミナを取り戻したかのように再び暴れ出した。くっと苦悶の声を挙げるロナウド。船員さんが少し慌てた。「――くっ。バレるなよ。バレるなよ」とつぶやいている。


 高く持ち上がった竿の先、そこからピンと張りつめた糸が、右に行ったり左に行ったりしている。波間から飛び出した銀色に輝く大きな剣のような魚。思わず「おおお」と声が出てしまった。


 やがて魚の動きが変化した。ロナウドが必死で糸を巻いていくが、力が拮抗しているのかブルブルとゆっくりとしか巻き上げられないでいる。糸の動きを見た船員さんがつぶやいた。

「やばいな。あいつめ。船体の下に潜り込んで糸を切ろうとしてやがる」


 私は一計を案じて魔力球マギ・スフィアを取り出した。ロナウドに「手伝うね」と一声掛けると、それどころでないロナウドが「頼む!」と言う。……言質はいただきました。では――。


 魔力球を遠隔操作して海中へと沈めていく。そして逃げ回っている魚が近づいて来たところで。「スパーク」と魔力を電撃に変換して爆発させた。

 一瞬にして海の表面を電撃の金色の光が走って行く。そして――、釣ろうとしていた魚が抵抗をやめたのだった。

「うわ……、すげえ」とつぶやいた船員さん。

 ロナウドが口元に苦笑いを浮かべながらも「ナイス!」といい、今のうちとばかりにもの凄い勢いで糸を巻く。そして、とうとう魚は船縁近くまでやって来た。


 それを見た船員さんが返しのついた長いツルハシのようなものを持って来て、その魚の頭の下辺りに突き刺して引っかける。そのツルハシにはロープが付いていて、船員さんの「引いてくれ」の合図で後方デッキに備え付けのクレーンが動き出し、ロープが巻き上がっていく。やがて船縁を乗り越えるように甲板に飛び込んできたのは、想像以上に大きな魚だった。


 全長3メートルほど。全身が鋭い刃のように銀色に輝いているなか、背中のヒレだけが綺麗な青緑になっていて美しい。魚市場の魚しか見たことがなかったけれど、こんなにもキラキラと輝いているのは初めて見る。

 細長い魚なんだけれど、それでも胴回りは私の倍はある。船員さんがロナウドとハイタッチをして、「キング・カジキオヌスにしては普通サイズだが、350キロってところだな」と見立てを教えてくれた。このサイズで普通って、どれだけ大きくなるのか想像もつかない。

 最後こそ私の魔法で麻痺させてしまったが、ロナウドが無邪気に喜んでいるところを見ると、相当に楽しかったのだろう。


 ちなみにそのカジキは船長さんが買い上げてくれることになり、ひとまず船の冷凍庫行きとなった。



◇◇◇◇

 モーラス島は周囲が20キロほどの島だ。

 海岸沿いから中央の山までなだらかな斜面となっている。人々が住む町は海岸沿いに集中していて、山の低いところは共有地、そして奥の方は立ち入り禁止区域になっている。なんでも古来からの伝統として島の神を祀る神殿があるらしく、年に3度の決まった祭日以外は何人も立ち入り禁止だという。


 到着した港こそ旅人用のこじんまりと綺麗な建物があったが、その左右にはいかにも地方の港町といった光景が広がっていた。それがまた平和でいいと思う。

 島の西側には旅人用の宿泊施設もあって、そこでは大海原に沈んでいく夕陽を見ながら大露天風呂を楽しめるらしい。もちろん、今回の旅の目的地はそこ。というわけで、上陸手続きをした私たちはさっそく宿に向かうことにした。


 もう今日の漁は朝のうちに終わっているのだろう。いくつもの漁船が繫留けいりゅうされていて、漁師の男の人たちが網を整備していた。船の帆を支える横木に停まっている白い海鳥たちがおこぼれに預かろうと何かを狙っているようだ。

 濃い青色の晴れ渡った空に白い雲、のどかな漁港の風景に、潮の香り。ここで暮らしている人々の息づかいを肌で感じながら、2人でてくてくと歩いて行く。

 いつか冒険者を隠退したならば、こういう暮らしをするのもいいと思う。


 そういえば学芸都市マールでの依頼はどうしたのかって思う人もいるだろう。少し言い訳しておくと、今回のは急ぎの依頼ではない。そして、このモーラス島への航路は中部州からのものしかないのだ。つまり東部州にあるスタンフォードに向かう途中に、ちょっぴりだけ寄り道をしているというわけ。

 ……決して、にべったりとしてくる父に会いたくないからではない。昔はあんなにひどくなかった。過保護になったのは例の追放になった事件が解決してからだけれど、まあ、それも関係ない。関係ないったらない。そのことを強調しておく。


 小さなトンネルを抜けると商店街があり、その向こうに本日の宿「マール」があった。名前はモーラスの言葉でシンプルに「海」を指すらしい。

 中に入ると、海がよく見えるガラス張りのロビーがあって、そこに受付カウンターがあった。島の女性なのだろう。よく日に焼けた20歳くらいの女性が手続きをしてくれる。


 彼女が来ているのは濃いめの赤のふわりとしたワンピース。明るい大きな花柄の模様が描かれていて、いかにも海辺の街と晴れた空に似合いそうだ。何でもここ地元で作っている服で、本来は祭りの時に女性が着る服なのだそうだ。もっとも普段使いして悪いと言うことではないらしいので、欲しくなった私は彼女から取り扱っているお店を教えてもらった。


 部屋は白を基調とした清潔感がある部屋で、編み込まれたラタンの鉢カバーに観葉植物のヤシが置いてあり南国気分を盛り上げてくれる。

 それにしても……、窓から見える空と海のなんと美しいこと。こうして見ているだけで、明るくエネルギッシュな気持ちになってくる。

 さあ、まだ時間は早い。さきほど見た商店街でものぞきに行ってこよう――。


 商店街ではフルーツドリンクのお店や貝殻で作った雑貨のお店、南国の何とかいう野菜から作ったお酒のお店などがあり、なかなか楽しかった。男性も女性も薄手の服を着ていて、陽気な表情をしている。路地裏では上半身裸になった子供たちが、ボールを蹴っ飛ばして遊んでいた。女の子も短い上着でおへそを出した服装で、男の子に負けずに遊んでいてほほ笑ましい。


 宿に戻って夕方近くなるまでゆっくりしてから、2人で大浴場に向かった。ここのお風呂場は、より海面に近い露天風呂と、海が時化しけていても大丈夫な建物内部のお風呂場の2つがある。私たちが入ったのは露天風呂だ。

 階段を降りて海より少し高いくらいの所まで降りた場所に露天風呂がある。さっそく女性用の方へと入って服を脱ぎ、浴場に出ると真っ先に広大な海が目に飛び込んできた。


 寄せては返す波の音に誘われるように、大きな石で組まれた浴槽に近づいた。身体をお湯で軽く流してから、そっと足から湯船に入る。温度はぬるめでプールのようだったけれど、今日みたいに暑い日にはこれくらいがいいだろう。

 無色透明でツルッとしていると書いてわかるだろうか。さっぱりとしたお湯で気持ちが良い。


 夕方が近くなって何となく空がかげってきたけれど、まだまだ日中の暑さが残っている。それにしても絶景だ。他にお客さんはいなくて、この景色を独り占めできていると思うととても贅沢だと思う。これが見られただけでもモーラスに来て良かった。


 浴槽のヘリに腰掛けて海を眺めていると、不意に「おーい。セシル」と声がした。え?っと思いながら声の出所を探すと、なんと男性風呂との境目に結構大きな隙間があって、そこからロナウドが見えていた。

 ギョッとしながら、あわてて浴槽に身体を鎮める。

「俺だけだから大丈夫だ」

 それを聞いて安心する。……まさか隙間があるとは。随分と無防備でいたなとちょっと反省。ロナウドだけで良かったよ。

 折角なので隙間越しにロナウドをおしゃべりをすることに。露天風呂で壁越しに話をする。こんな経験も初めてだから何だか面白い。


「もうっ。すごく焦ったよ」「ははは。オレも驚いたけど、そっちの浴槽全体が見えるわけじゃないよ」「海側の一部分だけ? 後で入るなら気をつけないと」「そんときはまた俺が声を掛けるさ」「あのね……。こっちに私以外の人がいたらどうするつもり?」「そんときは誰も返事しないだろ」「それはそうだけどさ」「こうして話をしていれば夫婦だってわかるだろ」「だからと言って良いわけじゃないでしょうに」「そうか?」


 取り留めない夫婦の会話ですので、これ以上書くこともないと思う。楽しかったのは否定しない。景色も良かったし。


 まあ、そんなことがあってから一度お部屋に戻って、それから夕食を取りに食堂に向かったのでした。

 どうやら宿泊客はほとんどいなかったようで、食堂は島の人たちも来ていて賑やかになっていて、そのお陰で魚の煮付けに貝の網焼き、ショーチューとかいうお酒と。地元の海鮮料理とお酒を楽しむことができた。もっともしまいにはかなり混沌としていたので今回はここまでにしようと思う。

 太陽と絶景の海、そして陽気な人たちが住む島。それがモーラス島である。

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