春日美里-2
「厳しい、とは」
どういう、ことでしょうか――と、
小学校に楽器を教えに行った、その帰り道。
後輩の作ったOBOGバンドについて、あれこれ話して言われたのがこのセリフだった。
厳しい、とは。
どこの部分で、そう思ったのか。そう訊く美里に、長らくひとつの楽団にいた人間は言う。
「コンクールに出る、って部分かなあ。美里ちゃんたち、出るからにはそれなりの成績を残したいだろ?」
「あ、はい。それはそうですね」
今は年に一回の学校祭のために集まり、演奏を披露しようというのが目的のOBOGバンドだが、もっと人が集まってきたら、活動の幅を広げていきたいと思っている。
コンクール、というのはその中でも、真っ先に出てくる候補だった。
学校の部活では必ずといっていいくらい組み込まれている大会だし、なじみ深く目標にしやすい。
現に今、美里がいる一般バンドも毎年コンクールには参加しているのだ。
大人に混じって二回ほど彼女も大会に出たが、この雰囲気は知ってるなあ、という印象だった。
もちろん中学や高校のときとは少し違うけれど、大人になっても真剣にがんばれるのはいいことだと思う。
それは、この人も知っているはずなのだが――と、美里が、自分の父親ほどに年の離れている団長に目を向けると。
その人は、少し表情に影を落として言ってくる。
「OBOGバンドってことは、コンクールはうちと同じ『職場・一般の部』に出るってことだよな。けどそこの戦いっていうのは、簡単なもんじゃねえ」
「ええ。うちの団もなかなか県大会は抜けられていませんもんね」
大人になっても楽器を続けよう、なんて人間が集まる以上、どこの団も必然的にレベルは高くなる。
現にここ数年、美里たちのバンドは支部大会まで行けていない。自分たちも健闘しているが、周りがそれ以上のものを持ってくるからだ。
「でも、やってやれないことはないと思いますよ?」
高校生のときと同じで、こちらの団もあと一歩のところで金賞というラインまで来ている。
なら別にそこまで悲観することはないのではないか――と、美里が首を傾げると。
団長は、表情を変えないまま言った。
「大人のコンクールっていうのはさ。年齢の制限とか金銭の制限っていうのがなくなった分、色々あるんだよ」
奥歯に物が挟まったような言い方は、何か口にしたくないことがあるからだ。
本来ならば、隠すべき事実。
それを、こちらの相談に乗るために、この人は話そうとしてくれている。
そのことを悟って美里が黙ったままでいると、団長はそのまま続けてきた。
「一部の団では金で、音大卒の人間を呼んで乗せたりするからな」
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吹奏楽コンクールとはあくまでアマチュアの大会であり、プロが出場することは禁止されている。
音大生、プロ奏者は指揮者を除き参加は許されていない。理由はもちろん、パワーバランスが崩壊するからである。
専門的に音楽を学んだ人間が、仕事の傍らでやっている人間に勝つのは当然のことだ。そもそもかけた時間が違い過ぎる。
ただ、どんなものにも一部抜け穴はある――グレーゾーンは存在する。
それが『音大卒の、プロ活動をしていない社会人』である。
「まあ、ごく一部のとこだけどな。コンクールのときだけ急に人が増えるバンドはある。大抵は、指揮者の弟子とかで――下手をすると半分以上がそういうメンツで埋められてるってところも、ないではない」
いくつか、そういうところを知っている――と、長年コンクールに乗っている大人はため息をついた。
当たり前だが、そういうところは非常に上手い。
外部から人を集めてくれば、演奏が噛み合わないのではないかと考える人間もいるだろうが、そもそも彼ら彼女らは『合わせ方』すら心得ている。
なので、単純に実力だけで金賞を取れる。『勝ちに』くる――いつか誰かが語った、手段を選ばない方法で。
その闇の深さは一度、目の当たりにしていた。
何の巡り合わせか、OBOGバンドの長になった後輩が言っていたこと――。
「……だから、妙に飛び抜けたところがあるんですね」
コンクールを見ていて、一部異様なほどに高得点を叩き出すバンドがあるなとは、美里も思っていた。
その理由の一端が、明らかになった。そうまでして――と思わなくもないが、彼らなりにこだわりがあるのだろう。
しかしそういった者たちと同じフィールドに立たなければならないというのは、いささか厳しいものがある。
だから、『コンクールは厳しい』だ。普通の学生あがりが集まって大会に出ても、結果は目に見えている。そう団長は言いたかったのだろう。
そして当の本人は、いささか驚いた様子で美里を見ていた。
「……意外に驚かないね、美里ちゃん。もっとショックを受けると思ったけど」
「これでも、色々見たり聞いたりしているので。耐性は、あります」
「そうかい。だったら俺の言いたいことも分かったんじゃないかな」
無謀だ、ってことによ――と言う大人に、美里は「ええ」とうなずいた。
先ほどまで小学生にキラキラした眼差して見られていた自分たちだが、今はどうだろう。
目指しているものの闇、業の深さを話し合っている。
あの子たちがこれを聞いたら、どう思うのかな――と、脳裏に子どもたちの笑顔をよぎらせつつ。
美里は言う。
「……別に参加する人たちが悪いんじゃ、ないと思います。自分の腕が生かせるなら、生かしたいところに行きたいと思うのが、普通の感覚でしょうし」
ひとりで演奏はできないし、頼りにして呼んでくれるのなら行きたい。
一緒に合奏をしたい――その思いは、変わらないはずなのに。
どうして、こうも悲しい気持ちになるのだろう。その問いは何度も繰り返したのだろう。一般バンドの主は答える。
「まあな。問題があるとしたら、そいつらじゃなくてバンドの大半が
「嬉しいんでしょうかね、その金賞って……」
「さあ。でも毎年続けてるってことは、それなりに満足してるんじゃねえかなあ」
「……」
満足、いっているのだろうか。
三年前、勝ちを求めた末に様々なものを失った、と言った後輩の顔を思い出す。
あのときの彼の目は失ったもののままに欠けているものがたくさんあって、埋めてあげなければそのまま壊れてしまいそうだった。
だから必死に手を伸ばした。そのときの後輩は――今は他の誰かを救うため、OBOGバンドを作った。
このままコンクールを目指していけば、いつしか彼は同じものにぶち当たることになる。
そのときあの子は、どうするのだろう。
自らの過去の姿を見て、怒り狂うのだろうか。それとも――。
「まあ、そんなわけでだ。生半可な覚悟で大人の戦いに飛び込んでくるんじゃねえや、って言っておいてくれや。その後輩さんにも」
「――そうですね。伝えておきましょう」
いや、あれこれ想像して心配してしまうのは、自分の悪い癖だ。
彼の心の中を勝手に決めつけてしまうだなんて、失礼に過ぎる。
これでも自分はあの子の先輩なのだ。ちょっとだけ、大人にならなければならない。
この間会った後輩は、記憶の中の姿よりずいぶんとたくましくなっていた。
さっき教えた、小学生たちのように。
少しの間でみるみるうちに目を輝かせたのだ。
だったら、あの子を信用してみよう。その上で、ゆっくりと話し合ってみよう。
これから、どうするかを。見知ったものの暗部に触れ、心に影が差したようだった。
大きく息をついて日陰のようなそれを追い払い、美里は言う。
「でも、それを知りながらうちの団は、コンクールに出続けてますよね。どうしてですか?」
半ばルール違反、という行為を知りながら、それでも挑戦を続けているのはなぜなのだろうか。
思わぬ事実に脱線してしまったが、本来聞きたいのはそういう『最前線にいる大人の意見』なのだ。
華やかな舞台の裏側まで知っている、この人の話はぜひ聞きたい。
改めて美里が訊いてみると、ひとつの団の長はあっさりと言い切った。
「そういう連中に一泡吹かせてやりたいから、だな」
「え」
思ったより子どもっぽい理由に、娘ほどの年齢の離れた彼女の方が絶句した。
え、だってさっき、覚悟を決めてこいとか言わなかったか。
この業界を自分たちの力で変えたいから、とかそういう崇高な志があるからとかでは、ないのか。
美里が呆然としていると、大の大人は唇を尖らせて言う。
「だってよー。ずるいじゃんあいつらばっかり金賞取るのよー。金積んでセミプロ雇って、うちら県内一番です、って顔してるのよー」
「い、いや、人脈も力といいますか、経済力も実力のうちといいますか、そういう大人の対応を期待していたのですが……⁉」
「そーんなのナイナイ。悔しいのは大人だって同じよ。むしろ大人だからこそ意地になってそういうのに立ち向かうっていうか、うん」
さっきまでの辛気臭い雰囲気を吹き飛ばして、ひとつの団の長は豪快に笑う。
自らの理想に突き進むように。
どこまでも揺るがず、反骨精神を胸に抱いて――
「だからよ。俺はいつかこのしみったれた天井を抜けて、次の舞台に立ってみたいのよ。
ただのなんでもないアマチュアの奏者たちが、鍛え抜かれたセミプロ集団を超えるんだぜ? いいじゃん、いいじゃん。そういう光景が実現するのを、俺は夢見てるわけよ」
「……」
ガキ大将みたいなことを言うのを、美里は呆れた顔で聞いていた。
この楽団もかつては、どこかの学校のOBOGが集まってできたものだと聞いていたが、その精神はいつまでも変わらない。
ずっとずっと、見果てぬ地平を目指している。
何があっても。自分たちより先に、とっくにスタートをしていた人物を見て、ようやく美里は噴き出した。
なんだこの大人。
全然、人のこと言えないじゃないか。
むしろこんなに厳しい現状を知った上で、馬鹿をやれる大人がいてよかった――と、声に出して笑いながら彼女は思う。
「なんだ⁉ なんで急に笑うんだ⁉ さてはうちのカミさんみたいに、『ばーかばーかそんなの無理よ』とか言うつもりか⁉」
「いや、団長って楽しいなって……」
「嘘だべ⁉」
最高の誉め言葉のつもりだったのだが、当の本人はガビンと何やらショックを受けていた。
その様子に、またもや笑いのツボを刺激される。なんやかんや大変なこともある一般バンドでの活動だったが、これがあるから美里も今まで続けていた。
「きっと
涙を流しそうになるくらい笑いながら、思う。
自分も周りも、先生たちも。
小学生も、音大卒のセミプロの人にだって――彼なら声をかけて、一緒に演奏しそうな気がする。
「そのときまでに、わたしももっとしっかりしておきませんと――」
今日教えた、小学校の校舎を振り返る。
あの子の助けになるように。
いつの日か、みんなで合奏できるよう――自分もまた、彼らのヒーローとして後輩の元に出かけよう。
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