第11話

 幻獣の森の深部に近い荘厳で鬱蒼とした木々を前にしていると、不思議と昨夜の夢が脳裏に蘇って消えてはくれない。

 もしかしたら何か重要な事なのだろうか……?



 私個人に関わる事だけの様な気もするので混乱ばかりが加速する。



 この頃、どうにも思考回路は仕事を放棄気味。

 理由は分かっているだけにお手上げなのだ。



 エーデルとの会話からも数週間が過ぎ、実習のために此処にクラスのみんなと居るという事が何やら感慨深い。



 幻獣の子供達に人間に慣れてもらうため、何日間か一緒に過ごす事がこの学校での科を問わず一年の貴族クラス、士爵クラス最初の実習。

 どうやらお互い不慣れだからこそ、意味があるらしい。



 誓約を交わした幻獣や妖精は子供の幻獣達には刺激が強すぎるから、いつでも呼べる状態にしつつ置いてくる事になっている。



 私の場合はルチルもアデラも相変わらず眠りについている関係上、アギロがいざという時に来るという。

 その場合お父様は大丈夫なのか不安しかないのだが、お父様もアギロもエルザの方が心配だという圧に押し切られてしまった。



 私の体調は、不思議とルディアスがいなくなってからというものすこぶる良い状態を保っている。

 だからこの実習の参加も大丈夫だと皆から太鼓判を押された。



 折角学校に通うのなら、何か思い出が欲しかった私としては願ったりかなったりなので否やは全くない。



 今日この森に到着しているのは普通科の貴族クラスだけなので、知り合いばかりで気が楽だ。

 士爵クラスは初日は別の場所で、翌日合流であるらしい。



 私達は初日は単純に森の散歩とバーベキューだという事で、軽く探索後、私は夕食のバーベキューの準備を立候補し勤しんでいる。



 料理を無心でしているからだろう、昨夜の夢を私は遠ざけられずにいた。




 酷く息苦しい空間だった。

 暗闇なのはいつもの通りに見えるが、立ち込めるモノは瘴気とでも言えばいいのか、どうしようもなく毒々しい。

 圧迫感は私を逃がさないように周囲を固めている様で、息をするのも非常に苦しいのだ。



「ねえ、君はさ、なーんにも知らないって自覚、ある?」


 いつかの夢で聞いた、禍々しい声だと瞬時に理解してしまうくらいには、毒と愉悦に包まれた声だった。



 私は、その声が指す事柄が分からず眉根を寄せる。


「この世界はまあ、まだ良いんだけど、前居た世界、あれさ、君といつも一緒に居た奴が居なかったら、君、とっくの昔に死んでたよ。なのに、君はそのことについて彼に感謝がこれっぽっちも無いんだからなあ」


 私を嘲って愉しんでいる声がこだまする。



 その声の発する言葉の、”いつも一緒に居た”というだけでその相手が誰かなど容易で、私は、自らの無知さに打ちのめされ、無意識に震えが止まらなくなる。


「あはハはハ! 本当に知らなかったんだ! 君はさ、いつも誰かに守られてきたんだよ。特に、前居た世界の、彼にはねえ。知らないって、罪だよねえ。毎日、毎日、命も身体も魂さえ狙ってくる存在から一生懸命守ってやっているのに、当の本人はのんきに一人で出歩いたりする。自分が如何に危険か、まーったくもって知りもせずに。ああ、彼の心情を思うと、胸が痛いなあ!! 」


 嘲りは深く深く愉しそうに響き渡る。



 私の前世の身勝手な行動を思い起こす。

 その度に彼がしていた表情が脳裏から消えなくなる。

 彼は、勇は、どんな気持ちでいたのかと思うと――――



 滴る様な悪意に濡れた声が響く。


「アはハ、ハハははハッ! ああ、本当に傑作だ! 彼がかわいそうだなあ! だってさ、君はまだ憎んじゃいない。最低な最低な前の両親を!!」


 どいういう事か分からず、私は瞳を瞬かせて困惑する。

 前世の両親がいわゆる虐待を私にしていたのは理解した。



 けれど、それと勇に何か関係が……?



 ――――両親がこれ以上何かしない様に、勇が、何かしてくれていたのだろうか……?



 思い至り、息が上手く吸えなくなる。

 ただでさえしづらい息が、呼吸が、おかしくなる。



「でも、全てを知った時、君は耐えられるかなあ」


 笑い声が反響する。



 愉しくて愉しくて仕方がないと。

 その時が、待ち遠しくて待ち遠しくて仕方がないと。

 滲ませるだけ滲ませて、声が嗤う。


「君は忘れてる! 思い出したら、全部分かったら、どうするんだろうねえ?」


 声は、滴る毒を隠しもせずどうしようもなく愉しげだ。



 忘れている事。

 ――――血に塗れた裸の幼い前世の私。



 これ、の事なのだろうか……?



 分からない。

 他にも忘れているのかどうかも分からない。



 ――――ああ、辛過ぎて忘れてしまった赤ちゃんの時の様々な事柄。



 それでさえ私は耐えられないかもしれないのに、まだ何かあるのだろうか……?



「君はそれでも、両親を赦せるのかい?」


 嗤う声。

 堕ちておいでと滲む声。


「ああ、赦すのかな? 君を殺した奴を恨んでさえいないから。彼女も憐れでねえ。愛して欲しい相手はことごとく自らを愛してはくれない。何故だか分かるかい?」


 嘲りを多大に含んだ禍々しい声に、私は息を必死で吸いつつ震えながら首を傾げてしまう。



 前世の私を殺したのは英里だ。

 その彼女が愛して欲しかったのは、おそらく両親だろう。



 その両親が彼女を愛さなかったのだろうか……

 複雑なのは知ってはいたけれど、愛してさえいなかった……?



 叔父であるあの人は、それ程無情の人ではないはず……

 それとも、私の思い過ごしなのだろうか……?



 叔母である彼女は、露骨に私達家族を嫌っているのは知っていたけれど、彼女も英里を愛さなかったの……?


「アハハはハははッ! 分からないんだ? それはそれは!! いやはや、本当に、ク、クくくク、あハはハはハ!」


 余程私がおかしいのだろう、嘲り続ける嗤い声が止まらない。



 ――――ああ、そうか、私が居たから、私が産まれたから、英里の家族を壊してしまったのだろう……



 分かっているつもりで分かってはいなかった。

 そう、私さえいなければ――――



「実に嗤える!! やっぱり君は、何処までいっても、此処じゃない所だろうと、所詮は――――」


 声が嬉しそうに嗤う。

 手招きしながら。

 足を虚に引きずり込むように。



 ひとしきり幼い子供の様な嗤い声が響き渡り続けてから、どうにか目が覚めたのだ。

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