第10話

「エルザ、今、話をしても良いだろうか……?」


 控えめに、こっそりと告げるエーデルに目を丸くした。


「勿論、構わないけれど……どうしたの?」


 純粋な疑問だった。

 アギロからはエーデルなら何か知っているかもしれないとは聞いていたけれど。



 いつもの様にベッドに座り、エーデルの話を聴く体制を取る。

 ……けれど、浮いたまま降りてこないエーデルに首を傾げていた。



 ――――今思い返してみれば、エーデルは既にこの時、今の状況をある程度見越していたのではないかと……



「エルザ、我が友が迷惑をかけた」


 エーデルは、ポツリと呟いて沈黙する。

 沈痛な表情からは心をどうしようもなく痛めているのは容易に想像できたから。



 私がどうにか口を開こうとした時、エーデルは酷く辛そうに絞り出す様に告げる。


「我が友は、余程ルディアスとエルザが大切なのであろう……」


 その表情と声音から察せられるのは、どうやらカイザーは何等かの、幻獣達にとっての禁忌事項を破ってしまったのではないのかという事。

 単なる勘で、根拠も何もないけれど、ただ単純にカイザーがいなくなっただけではない重々しさを感じたのだ。



 ――――まるで、もうカイザーが二度と戻ってこない、とでもいうような……



「カイザーはそれがルディアスに必要だと判断したから一緒に行動しているのでしょうね……」


 私に返せる言葉は多くは無い気がした。

 きっとエーデルの方が私よりこの事態の元凶を知っていて、カイザーを止められなかった自分を責めている気がしたから。



 何も知らない私では、既に心が血を流しているだろうエーデルを余計に傷つけてしまう気がしたのだ。



 ――――ルディアスも、カイザーがいてくれるのなら……



 そう思ってしまったから、ルディアスが独りではない事に心から安堵した私には、エーデルに何も言えないとも思う。

 カイザーが一緒に居てくれるだろう事を、傷ついているエーデルに傲慢にお礼を言うのは絶対に違うから。


「ありがとう、エルザ。心遣い感謝する……だからこそ、カイザーはエルザを放ってはおけぬのであろうな……――――ルディアスの事も」


 大きく長く息を吐いたエーデルは、思い切ろうとしているのは分かった。

 けれどそれでも、どうしようもないほど心が乱れて収拾が難しいのだろう。


「……すまぬ。どうも上手くまとめられぬのだ。一ヶ月も時を置いたにも拘らず……だがいかんな。話すために来たのだ……話せる範囲でしかないのだが……」


 言った後、落ち着かせる様にまた大きく息を吐き、そうしてようやく、今まで浮いたままだったエーデルは私の太ももの上にいつもの様に乗ったのだ。


「エルザも知ってはいるだろうが、改めて告げる。我が友カイザーはルディアスと行動を共にしているだろう事は間違いない」


 きちんとエーデルの口から聴いたからだろう。

 素直に落ち着いて受け入れる事が出来た。



 ……ただ、ルディアスが何故姿を消す必要があったのかが本当に分からない……


 ――――やはり私が原因、なのだろうか……



 ルディアスのプロポーズに答えなかったから、という単純すぎる理由ではないと思うのだが……

 ――――そう思いたいだけなのかも、今の私にも分からない。



 まだ混乱はあの時から絶賛続行中で、私の中で答えがまったく出ないのだ。



 ――――フリードリヒとの現在の関係性も多大に影響を与えているのは自覚している。



 だが、私は現在この仮面を外すわけにはいかないのだ。



 ――――最悪の展開になった時の事も、既にあの瞬間に腹は括った後。



 ならば粛々と演じるまでだ。

 ……終焉まで。




 彷徨っていた思考をエーデルとの会話に戻す。



「理由は酷く簡単なモノだ。だが我が友にしてもルディアスにしても、決して譲れぬのだろう事は想像に難くない」


 簡単と言われ、私が何も言わなかったからかとも一瞬思ったが、カイザーにはこれは関係が無いのだから違うのだろうと結論付けた。

 ……そういう事にしてしまうしかなかったともいえる。



 ルディアスに再会しなければ結局何も分からないのが現実だ。

 逢えるかどうかも分からないけれど……



 だから、私は今はそこから逃げる事にした。



 ルディアスがいないという事が、どうやら必要以上に心が痛いらしいと気が付いたからこその措置だ。



 また逢えた時にきちんと向き合う。

 逃げずに。



 そう誓ったから、立ち止まって進めなくなるわけにはいかなかった。



 学校の空気がどうも落ち着かないのだ。

 やはりルディアスの不在が影響しているらしいのは肌で感じられる。



 確かに、引きこもってルディアスの不在を嘆き自分を慰めるのは楽だろう。

 けれどそれを私は絶対に選択はしない。



 そんな真似は、未来の皇妃としてしてはならない事だ。



 皆が浮足立っている時、薄情だと言われようが冷たいと誹りを受けようが、いつも通りでいなければ。

 ただでさえ私関連とエリザベート関連で騒がしくしてしまったのだから、ルディアスが現在居ないのは公務故、と誰もが思うように堂々と。



 それを実行するために、私はルディアスの不在が自分の所為だと烏滸がましくも思ったりはしない。

 決めて息を吐いた。


「……覚悟を決めたか……理由を聞かぬのもエルザらしいが……良いのか?」


 おずおずという様子が珍しいエーデルに笑みを浮かべ答える。


「言えない事を無理に訊いて困らせたくは無いもの。それより今後に必要な事をしっかり心に刻まないとって思ったから……」


 エーデルは眩しいものでも見る様に私を見詰めた。


「エルザ、ありがとう……自らが言っておきながら、確かに言えぬのだからな……私はカイザーの様にはなれぬ……フリードリヒを巻き込めぬのだ……フリードリヒが苦しいほどに渇望しようとも……」


 独り言として告げる事しか出来ないのだろう。

 浮き上がったエーデルはポツリポツリと囁いて、消えてしまった。

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