第131話 囚われのピエロ

 シャルハットは、『義務』を抱えている。



 シャルハットはイタリアで生まれ、イタリアで幼き日を過ごした。

 彼は子供の頃から生きるため仕事をしてきた。


 スリである。


 彼はスラムの出身だった。貧困な生活、住んでいる街の治安は悪かった。

 彼には両親とされる人間がいた。しかし、その自称父にシャルハットは日常的に暴力を振るわれていて、その結果シャルハットは疑い深く、よく人を観察するようになった。

 しかし、意外にもシャルハットは、そんな過酷な環境下でも笑顔の絶えない少年であった。なぜなら人生は嫌な事ばかりではないからである。


 例えば、スった相手が偶然金持ちだったとか、自分より弱いものを痛めつけているときとか、自分は「強者の側」にいると信じ切った人間を突き落すとき、いろんな楽しみは転がっている。

 スラムはそういう小さな幸せが、無造作に転がっていた。


 ここで生きるのはきっと『義務』なのだ。そういう運命さだめの元生まれたのだから仕方ない。

 必要なのは、どうやって人生を楽しむか。『義務』に縛られながらどうやって理不尽な世界を謳歌するかである。


 そんな彼は、14歳の春に魔術団にスカウトされた。

 魔術の才があったのだ。


 このままスラムにいればいつ死んでもおかしくない。シャルハットは魔術団の元へ行くことを即決した。

 結果、暮らしは一転して豊かな物になった。楽しいことは増えた。


 ――だから、シャルハットは人を殺める仕事も嫌な顔せず引き受けた。

 

 すべては『義務』であるからだ。


 これは魔術団に拾われた対価であり、『義務』だ。

 魔術団というイカれた組織に尊敬の気持ちも何も持ち合わせていなかったが、感謝はある。恩はある。シャルハットは忠実に教えや命令を守った。それは『義務』で、その中に楽しみを見つけていくのが彼の生き方だ。


 ただ、シャルハットは魔術団が崇める神のような存在、ゼフィラルテ・サンバースを崇拝することだけはしなかった。シャルハットは、絶対に神を信じない。


 神、そういった上位存在がいないからこそ、何も平等にできないからこそ、シャルハットは人よりも重い『義務』を背負っているのではないか。

 だから、自分で楽しいことを見付けていくしかないのだ。

 神の肯定は、自身の否定だ。

 

 それがシャルハットの人生哲学だった。



 シャルハットは地面に座り込んでいた。

 世界は暗黒に包まれ、静寂のみが存在する。


 はや、5日が経過した。


 飲料水と食料を『黒葬』の本社で発見し、それで飢えを凌ぐ。

 幽嶋が消えて、約5時間が経過したあたりで、既に施設の脱出は試みている。だが、ある地点から先へ進めなくなった。どんな魔術もその地点から発生しなくなった。


 まるで、そこまでしか世界がないかのようだ。


 丸一日粘ってから、諦めてシャルハットは眠りに付いた。翌日、無傷で目が覚めたことで、警戒はほとんど失われている。好きな時間に寝て、好きな時間に食べた。


 食料は、まだまだ残っている。


「……ハハ」


 シャルハットは暗闇で一人笑った。


「ハハハハ……ハッ、ハッハッハッハッハ!」


 笑った。

 なんて自分は無様なんだ。


 今この現状も『義務』だ。

 楽しいことを見付けなければ。


「ハハハ!」


 シャルハットは笑い。


「ハ」


 ほどなくして、


「ハハハ……」


 シャルハットは笑うのを止めた。

 ただ、こう思ってしまったのだ。

 

 ――私は……一体、何が楽しくて笑っているんですかね。


 自分の記憶を思い返せば。


 ――一体いつから、何が楽しくて笑っていたんでしょうね。


 『義務』。

 『義務』。

 『義務』。


 そればかり。

 本当に笑っていたのか。自分は。

 しなければいけないことを、「楽しいこと」だと思い込んでいただけじゃないのか。それどころか、「楽しくないこと」を笑ってごまかしていただけじゃないのか。

 初めて人に暴力をふるった時、それはきっと「そうしなければいけない状況」だった。その時、自分は笑っていたのだろうか。


 ――いつから……。


 もう思い出せない。何も。何も。笑っていただけなのだから。


 ――いつから、私は囚われていたんでしょうね。


 諦めないで楽しく生きるのではなく、諦めているから・・・・・・・楽しかったんじゃないか?


 ずっと、シャルハットは囚われているのだ。


 きっと、それは5日前からではない。

 ずっと、ずっと、ずっと。


 もう、シャルハットは抜け出せない。


 ――……手遅れですね。


 シャルハットは、静かに詠唱する。


 わざわざ無詠唱で唱えられる、『届き得ぬ向こうルーチェ・ムーロ』を、あえて時間をかけて詠唱した。なぜかはわからない。そういう気分だったんのだ。

 何かにしがみつきたい気分だったのだ。

 

「あぁ」


 ――このままだと、罪悪感に囚われてしまいそうです。


 そのまえに抜け出す・・・・のだ。

 ふと、赤いローブについていたゼフィラルテを象徴する太陽のマークのバッジをむしり取る。それを眺めた。


「陽光よ……私に……ご加護を……」


 シャルハットはそう呟き。


「なんて……」


 鼻で笑い、バッジを遠くに投げ捨てた。


「あー、くそったれた人生でしたよ、全く」


 まもなくして、『鳥籠』の中の生存者は誰一人としていなくなってしまった。






 



______________________________________


・84話でハールトに語った「義務」とはこういう意味なのでした。

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