第34話
「ゴホッ」
逆流してきた血だと、口から零れた事を無意識に手で拭って気が付いた。
「あれっ?」
口から出たのはそんな言葉で、今回の大元の怪物が身体を震わせ、牙が螺旋状についた奇妙で巨大な口を開け、私を今にも飲み込もうとしている。
思考がまとまらない。
意識が零れていく。
力も霧散して、縒り集めようにも肝心の意識が千切れてバラバラだ。
ああ、皆は無事だろうか。
ルーとフリードは?
そう考えられたのが奇跡の様に思えた。
闇に全てが飲み込まれる。
「「エルザ!!!!」」
ルーとフリードの必死に叫ぶ声を聞いた、気がした。
「いっっっ!!」
声にならない悲鳴が私の口から洩れた。
意識が痛みで覚醒する。
身体が内側から極太の焼けた針でも無数に突き刺された様な痛みに、神経がもう限界と言っている様だが、私の思考回路は戻ってきた。
視界はクリアだ。
見ると、ルーが私を抱きかかえながら顔を覗いていて、フリードが私の前にしゃがんで顔を覗き込んでいるのが目に入った。
ああ、ルーは片膝をついているのか。
私の体の上半身をルディが支えていて、下半身は地面にあるのが目に留まる。
二人の無事な姿に心から安堵する。
嬉しさがじわじわと込み上げて、泣きそうだ。
「ル、ゴホゴホっ」
名前を呼ぼうと思ったら、咳き込んで何かが私の口から零れだす。
息もとてもしにくい。
さっきの様に口を拭おうとしたら、フリードが拭いてくれた。
「フリ、ゴフっ」
彼の手を見て名前を呼ぼうと思うのに上手く呼べない。
自分が非常に腹立たしい!
「エルザ、話すな」
ルーの私を案じる声がする。
でも、でも! フリードの手が!!
「大丈夫だ、エルザ。大したことは無い」
私の視線で解ったのだろう、フリードが無理して微笑んで言っているのが分かるから、とても我慢できない。
フリードの手が焼け爛れて赤黒くなっているのに!
「エルザの方が酷いのだ。動こうとするな」
身体を動かそうとした私にルーが酷く硬直した表情で言う言葉に、ちょっと頭を冷やす。
私の方が酷い?
その言葉に腕を見てみた。
上げようとすると痛いと思ったが、最初に大元の怪物に差し出された時、掴まれていたから焼け爛れた上に腐ったのだとようやく納得した。
次に先程から咳き込む原因を確かめる。
腹部に布が巻かれそこから赤黒い血が漏れていた。
これが理由だろうか。
「腸が飛び出さぬように巻いたが、治癒出来ぬ現状、むやみに動くな。飛び出せば終わりだ」
ルーが強張った表情を崩さず、それでも優しい声で言う。
「わた、ゴホっ」
何か言おうとすると、逆流して来る血に遮られて満足に話せない。
「あの怪物の触手に腹を貫かれて持ち上げられ、喰われそうになっていたのだ。触手は切り落とし、引き抜いた。刺されたままの方が傷口が広がっていくからやむを得ずだが」
私が訊きたい事を察した、とても心配げなフリードの言葉に目を見開く。
そうか、私、アレにやられたのか。
「案ずるな。直ぐにディートリッヒがアレを倒す。さすれば治癒も転移も出来よう」
ルーが言うのだが、ルーの手も見えてしまって、解った。
あの怪物の触手は直接触ると硫酸を触ったように溶けてしまうのだ。
ルーとフリードは私から触手を引き抜くために触って、手が焼け爛れてしまったのだろう。
申し訳なくて泣きそうになる。
二人の綺麗な手に、痕が残ったらどうしよう。
きっと凄く痛かったと思うのだ。
今だって痛いはずなのに。
でも、私が泣くのは違う、そう思う。
感謝を伝えたいのに話そうとすると血が出るばかりだし、息も苦しくてヒューヒューと喉がなっているのに今更ながら気が付いた。
フリードが少し動いてくれた。
あの大元の怪物とディート先生とクー先生が戦っているのが見える。
ディート先生もクー先生も空中を高速で移動している。
飛行魔法とかいう高位の魔法、先生達使えるんだ。
やっぱり凄いなぁ。
次に目に飛び込んできたのは、漆黒のドラゴンと白銀に輝くドラゴンが滑空している姿だった。
ドラゴン、だと思う。
角はあるし、鱗もある。長い尻尾に立派な牙。太い手足にコウモリの様な皮膜の張った二対の翼。
大きさはルチルとは比べ物にならない。
何となくだが前世の二十五メートルプール位の大きさだろうか。
ブレスってものかな。
口から凄まじいエネルギーが放出されると、群がっていた怪物達が根こそぎ蒸発する。
他にもアギロみたいな馬や、ライオンみたいなのに羽が生えているの等、沢山の幻獣だろうか、彼等が攻撃を加えていた。
あの大元の怪物は手近な他の怪物を取り込んでは傷を修復するから、他の怪物達を幻獣達が排除しているのが分かった。
大元の怪物を幾重にも紫色の光の膜が包み込む。
ディート先生が赤く強く一際輝く。
まるで瞳も赤くなったみたいに見える。
更に先生の周りを紫色が色濃く包んでいく。
「終いだ!」
先生が言うが早いか、まるで恒星でも爆発したのではないかというような眩い光と轟音が辺り一面を覆い尽くす。
目を開けていられない。
白い闇にでも覆われたかの様な静寂。
目を開けると、大元の怪物が崩れ去っていく。
これで終わったと思ったのに、ふと、怪物が何かした気がした。
ルーとフリードを見ると、彼等に向かって毒が向かっているのが分かってしまう。
大元の怪物ではない。
それの意を受けた、別の怪物達が一斉にルーとフリードに自爆攻撃を仕掛ける気なのが不思議と分かった。
咄嗟にルーとフリードを力のあらん限り振り絞って抱き寄せる。
激痛なんて可愛い物だと言わんばかりの、神経を焼き切らんとする痛みに目の前が暗く、気が遠くなりかけるが、痛みに構ってなどいられない。
私が、二人を守る!
そう固く思ったら、零れて霧散した力が瞬間的に戻ってきたのが感じ取れた。
それをそのまま放出して二人を包み込むイメージを脳内に描く。
力が湧き出て溢れてそのまま広がっていく。
温かな淡い黄金色の光を感じながら、私は意識を手放した。
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