第65話

「あら? こんな所に阿婆擦れが」


 始めに浮かんだのは開口一番に凄いな、である。

 色々な意味で本当に。

 それしか言えない。

 何と穏便に表現すれば良いのか咄嗟に分からなかったのだ、純粋に。

 だから気がつかなかった。

 彼女がこういう態度を取る時に私に降りかかる災難に。

 本当にあまりにもアレで、ですね、思考が真っ白になってしまったのだ。

 ――――あの言葉に加えて……その…表情がですね、どう繕っても…誰にも相手をしてさえもらえない滑稽な顔芸としか……


「えぇと、その…相変わらず…ね」


 曖昧な言葉と笑みしか英里に向けられなかった。

 劇画の悪役さながらな英里でエリザベートの顔を直視出来なかったとも言う。

 様々な意味で……


「なあにぃ? 余裕ぅ? 他が居ないと本性を出すんだぁ〜」


 確かな嘲りを感じる嫌らしい顔と、感に触るのを意図していたらこれ以上はないだろう声音。

 だが……彼女は…その表情と言葉、声が相手の心と感情に与える影響にも無頓着だ。

 ――――否、心底判らないのだと知っている。


「……」


 前世と同じように、それでも…と話しかけてみようとして口を噤んだ。

 皆が見て見ぬ振りをして見捨てていた彼女。

 「その表情と言葉、声音は人を不快にさせる」、「英里が意図していなくても悪く取られてしまう」と何度真摯に伝えても、彼女は「だから? 相手がどう思おうが関係ない。ウザッ」と返されるのが常だった理由。

 彼女の…親族や周囲の態度の訳。

 ――――それを知ったら……何も言えなくなった。 


 ただでさえ分からないのに、彼女は私に言われる事でより強固に拒絶してしまったのだろう。


 私に前世の記憶がある事、エリザベートが前世の従姉妹である英里だと分かっている事。

 ゲームの知識がある点。

 加奈ちゃん。


 これらを悟られない為にも可能な限り相手にしないで話すなと言われていたのもあり、兎に角沈黙を貫く。

 うっかり最初に話してしまったのはもうこの際忘れる。

 図々しくても今は諸々後回し。

 どうにかこの場を切り抜けなくてはと意識を現在に固定。

 後悔も懺悔も此処では意味がないのだから。


「無視ってぇ、何様!!」


 唐突に声の調子が変わり思い切り頬を張られた。

 いつも通りの彼女英里だ。

 今思えば、この世界で一時期私に近づいていた時は大きな猫を被っていたらしい。

 それに騙された私も私だが。

 指摘してくれた幼馴染達は……っていけない、思考がそれまくっているではないか。

 軌道修正、軌道修正。


「ほんっとうに変わんない! その太々しい態度!! 自分の立場分かってるの!!?」


 小柄な体を大きく見せる様な大仰な動作。

 彼女も本当に変わらない。

 自分に注目を集めるために、注意を向けてもらうために、演技がかった調子の声音と体の動き。

 私が思っていたより彼女を取り巻く環境がいかに悪かったかが伝ってくる様で胸が詰まる。

 転生してまでも……おそらく彼女の立場は……


「ああ、ああ、ああぁあああ!!!! また私を憐れんでる!!!!! 上から目線で憐れんでる!!!!!!あんたの所為なのに!!! あんたがまた私の邪魔をしてるのに!!!!! きえろきえろ消えろきえろキエロ消えろ!!!!!!!!」


 英里は突如頭を力任せに無茶苦茶掻き毟ったと思ったら、叫び声と共に私に覆い被さって我武者羅に首を絞めてきた。


 息が出来なかったが慣れてはいたから慌てず冷静に彼女を見ていたのだが……


「おやめください! エリザベート様!!」


 突然の大声に目を白黒させていると、一人の男性が彼女を私から無理矢理引きずる様に引き離す。


 解放されて咽ながら驚いていた。

 てっきり彼女一人だけだと思っていたのだが……


 しっかり観察した方が良いかと判断し、現れた男性へと起き上がりながら視線を向ける。

 制服から察するに同じ学校の生徒。

 アスコットタイから分かるのは貴族の出身。

 腕のワッペンから魔導騎士科。


 ……私が”どこかで見た様な気はするけれど”という認識なのだから、家の派閥でもなく有力な家柄でもない。


 落ち着いた茶色の髪と明るい茶の瞳から分かるのは、エリザベートの母親の実家、ブラウンシュヴァイク公爵家の派閥の末席に連なるのではという事。


 ――――敵だと思った方が良いのだろうか……?


 私の視線に気がつかず、彼は必死に彼女を宥めていた。

 手慣れた様子からは彼女の対処へと従事してきた歳月の長さが伝わってくる。


 グチャグチャになった髪を整え、指に絡まった髪の毛を取り除き、皺だらけになった制服を伸ばす。

 それで機嫌が直ったらしい彼女は、居丈高にこちらを見下ろした。


「いっつも偉そうにしてるけど、それもこれまでよ! あんたの弱点は知ってるんだから!!」


 蔑みも露わに彼女は私を指さして、それはそれは気味が悪い笑みをニィっと浮かべたものだから、今までの経験則からろくなことにはならないとため息を吐きそうになるのを…必死にこらえる事しか出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る