第35話

 夢を見ている。

 前世むかしの夢だ。



 幼い私と勇が遊んでいる、他愛無い夢。

 でも私と勇にはありふれた日常の一コマ。



 その日常を独りで上空から眺めていた。



 そう、あの日、犬が、私に襲い掛かってきたのだ。

 恐怖で動けない私を勇が助けてくれた。



 今見ると、その犬は、犬では無かったような気がする。



 私を一直線に狙ってきたあの、犬、の様なモノ。



 そう、アレは今回私達を襲ったのと同じだった。

 感覚が一緒だ。

 気持ち悪さも、悪寒も、纏った黒い靄さえも。



 何故アレを犬と思ったのか、本当に分からない。

 犬の形を辛うじて取っていた、いや、犬に憑りついていたのだと、今なら分かる。



 勇は大丈夫だろうか。

 そう思って勇を見たら、彼は私の名前を呼んで泣き叫んでいた。



 勇、勇、泣かないで。

 ごめんね、独りにして。

 ずっと一緒にいるって約束したのに。



 一生懸命言葉を告げても、勇には届かない。

 私の名前を声が枯れる程呼び続け、泣き叫んだままだ。



 抱きしめようにも私は勇の側に行けない。

 どうしても行けないのだ。



 それが腹立たしくて、必死に名前を呼んで手を伸ばしたのに、勇は気が付かない。

 そして仕舞いには、勇は黒い靄に包まれてしまった。





 そこで目が覚める。

 どうやら涙が流れていた様で、拭った。

 勇は、大丈夫なのだろうか、無性に心配になる。

 心配しても、今の私には何も出来ないのだが……



 ここは、私のベッド、だな。

 そう認識した時、


「エルザ、目が覚めたか」


 ルーの声がして、彼が私の顔を覗き込んだ。


「ルー?」


 名前を呼んだら、心の底から安堵した様な表情のルーに混乱する。

 彼がこれ程表情を露わにするのはとても珍しい。


「ここは、私の部屋、だよね? どうしてルーが?」


 その問いには、我が家の侍女頭のブランシェが答えた。


「エルザ様は幻獣の森で負傷され、治療を受けた後、この部屋に運ばれたのです」


「……治療?」


 まだぼんやり気味の私にブランシェは


「喉は乾いていらっしゃいませんか?」


 そう訊かれて確かにちょっと喉が渇いているかな、と思って肯いたら、


「では私が飲ませる。そなたはハインリヒを呼んでくるが良い」


 ルーの言葉にブランシェは畏まりましたと言って部屋を出て行った。


「ルー?」


 まだ混乱気味の私にルーは吸い飲みを差し出す。


「飲めるか?」


「うん。あの、でも、良く事態が飲み込めなくて」


 苦笑したルーは


「取りあえず、飲め」


 そう言って私の口に吸い飲みを含ませ飲ませてくれた。

 リンゴジュース美味しい。



 少しずつ飲ませてくれたから、ちゃんと飲めた。

 程よく冷たくて気持ちが良い。



 それで記憶を振り返ってみた。

 そう、幻獣の森に行ったんだったな、私。

 そこで――――


「ルー! フリードは? 皆は無事!? オイゲンさんの腕は? ビョルンさんはどうなったの!? 」


 思い出し、飛び起きようとしたら力が入らず、崩れ落ちながらルーに訊いたら、ルーは私をベッドに寝かせながら


「案ずるな。皆無事だ。その説明もする。そなた、自分の事は訊かぬのか?」


 呆れた様な声音でルーが言う。



 それには構わず私は急いでルーの手を取って掌を見る。

 ――――良かった。

 傷一つない、綺麗な掌だ。



 ホッと息を吐いた私を厳しい表情で見ながら、ルーはもう片方の掌を私の頬に触れつつ


「エルザが目を覚まして良かった。エルザを失うのかと、恐ろしかった」


 恐ろしい程硬い声音に驚く。


「ルー?」


 表情を一瞬和らげたルーは今度は悔恨の面持ちになり


「二度と失態は侵さぬ。側を離れぬ。守ると言っておきながらのこの顛末、我ながら腹立たしい」


 どうやらルーは自分をもの凄く責めているらしい。


「ルーは私をちゃんと助けてくれたじゃない」


 そう言っても表情は暗いままだ。


「救ったのはディートリッヒだ。最終的に私はエルザに救われたのだから、私が助けたとはいえん」


 どうなったのかが分からないから、どう言ったら良いのかも分からない。

 でも、思う事がある。


「助けたとかそんなの関係ない。私はルーにまた会えて、本当に本当に嬉しかったの」


 それにルーは皮肉気に答えた。


「フリードも居たがな」


「ええ、二人にもう一度、絶対に会いたかったから、言葉にならない位嬉しかった」


 私の答えにルーは表情を曇らせた。


「どうすれば、そなたは私だけ見るのだ」


 頬に手を添え、切なげに言うルーに首を傾げる。


「今、見ているじゃない」


 それにルーは顔を顰めた。


「そういう意味では、絶対に、ない!」


 よく意味が分からず首を傾げるばかりの私を見て、ルーは溜め息を吐き、私に覆いかぶさって抱きしめ、首筋に顔を埋めた。



 あれ、ルーがこうするの久しぶりだ。

 前に私が攫われた後も、良くこうしていたと思う。



 背中を優しくポンポンと叩く。

 また迷ったのだろう。

 誰だって目印が無いと不安になるものだ。


「私はここにいるよ」


 そう言ったら、ルーは掠れた声で囁く。


「ああ、そうだな」


 何だか凄く不安定みたいだ。

 心配になる。





 しばらく抱きしめていたのだが、ルーは中々離れない。

 もう少しこうしていた方が良いかなと思い始めたころ、ルーは


「本当は、エルザには何もして欲しくないと、思う事もある。ただ、側に……」


 何かボソボソととても小さな声で呟いてから身体を離した。


「ルー?」


「何でもない」


 ルーはこうなったら教えてくれない。

 小声で言う言葉は大切な物な様な気がいつもするのだが、ルーもフリードもけして教えてはくれないのだ。



 もう落ち着いたのか心配だが、訊きたい事もある。

 自分を優先させる様で恐縮だが、訊くだけ訊こう。


「ルー、私が気を失ってから今までの事、教えてくれる?」


 勇気を出して訊いたのだが、ルーは私を案じ、心配げだ。


「大丈夫か?」


 案じてくれて嬉しいが、体調自体はそれ程悪くはない、と思う。

 私よりルーの方が心配なのだが、それを言われるのはルーはあまり喜ばない場合が多いから、どうしたものか。


「寝ながら話を聞く位なら大丈夫よ」


 私はルーが安心する様に微笑んだ。

 ルーは私が笑うと凄く安定するし、落ち着くから。



 ルーは肯き、教えてくれた。





 ルーとフリードはそれぞれ森の中であの奇怪な声を聞き、急ぎ宿営地まで戻ろうと移動している途中で出会い、一緒に戻っていたら、ディート先生とクー先生に出会い、一緒に行動していたらしい。

 あの怪物はルーとフリードを集中的に襲ってくるし、魔法は威力が弱められている上、攻撃を加えても周りの怪物を取り込んで回復するしで面倒だったそうだ。



 幻獣達も駆けつけて、体制を整えた所であの怪物が転移したらしい。

 探して見つけたら、私が喰われそうになっていて、ルーは咄嗟に私を助けに動いたという。

 フリードもそうだった様だとルーは言う。



 重体の私に慌てて治癒を施そうにも、治癒できず、腹に刺さった触手は煙を上げ、私の傷口を急速に広げているのに、私は意識が戻らないままで気が狂いそうだったらしい。

 フリードと二人で触手を抜き、止血したが血が止まらず、絶望しそうになった時、私が目を覚ましたと言う。



 ディート先生があの怪物を倒し、これで私を治癒できると油断したのが敗因だとルーは悔しそうだ。

 私に抱きしめられた瞬間、淡い黄金色に包まれ、怪物達はその黄金色の光で一瞬で消滅したらしい。



 光は森全土を覆い、全ての怪物を消滅させたという。

 大元を倒した影響なのか、それとも黄金色の光の影響なのかは分からないが、転移も通信も可能になったのだそうだ。

 そして、これは私の力だとルーもフリードも思ったらしい。

 無効化されたし、大元も倒したのなら、治癒も可能かもしれないと私に治癒魔法を使ったら傷口が塞がっていくから、心から安堵したのだとか。



 バラバラになっていた皆も集合出来た上、治療も可能になっていたという。

 どうやら皆、どこかしらケガを負ってしまっていたらしい。



 幻獣の幼生達や、戦っていた幻獣達から幻獣の王にも連絡が行って、凄い大事になったという。

 幻獣の森にこんな怪物がでたのは初めてであるし、こんな怪物を誰も見た事もなかったから、凄まじい騒ぎになったらしい。



 森の外まで大量の幻獣達が護衛に付いてくれたという話だ。



 勿論、皇帝陛下を始めとした国の重鎮の方々にもこの事件は伝えられ、帝国内でも秘密裏にではあるが大事になっていて、原因究明が急がれているという。





 話を聴いて一安心だ。

 皆、ケガをしていたというのは心配だが、治癒できる様になったのは良かった。



 私も改めて腕を見てみたが、傷痕一つなくて、良かったなと胸を撫で下ろす。

 やっぱり傷が残るのは、嫌だなと思ってしまう。



 それにしても、やっぱりアレはルーやフリードも狙っていたのだ。

 ルーの無事な姿は見られたが、フリードはどうなのだろう。



「ルー、今日は、フリードは一緒じゃないの?」


 訊いてみたら、得意げなルーは嬉しそうに言う。


「フリードにじゃんけんで勝った故、今日は私だけだ」


 ……何をしているのだ、二人は。

 こういう場合、どういう反応をしたら良いのか、分からない。

 助けて、勇!

 って、前世の従兄弟に助けを求めてどうする!



 本当にもう、仲が良いのか悪いのか、ルーとフリードは謎だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る