11.王都イグナス(マナス王国中部州)


 旅行で王都に行くのなら、いつの時期が良いのか。

 もしそういう質問を受けたのなら、私は迷いなくこう答える。雨の季節か、秋がよいと。


 秋は言わずもがな、紅葉の季節。色づいた公園の木々も素敵だけれど、広葉樹が植えられている街角もロマンチックな雰囲気になる。

 けれど、それにも増して風情があるのは雨の王都だろう。シトシトと降る雨に濡れた街並みは情緒があって美しい。……もっとも雨を楽しめるは旅人くらいのもので、その場で暮らしている人にとっては厄介な季節ではあるが。


 ロナウドと2人、乗合馬車に揺られて王都に到着したのは、しかし、シトシトどころか、ザアザア雨が降っている時だった。雷こそ鳴ってはいないが、王都に入るまでの道はぬかるんでいて馭者ぎょしゃの人は随分苦労したようだ。

 王都に入る手続きを終えて、乗合馬車を降りる。強い雨に閉口しながら、そのまま乗合馬車の待合い室で弱まるのを待った。


 同じように待機している乗客と一緒になって、雨に煙る街並みを眺める。さすがにこれだけ強い雨だと、出歩いている人はまずいない。

 雨に直接打たれたわけでもないのに、いつしか服がしっとりと湿っていて、少し肌寒くなる。雨はさらに小一時間降り続け、ようやく弱まって霧雨のようになった。


 フードをかぶりレインコートに身を包んで大通りを歩く。

 石畳の道が、建物の壁や窓、街灯、そして街路樹がしっとりと濡れていて、雫をたたえている。冷気がまだ残っていて空気がひんやりとしていて、どこかもの寂しいようなそんな気持ちになる。この情緒たっぷりの世界こそ、雨の王都の良いところだ。


 ロナウドのたくましい背中を追いかけるように歩いて行くと、ふと商店の地区へと入った。多くのお店がひしめき合っている場所は、記憶にあるのとは全くその様相を異にしていた。なんと左右の建物から通りをすっぽりと覆うように屋根ができていたのだ。


 あたかも街全体が一つの大きな建物のようになっていて、その入り口には「バザール」と書いてある。王都は久しぶりだったけれど、この変貌には驚かされた。

 しかしなるほど、雨の日であっても中では買い物に来た人々が多く歩いている。便利になったと思わざるをえない。


 ロナウドも通りを覆っている屋根を見上げ、「へぇ」なんて言っている。

「面白そうだ。折角だし中を通り抜けて行かないか」

「私も入ってみたいし、いいよ」

 こういう時は息が合う私たち。会話もそこそこに通りに入る。


 入り口のスペースは広く取ってあって、そこでレインコートを脱いだり着たりをできるようになっているほか、馬車などの乗降スペースにもなっていた。

 大きな廊下のようになった通りの天井には、ところどころに色ガラスがはめ込まれていた。曇天や雨の日は無理だけれど、晴れた日には木漏れ日のように差し込む光が美しく輝いて見えることだろう。


 基本的に通りの幅はかつてと変わりがないようで、買い物を楽しむ人々の姿や、設置されたベンチに座っている人の姿などがある。そんな人混みの中に、はぐれないようにロナウドと手を繋ぎながら入り込んだ。

 気分的にはお忍びのプチデートという感覚で、なぜかワクワクする。王都に居た時代のほとんどは、学園生かつ令嬢時代だったからだと思う。


 山のように商品が積み上がっているお店、はたまた壁一面に履き物をつるしているお店、軽食屋台と雑貨屋が合体したお店などなど。実に多彩なお店が並んでいる。茶葉のパック売りやドリンク専門の屋台、貸本屋に乾物ばかりを置いているお店、毛皮や見慣れない生地をロールにしている生地屋……。新しいタイプのお店もあれば、どこかで見たようなお店もある。

 こうして歩いていると、何も買ってはいないのだけれど不思議と楽しくなってくる。きっと宝探しに似ているからだと思う。残念ながら、移動の途中である私たちには大きな買い物はできないけどね。


 さて、そうやってブラブラしながら通りを歩いて行くと、商店街の反対側に出てしまった。入ってきた所と同じように屋根付きの広いスペースがあって、そこから先は屋根がない。

 雨は……、いつの間にか完全に上がっていて、雲間から少し晴れ間が顔を覗かせていた。あちこちの雫が光を浴びて、街全体がキラキラと輝いているように見える。足取りも軽く、私たちは空の下へと繰り出した。


 今日のお宿は「リルキュア」という。実はここはロナウドの剣の先輩であるベアトリクスさんの関係者が経営している宿。表向きは冒険者用の宿だけれど、実は各地に散らばる彼女の拠点の一つだ。

 彼女はこうした拠点を利用して、戦災孤児などを見つけては引き取ったりしている。前剣聖オルドレイクの1人娘にして、宝剣ディフェンダーの継承者である現剣聖である彼女が、なぜそうした慈善事業を行っているのかわからないけれど、私には真似できない凄いことだと思う。

 そうやって彼女に助けられた子供たちは、大きくなっても彼女を慕っている。私も彼女に助けてもらったことがある。だから彼女を慕う人たちの気持ちはよくわかる。


 よく人は言う。夜には必ず朝は来る、降り出した雨はいつか止んで晴れると。……けれど人によっては明けない夜もある。迷宮のような雨もある。辛いとき、自分の力ではどうにもならない時、そんな苦難の時を彼女に手を引かれて乗り越えることができた。――彼女は、私なんかよりも聖女にふさわしいと思う。格好いいし。


 路地を進んで目当ての看板を見つけドアを開けると、カランカランとベルの音が鳴った。中は食堂スペースになっていて、すぐにベルを聞いた宿のおじさんがやってきた。

「やあ、食事かい? それとも泊まりかい?」

 見た目はごく普通のおじさんだけれど、なかなか侮れない情報収集能力を持っていることを私は知っている。今もロナウドと私の顔を見て、名乗らずとも私たちが誰かすぐにわかったようだ。


 2、3日泊まるということで代金を支払い、鍵を渡される。部屋は2階の一番奥だった。

 実は王都も温泉が出る土地だったりする。けれど湯量がそれほど多いわけではないため、ほとんど王城や貴族の家ぐらいしか引いていなかった。もう一度言おう。引いていなかった。過去形である。

 さっきのバザールで見つけたのだけれど、その少ない湯量の温泉のお湯を利用した共同浴場が新しくできていたので、さっそくこれから行こうと思う。


 着替えを持って宿リルキュアを出発。バザールへと逆戻りし、まっすぐお風呂へ向かう。石組みの大きな建物の前でロナウドと別れ、女性用の方へ。少し長めの廊下を歩いた先に受付があった。

 入湯料を支払う時に聞いてみたのだけれど、いくつかのコースがあるらしい。共同浴場なのにコースってどういうことだろうと思ったけれど、実はここ、蒸し風呂なのだ。そこで、蒸気で汗をかいたあとにあかすりやマッサージのサービスがあるのだとか。


 折角なので両方お願いしたい。そこで標準よりちょっと上のコースをお願いすると、手首に巻く緑色の布を手渡された。コースの種類はこの布で判別がつくそうで、中のスタッフにそれを見せてサービスを受けて欲しいとのこと。

 蒸し風呂なんて初めてなのでドキドキしながら脱衣場へ。ささっと服を脱いで袋に詰めて、荷物預かり所に預ける。準備ができたら「浴場」と看板のある扉へ。


 中へ一歩踏み込むと、とたんにモワッと温かい空気に包みこまれた。蒸気で充満しているこの浴場。横の広さは普通の大浴場のように広い。けれど天井がすごく高かった。壁も床も明るいクリーム色の石材を使用していて、まるで大貴族の家の大浴場みたいだ。


 壁沿いに小部屋のような窪みが幾つも並んでいて、そこの1つ1つに横になれるような台がある。どうやらあの台でくつろぐようだ。さっそく空いている窪みに行って台座に腰掛けてみた。

 白い台座は大理石でできている。触ってみるととても温かくて心地よい。他の女性達がしているようにタオルで腰を隠して仰向けになってみた。台座自体は固いけれど、ほどよい熱がじんわりと皮膚から浸透するように伝わってくる。


 なるほど、これは良いかもしれない。時おり通り過ぎていく人の気配があって、自分の裸をまじまじと見られているようで恥ずかしいけれど、すぐに気にならなくなる。まるで大地の上に寝そべっているような感覚。

 蒸気で充満しているせいもあって、すぐに肌から玉のような汗が湧き出した。普通の温泉ではないので、お湯に浸かって肌の張りがどうのこうのといった効能はわからない。けれど、こういう温泉はこういう温泉でアリだと思う。



「――垢すりとマッサージのサービスはいかがですか」

 女性の声に我に返る。……どうやら気がつかないうちに眠っていたみたいだ。起き上がって見ると、ここのスタッフだろう女性がいる。「そうね。お願い」と言ったものの、実は垢すりなんてものも初めて。お風呂上がりのマッサージは令嬢時代に経験があるけれど、はてさて垢すりとはどんなものなのでしょうか。


 答え。凄かったです。ぎゅっと絞るように擦られるというか。これはこれで気持ちが良い。古い汚れが綺麗さっぱり落ちたような気持ちというか、殻を脱ぎさったというか、新しい自分に生まれ変わったような爽快感というか、とにかく凄い。

 その後、続いてハーブの香りのする石けんを泡立てられて、身体を洗われる。正直ちょっと恥ずかしいしくすぐったい。けれど、普通のハーブ石けんじゃないみたいで、凄く香りが立っている。これで標準コースのちょっと上とは侮れないね。驚き。


 全身泡だらけになった後で、さっとお湯を掛けて泡を流された。流れたお湯は台座の下の排水溝へ。濡れた台座が乾いてきたところで、次はマッサージ。身体を洗ってくれた女性が、籠を持ってやって来て台座の上に厚手のクッションシートを敷き、うつ伏せになるように指示をされる。


 背中にオイルを垂らされ、それを延ばし、さらに少し痛いくらいの力でマッサージをされる。肩、背中、首元、腰、お尻、足。終われば今度は仰向けに。顔を念入りにマッサージ。侍女がやってくれたのとは違って思いのほか力強く、途中で顔を引っ張られてうひゃあと言いたくなることも。間違ってもロナウドには見せられない姿だ。


 でもね。終わった後は驚くほど引き締まった感じになる。これは鏡を見るのが楽しみ。思ったけれど、ここって王都の女性達から大人気なのだろうと思う。お客としてはもちろん、スタッフとして働くのも。マッサージスキルを身につけられるのだから。


◇◇◇◇

 予想外に時間がかかってしまった。ロナウドはとっくに外で待っているだろうけど、今の私を見てなんて言うだろうか。ドキドキしながら私は浴場を出た。長い廊下を通って外に出る。

 今の私はひと味違う。雨上がりの空気のように透明でスッキリしている。

 さあ、ロナウドよ。私を褒め称えるが良い……って、あれ? いない?

 おかしいな。どこに行っちゃったのだろう。


 左右を見ながら歩き出したところで、「おっ、セシル。こっちだ、こっち!」と声が。振り向くと、妙に色艶を増したようなロナウドが近くの屋台の椅子に座っていた。

 なんだかいつものロナウドと違ってて、正直とまどう。


「セシルも垢すりとマッサージをしたんだろ?」

「ま、まあ……」

「だよな。肌が明るくなってるし」

 その続きの言葉。それが欲しいんだけど……。

「ほらほら席を取っといたよ。飲もうぜ」

 いや、だから続きの言葉! 綺麗になったとか、何かないの?


 仕方なく、「で、どう?」ときいてみた。無理矢理言わせるようで嫌だけど、こうでも言わないと気がつかないこともある。

「うん? いや綺麗になったっていうか。別に今までも不満はないしな」

 ぐぬぬぬ。足りない。全然足りない。というわけで、ドンと乱暴に椅子に座って太ももをつねってやった。不満はないだろうが何だろうが、ちゃんと褒めるべき時には褒めなさい。まったく……。


 内心でため息をつきつつ、とりあえず乾杯をする私であったが、ロナウドと一緒に飲んでいるうちにすぐに良い気分に。


 はあ、こういうところは似たもの夫婦。色気より食い気である私とロナウドなのでした。



―――――――

……くっ。オチがない。

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