第106話

「はいはいー、例え皇族と言えど病院に許可ナシの不法侵入はいけませんよー、帰りましょうねー」


 パンパンと手を打つ音を高らかにさせつつ、ディート先生がふざけた声の調子と共に病室に入ってきた。


「……ディートリッヒ……そちらはどうなのだ?」


 先生に対して心底存在を唾棄すべきであり忌々しいという雰囲気のルーは、普段通りに見える。

 先程までの異常なまでの美しさも取り込まれそうな恐ろしさも感じない。


「当然正式に許可取ってますよー。見ますー? 能力の濫用と無駄遣いは止めて下さいねー」


 どこまでもふざけた調子を崩さないディート先生に、ルーは一瞬顔をとことん顰めてから私を真剣に見詰める。


「エルザ、エルザは私にとって救いで命綱だ」


 ――――その言葉を、前世でも聞いた。

 …………誰だった…………?



 思考がその言葉に占められる。

 何かとても重要な事の様な気がするのに、喉元までは来ているのに、届かないもどかしさ。


「フリードリヒも同様であろうな」


 ルーがため息と共に続けた言葉に、息を飲む。

 意識も前世から戻ってきた。



 それと同時に思考を染めていた言葉も霧散する。


「……ルー?」


 私が思わず声をかけると同時に、ルーは跡形もなく消えてしまった。



「まったく困ったもんだよなぁ。能力の悪用は厳禁だっての。結界に抵触してたから何事かと伺ってたが、単にエルザに逢いたいんだろうなととりあえず見守ってたらこれだし。流石にこりゃヤバそうだったから出張って正解」


 ディート先生は呆れたようにため息を吐きつつ私に近付きながら


「……エルザ、大丈夫か? 息できるか? どこかおかしい感じは?」


 ディート先生に言われて、息が満足に吸えていなかった事に気が付いてしまったらしく、ゴホゴホと咽ながらなんとか深呼吸。


「――――だ、大丈夫、です。あ、りがとう、ござい、ます」


 何とか息を整えながら言葉にすると、ディート先生は心配そうに私を見て


「あぁ、やっぱりちょっと取り込まれそうになってたか。無効化で多少は無意識に防御してるのは見てて分かったが、その程度で済んだのは良きかな、良きかな」


 咽た事で出た生理的な涙で目を濡らしながら、落ち着いたはずの呼吸がまたキュッと止まった気がした。


「……どういう、事、で、しょうか……?」


 ディート先生は私の側に座りながらポンポンと頭を叩いて励ましつつ


「ああ、まあ、あれだ。とうとう我慢できなくなって完全に自分のモノにしようとしたんだろ」


 ……益々訳が分からず更なる混乱中の私に苦笑したディート先生。


「ほら、あいつ、擬態してたろ? それが取れかかるくらいには必死だった訳だ。すげえ余裕なくしてるよな」


 ディート先生の言葉を何とか回らない頭で理解して首を傾げる。


「擬態、ですか? 演じているわけではなく?」


 ディート先生はため息を吐きながら


「あれは擬態だろ。演じてるレベルじゃない。あいつなりにこの世界で生きていくために身に着けた機能だな」


 何故、ルーは擬態と言われる程の機能を身に付けなくてはならなかったのかが分からず、ひたすら混乱中。


「ルディアスがモデルにしたのはフリードリヒだ。それ以外の存在じゃ擬態の糧にもする気が起きなかったんだろ。無理もないけどな」


 ディート先生はやれやれといった調子で言葉を続けながら


「あのな、ルディアスにとって、同類はフリードリヒとエルザだけだ。それ以外は


 過度の疲労に見舞われた脳みそは考える事を放棄してしまったらしく、途方に暮れてディート先生を見詰める事しか出来ない。


「つまりな、ルディアスにとって、普通の人間は蟻みたいなもんにしか認識できんのよ。それ位ルディアスは普通の人間と全然違う。他の人間は自分と同じ生き物とは到底認識できない訳だ。で、例外がフリードリヒとエルザ」


 ええと、うん、フリードリヒと私以外は、ルディアスにとっては人とは認知出来ないという事は、ディート先生の話で理解できた。

 それ程ルーもフリードリヒも人間離れしているのだと分かってしまい、心が苦しくなる。


「ルディアスは蟻の中で生きて行かなくてはならないと胎の中で理解はした。産まれてくることを選択したんだから蟻の群れに馴染まなくてはならない。だから擬態するモデルを欲していた。で、あいつにとっての適任はフリードリヒで、その構造をそのまま纏った訳だ。だからフリードリヒと同じ様な反応してたろ。だんだん擬態の精度が上がってそっくりになった。それでルディアスが成長しただのと言ってる輩には辟易してたけどな。単に擬態が成長しただけであいつ自身は何一つ変わっちゃいないってのに」



 それは私もさっき理解した。

 ルーは何一つ出会ってから変わってはいないのだ。



 それで時々は本当のルーが出てきていた、と思いたい。



 ただ分からない。

 フリードは分かる。

 けれど同類と思える範疇に私が入っているという事に首を傾げていた。

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