第32話

 霧雨の様な、細かい雨が降り続いている。

 街の明かりを反射した雨は、まるで星空がそこに在るかの様にぼんやりとした光を放ち、夢の中の都市の様で、迷ったら出る事はかなわないのではないかと恐怖を感じてしまう程、夢幻的だ。



 先程の、暗く重い思考を払拭しようと窓から外を見ていたのだが、不思議と外の光景が怖くなってしまい、どうにも心が休まらない。

 ルーとフリードと一緒に居るだけでも、いつもなら癒されるし落ち着くのに、どうも今日はザワザワと心が騒がしい。



 何とも奇妙な気分を味わいながら、夕食を皆で食べていたら、


「そういえば、エルザの担当教官って誰? 一昨日聞き忘れたからちょっと気になってさ」


 エドの言葉に、ギルも肯く。


「そうだな。普通科の情報はあまり入ってこないから、気になる」


「姉上の担当の方ですか。どんな方なんですか?」


 イザークも興味深そうだ。


「我々の担当教官は、まあ、代わり映えがしないが、エルザの担当は誰だ?」


 ルーは何か忌々しそうに前半呟くのだが、どうもそちらも気になる。

 とはいえ、欝々とした気分が変わるのは確かだ。


「えっと、ヨハネス・ファイヤーターク教官だよ」


 私の言葉に、全員突然沈黙。


「どうかしたの?」


 私の問いかけに、溜め息を吐くのは、エド。


「エルザ、あのさ、良く考えてみよう。それ、名前、省略されてるから」


 首を傾げる私に、ギルは苦笑。


「エルザはお会いしたことがなかったか。ヨハネス・ファイヤータークに、アウグストゥスや、アンドラングが付くぞ」


 思考を巡らせて、教室で教官が名乗った時の事を思い出す。

 かなりざわついて、教官が静かに、と言ったら瞬時に静まり、不気味だったなそういえば。



 それに、言われて、今更気が付いた。

 ファイヤータークって、そうだ、皇族の一部の方に付く姓だ!

 前世の日本でいう所の、宮家の様な家だったと思い至る。

 正に赤面するしかない事態だ。



 私、ボケ過ぎじゃないか!?


「気が付いていらっしゃらないのかなとは思いましたが、教官自体はそう気にしていらっしゃらないご様子でしたし、むしろ、気が付かれない方が面白いとも思っていらっしゃるのではと推察し、黙っておりました。それに色々有りましたから、これ以上の御心痛はとも思いましたが、やはり、もっと早くお教えした方が良かったでしょうか……」


 リーナは申し訳なさそうに、項垂れる。


「ま、色々あって、教官の事に思い至らなかったあたり、実にエルザらしいとは思うけど。あの方は、まだ当主になる資格はないよ。僕等よりは年上だけど、まだまだ若手の皇族でいらっしゃるから。それにあの方、教官をやっておられるなら立場に準じるだろうし、普通に教官として接して問題ないと思うよ。だから、色々略して自己紹介したんだろうし。気にしなくて大丈夫だよ。リーナも気にしなくて大丈夫だって。あの方なら、立場に準じつつ面白がって黙っているっていうのも分かるよ。皇族の意向を大事にしたんだから、良いんだって。それにエルザが最初気が付かなかったんだから、後で教えたらまた落ち込むのは目に見えていたし、リーナの判断は間違ってないよ。ただ、偶々今回知ることになったのは、結果的に良い事かもしれないしね。本当に、エルザ、気にしないの。殿下もそれを望んでらしたかもしれないんだからさ」


 エドはそう言うが、私としては落ち込まざるを得ない。

 仮にも未来の皇妃候補が、皇族に思い至らないとか、有り得ないだろう……!!!



 リーナに気を使わせていたのにも気が付かない自分にも、落ち込むのを止められない。

 気を使わせて相手に申し訳ない気持ちにさせるとか、駄目だろう、自分……!



 激しく自己嫌悪の真っ最中の私に、フェルは宥める様に


「あの方、異能力がおありでしたか。だからエルザの担当なんですね。皇族の異能以外にも力がおありになるとは聞いていましたが……エルザ、あの方はそうお心の狭い方ではありませんから、大丈夫ですよ」


 ギルは渋い顔で


「そうは言うが、未来の皇妃としてはダメだろう。色々あって思い至らなかったのは分かるが、気を付けた方が良いと思う。エルザも分かっているとは思うが、一応、苦言は呈させてもらう」


 ギルの言葉に、尤もだと心に刻み込んでいたら、シューはポンと手を打ち、


「確かあの方、ルディアス殿下、フリードリヒ殿下に次いでの皇位継承順位でしたよね」


 それにアンドが、ちょっと首を傾げる。


「あの方、確か紫系の瞳じゃなかったか?」


 その言葉に、私が今度は首を傾げる。


「確か教官、深緑の瞳だったと思ったよ……どういう事かな……?」


 私の言葉に、ギルが苦笑する。


「紫系の瞳であっている、ヨハネス殿下は。おそらく魔法で瞳の色を変えておられるんだと思う。これは高等技術で、学校卒業レベルでも出来ないといえる程困難だったはず。赤系や紫系の瞳は、普通の色と違い、変えるのが凄く難しいかったと記憶している」


 ディルは思い出しながら


「ヨハネス殿下は、確か翡翠色の髪に桑の実色の瞳だったかと記憶しております。確か、髪の色で、ご苦労なさっておいでだとか」


 それに、エドは眉根を寄せる。


「だったよな、確か。髪が皇族の金系じゃないから、能力が下の金系の髪の皇族方よりご苦労有るらしいってのは聞いてる」


 ルーは、難しい顔。


「あの男は、能力的には何ら問題は無い。見た目で損をしているのは確かだがな。皇族も貴族も士爵も、特に見た目に拘りやすい輩がいるのが欠点だな」


 フリードは首を傾げた。


「魔力もそれ以外の能力もとても評価されていたと思ったが……」


 ルーは、鼻を鳴らす。


「面倒な輩がいるのだ。そなたは遭遇した事が無いだろうがな。魔力至上主義者と、一族の特徴最上主義者、幻獣至高主義者がいる故、ややこしいのだ」


 フリードは、目を見開きルーに問う。


「ルディアスは遭った事があるのか?」


 ルーは面倒そうに


「ある。赤系の瞳といえど、だからこそか、厄介な輩は寄ってくるものだ。遠回しに嫌味を言っている事に気が付かぬ、愚か者達だ」


 フリードは心配そうに、私を見る。


「エルザは、大丈夫か?」


 今まで、特に嫌味を言われた覚えはない、と思う。

 私が気が付いていないだけの可能性も捨てきれないが……


「大丈夫だと思うよ」


 私の答えに、ホッとした表情のフリード。


「エルザには寄り付くまい。何せ容姿が容姿だ。幻獣も幻獣であるし、能力も能力だ」


 ルーは何だか、不機嫌そうでありながら、安堵しているというか、複雑な表情だ。


「私も容姿関係は、幸いな事に面倒事に遭いませんね」


 イザークの言葉に、エドとギル、フェルとアンドも肯く。


「だろうな。しかし、ヨハネス殿下か……エルザ、どう思った?」


 アンドがちょっと珍しく意地悪そうな表情で訊く。


「え? 凄く鋭い方だなぁって思ったよ。あと、良い方だなぁって。気に入って頂けて、とても嬉しく思ったかな」


 私の答えに、周囲がまたしても重い沈黙。


「……あの、私、何か、間違った?」


 恐る恐る訊いた私に、


「大丈夫ですよ、エルザ様。ただ、その、色々あるだけですから、エルザ様はお気になさらず」


 ユーディが珍しく言葉を濁しつつ、私を安心させる様に微笑んだ。


「そうそう、エルザ、気にしたら負けだと思って、気にしない気にしない」


 エドはそう言って、苦笑している。


「まあ、あれだ、自分で振っておいてなんだが、この話題はもう止めておこう」


 アンドがそう言って、この話題は封印された訳だが、ちらりと何とはなしに見たルーとフリードが、非常に顔を顰めていて、二人にとってどうやらこの話題は地雷らしいと認識した。



 しかし、二人は何がそんなに気にいらなかったのか、謎である。

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