第455話 終わりと、そして始まり
「あれで、よかったの?」
と、
後ろから聞こえてくるその声に、鍵太郎は「何がだ?」と聞き返しつつ、廊下を歩く。
学校祭もあと少しで終わる。窓から見える空にも、だいぶ紺が混ざりかけてきた、そんな頃合い。
今日が終われば、自分は吹奏楽部の部長ではなくなる。
そんな感慨をもって校舎を歩いていくと、光莉は言う。
「その……OBOGバンドのこと。
「ああ、そのことかぁ。うーん、最初の立ち上げは俺がやらなきゃいけないだろうけど。さっきも言ったけど、全部を背負い込む気はないし、辛くなってきたら誰かに投げるさ」
まったく、先生も大げさなんだよなあ――と、先ほど体育館で行われた話し合いを思い出して、鍵太郎は笑った。
卒業生をまとめて、OBOGバンドを作る。
そう提案をしたら、顧問の先生は血相を変えて色々と意見をしてきたのだ。最終的には、こちらの決意の固さを見て賛同してくれたが――まあ、言うだけなら簡単、やるのは難しいぞと言いたい気持ちはよく分かる。
なにしろ、今年だって部長の仕事に、散々苦労してきたのだから。
先ほどは結成が上手くいったことで素直に喜んでいたが、光莉も時間が経って少し冷静になり、事の重大さを理解してきたのだろう。
トラブルは、あり得ない角度からやってくる。それは知っていた。
しかし、だからこそこちらをサポートしてくれる存在は必要なのだ。
たとえば、それこそ自分のことを心配そうに見てくる、同い年の副部長とか。
今回のOBOGバンド創設のきっかけとなった、トランペットの先輩とも関わりの深い光莉なら、力になってくれるはずだ。
最初から最後まで、彼女とは一緒だった。
一年生の初めから今日までのことを振り返りつつ、鍵太郎は言う。
「だから、まあ、千渡。おまえもOBOGバンド、手伝ってくれるとありがたいな。楽器持ってるし、みんなのことも分かってるし。なにより
「まあ、先輩のことはそうね。同じ楽器吹きとして力になれないかなと思ってる」
音楽室の方を見上げて、光莉はそう答えてきた。
楽器を吹ける場所がほしい――そう願った二つ上の先輩は、今もあの場所で、よく通るトランペットの音を出し続けている。
というか、あの先輩たちの代はまだ、あれをやろうこれをやろうと楽譜を引っ張り出して騒いでいるのだ。
まったく、ステージからはもう撤収したというのに、世話の焼ける人たちである。
まあ、そんな人たちだからこそ、これからも一緒にやろうと思ったのだけど――。
聞こえてくる音に浮かびかけた苦笑が、穏やかな笑みに変わっていく。
「ああいう人たちの居場所が確保できて、俺も楽しいならそれでいいさ。おまえもそうだろ? 千渡」
「うん――そうね。そういうのはいいと思う。だったら、これからのことはこの先考えるとして――今は、目先のできることをやりましょうか」
同じ音を聞いて、光莉もうなずいた。
なんだかんだ、この同い年も付き合いがいい。考え方はこちらと違っていても、目指すものが同じなら彼女ともまだ、一緒にいられる。
いずれOBOGバンドが大きくなって、ステージが大きくなったとしても。
「もしかしたら将来的に、OBOGだけで演奏会とか、コンクールに出たりもするかもしれないけど」
だとしてもそれは、ずっとずっと先の話だ。
今はまだ考えられないほど遠くにある、あり得ない夢のようなお話。
そんなところにまで行けるかも分からない。現時点で全く見通しは立っていない。
ただ――もしそんなことが実現したら、自分は本当に一生、そこに関わることになるだろう。
先生の言っていたことは、そういうことだ。作り上げたものには責任が伴う。この三年間、演奏者として過ごしてきて、それは分かっていた。
因果なことに、自分はこれからも代表者としての顔を持つことになる。
しかし同い年の言うとおり、今ここでそんな先のことを考えてもしょうがないのだ。トラブルがどこで起きるか分からない以上、しばらくは波の向くまま、風任せに。
受験もあることだし、大学が決まるまで少しだけ、大人しくしていることにしよう。
寒い冬を越すべく、しばらく眠るのだ。また再びの春が来るまで――草木の芽吹く季節まで。
動き出すそのときに備えて、力を蓄えることにする。
そう考えてのんびりと笑っていると、光莉が訊いてきた。
「……じゃあさ。あれはどうなるの? 部長を辞めたら彼女を作ってもいいかな、って話」
「ああ、あれか。まあ、どうだろうなあ。今ならアリかなあ、とは思ってるけど」
後輩のクラリネット吹きにも訊かれたが、その話はいかんせん、相手がいなければどうしようもないことでもある。
部長としての仕事は今日で終わり。
あとはOBOGバンドの立ち上げまで、しばらくフリーだ。
けれどもこんな面倒くさい人間に、付き合ってくれる人間がそうそういるとも思えなかった。なにせ筋金入りの音楽バカだ。楽器と私と、どっちが大事なの、などと問い詰められかねない。
あれ、実はこれって、あの指揮者の先生と同じ状況なのではないか――と、鍵太郎が冷や汗を流すと。
同い年は、続けてくる。
「本当に本当? 土壇場になって、やっぱり誰とも付き合う気はありません、なんて言ったりしない?」
「しつけえなあ。何だよいきなり。俺だっていつまでも逃げ回ってるつもりはねえぞ」
部長になってから今まで、その話は避け続けてきたわけだが、いい加減向き合わなければならないだろう。
それこそひとつ下の、クラリネットの後輩の件もあるわけだし――楽譜にも人にも誠実に。それを実行しないわけにもいくまい。
しかし自分がそんな行動に出ることを、ずっとずっと一緒に過ごしてきた彼女は分かっているのではないか。
そこまで甲斐性なしでいるつもりはないのだ。OBOGバンドは一生のものかもしれないが、さすがにこれを一生ものにする気はなかった。
ここでいったん、区切りつけておかねばならない。そう思っていると。
光莉が、こちらの手を握ってくる。
「ふーん。じゃあ、さ」
振り返った先にある、彼女の顔は。
いつものように、なぜか真っ赤に染まっていた。
これまでの旅路の気の置けない仲間であり、そしてこれからの心強い相棒である同い年。
そんな光莉の真っすぐな眼差しを、鍵太郎は見返す。
遠くからは耳慣れた、先輩たちの声。
もうすぐ終わる祭りの、残り香のようなざわめき。
そこに混じって――いつかの、始まりの日のように。
「話したいことが、あるんだけど」
トランペットの音が聞こえる。
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