アフターストーリー

千渡光莉

「好きなんだけど」


 と。

 湊鍵太郎みなとけんたろうに、千渡光莉せんどひかりは言った。

 同い年の発言を、鍵太郎は理解できず目をぱちくりさせる。

 三年生の十月。

 学校祭も終わり、お互い部長でも副部長でもなくなる、このタイミング。

 退――そんな話をしていた、矢先。

 これだけ条件がそろっていてもよく事態を呑み込めないのが、鈍感男の鈍感男たるゆえんである。

 なので鍵太郎は、ただ頭に浮かんだ疑問符を、ただ口に出した。


「――え?」

「なに聞こえない振りしてんのよ、この唐変木!」


 同い年がいつものように怒鳴ってくるのは、お約束だ。

 その顔が真っ赤なのも、いつもどおりだ。けれど彼女の表情は、これまでとは少し違っている、ようで――


 え?


 と、再び言いたくなるのを、鍵太郎は堪える。

 いや、だって、それはどういうことなのだ。

 光莉とは確かに、一年生の頃からよくしゃべっていた。

 さらに言うなら、彼女が入部するきっかけになったのも鍵太郎だ。

 大きなトラウマを乗り越えるために、幾度となく力を貸したこともある。

 そういえば自分には妙に、突っかかってくることもあったが――


「い、いや、ちょっと待て。本気でどういうことだそれ。全然ついていけないんだが」

「どうもこうも、わ、わわわ、私が、あんたを、好きってことよ! い、言ってる意味、分かんないの⁉」

「いや、えーっと、その……」


 手を握って、こちらを潤んだ瞳で見上げてくる様は、確かにそれっぽい――かもしれない。

 頬がとてつもなく赤いのも、触れている手がかすかに震えているのも――まあ、まっとうに考えてみれば、そうだ。

 しかし、相手はあの千渡光莉である。

 苦楽を共にし、戦火を駆け抜け。

 ときにこちらを殴りつけてくるくらいの豪傑。

 そんな彼女が、今さらこんなことを言ってくるとは思わなかった。

 好き、って、あれか。仲間として信頼しているとか、そういうことではないのか。

 個人的に、ただ一組の男女としてということか――と、半ば他人事のように、現実から遊離した感覚の中で、鍵太郎は思う。


「ええっと……ドッキリとかじゃ、ないよな?」

「そんなわけないでしょ⁉ こっちがどれほど心臓バクバクしてるか、あんた分かってる⁉」

「いや、その、ほら。俺が年齢イコール彼女いない歴だってこと、おまえも知ってるだろ」


 自分が誰かから告白されるなんて、考えてもいなかったのだ。

 あのクラリネットの後輩のときだって、とんでもなくびっくりした。そのときは光莉だって一緒にいたので、知っているはずだ。

 どうしようもなく自分が、愛されようとしても愛されなかったことを。

 ずっとずっとあの人のことを、追いかけ続けてきたということを――と、そこまで考えたところで。

 鍵太郎の脳裏に、ふと嫌な予感がよぎった。


「……いつからだ?」

「……ずっと前から」

「……どうして?」

「そりゃ、あんだけがんばってたら……かっこいいかな、くらいは思うわよ」

「……。あの、ええと、その」


 恥ずかしそうに答えてくる同い年に、抱えた不安が増大していく。

 光莉はずっとずっと、傍にいた。

 だから知っているはずなのだ。初心者で入部した自分が、いかにできない人間だったかということを。憧れと好意を勘違いして、手痛いしっぺ返しを食らったときのことを。

 未練がましく先輩を追いかけ、そして散ったということを――。


「う、あ」


 じわり、と触れられた手から熱がしみ込んでくる。

 これ以上はやばい。考えてはいけない。

 だって、彼女は全部知っているのだ。こちらがどんな気持ちで、どんな行動をして、どんな思いをしてきたかということを。

 老人ホームでもコンクールでも、学校祭でも卒業式でも――

 全てを分かっていて見られていたのだとすれば。

 それはとんでもなく、恥ずかしい。


「え、あ、その」


 じわじわと、思考が現実に追いついてくる。

 あの人のことを好きだと言う自分を、光莉はどんな気持ちで見てきたのだろう。

 部長を辞めるまで誰とも付き合わない、などと言った自分を、この同い年はどんな気持ちで見てきたのだろう。

 挙げ句、副部長として彼女は、コンクールの舞台裏でも傍にいて――。

 次々と記憶が押し寄せてきて、そのときの光莉の表情と、いま目の前にいる彼女の表情がだぶる。

 顔を真っ赤にして小さく震えて、こちらを怒鳴りつける直前の表情。

 つまりそれは。

 ずっと光莉は。

『その気持ち』を抱えて、こちらに接していたということで――


「ああ、もう! この際だから言ってやる! 言ってやるわよ!

 ずっと前から! あんたのことが! 好きだったの! 大好きだったのよ!」

「う、ぎゃああああああああああああああああっ!」


 その表情のまま、いつものように怒鳴ってきた彼女に。

 今度こそ鍵太郎は、顔から火を噴き出しそうな勢いで絶叫した。

 照れ臭いのか嬉しいのか、拒絶したいのか受け入れたいのかもよく分からない。

 ただ、圧倒的に脈打つ心臓の音だけがばくばくと聞こえる。

 見えないけど、たぶん耳まで真っ赤だ。きっとそこにいる、同い年くらい――

 視界がぐるぐる回っている。何も言えず鍵太郎が口をぱくぱくとしていると、光莉はそんな泣きそうな顔の同い年に、勢い込んで言う。


「で⁉ どうなの⁉ 返事は⁉」

「だ、だって、今まで、ずっと友達だって思ってたし……」

「じゃあ嫌い⁉ 無理⁉ 付き合えない⁉」

「い、いや、嫌いなんかじゃない。全然、嫌いなんかじゃない、けどさ……!」


 半ばどころか十割近くパニックに陥っているだろう光莉に、慌てふためきながらそう返す。

 いきなりそんな風に言ってくるなんて、勘弁してほしい。

 本当に、全く、彼女のことは仲のいい同い年だと思っていたのだ。

 今さら好きだとか嫌いだとか、とてもじゃないが考えられなかった。

 ただただ、掴まれている手の感覚だけがはっきりとしている。思わず振りほどきそうになって、でもそんなこともできなくて。

 にっちもさっちもいかないまま、鍵太郎はひたすらに浮かんだことを言った。


「だ、あの、ずっと、見てきて知ってると思うけど、俺は結構重いやつだぞ……⁉」

「……知ってる。ずっと見てきたから」

「暗いし粘着質だし、情けないし実は案外と変なことも考えてるぞ。それでもいいのか……⁉」

「分かってるわよ! その上で好きだって言ってるんでしょうが! ばーか!」


 追い打ちをかけるような光莉の言葉に、「あう……」としか返せず、ゆでだこのようになりながら沈黙する。

 どうしよう。動けない。

 向こうも知っていると思うけれど、こんなこと初めてなのだ。

 後輩の好意はどこかねじ曲がったものだと分かっていたし、告白した時点で相手が逃げたから、その場でどうこうということはなかった。

 けれど今は、間近で同い年が自分のことを見つめている。しかもしっかりと、離さないように手を握って。

 すると煮え切らないこちらの態度に、たまりかねただろうか。光莉の方が言ってくる。


「き、嫌いじゃないなら……とりあえず、付き合ってみるっていうのは、どう?」

「あの、そ、それはいわゆる、『お友達から』ってやつで……」

「もうとっくにそれ以上でしょうが! 馬鹿ね!」

「誤解を招きそうなことを大声で言うんじゃねえよ! ていうかさっきから馬鹿馬鹿言いすぎだろ!」


 仮にも好きだと言っている人間に、それはないのではないか。

 いつものように口論になりかけたところで、しかしお互いに普通の状態ではないので、ぜいぜいと荒い息をつく。

 それでも手を離さないのだから、この同い年もなかなかに執念深い。

 いっそのこといつものように、殴ってきてくれた方が楽なのに。

 そんな風に鍵太郎が思っていると、光莉は言ってくる。


「いくらでも待つわ。なにしろ三年間、ずっと待たされてきたんだもの」


 このくらい、我慢のうちに入らないわ――と、同い年はまた心拍数を跳ね上げることを言って、強く手を握ってくる。

 真っ赤な顔をしながら。

 その瞳に挑戦的な、でも隠しようのない好意と笑みを込めて――。


「覚悟しなさいよね。今度こそ、容赦なんかしてやらないんだから」

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