第400話 がんばったから
都合のいい奇跡などあり得ない。
それは知っていた。けれども、だからこそ――と、
『三十五番。川連第二高校吹奏楽部。銀賞』
告げられたその声に、鍵太郎は一瞬目を閉じて、そして前に出た。
東関東吹奏楽コンクール。
その表彰式でのことだ。本番の演奏はもう終わって、どんなに祈っても結果はもう
知っていた。
どんなにがんばって演奏をしても、それを上回る学校があると。
悲鳴も歓声もあがらない。だから、それは順当な評価で――あるべき場所に収まっただけなのだと、その沈黙が語っていたように思える。
知っていたのだ。
プログラム順からして、自分の学校の発表は最後だった。
だからそれにたどり着くまでに、金賞のトロフィーは全部なくなって、残っているのがそれだけであると、頭では理解していた。
けれども、心のどこかで――やはり、そんなことはないと、信じたかったのだ。
何かの目の錯覚で、これも金賞のトロフィーなんだよと誰か言ってくれないだろうかと思う。
あるいは何かの都合で、今回は金賞以外にも東日本大会への代表枠があるとか――そんな、都合のいい奇跡があるのではないかと信じたかった。
けれども、それはなかった。
賞状を受け取ったときも、客席に礼をしたときも、東日本大会への代表校が発表されたときも。
鍵太郎の心は、
感情が一切停止してしまったように思える。あるいは、あまりのショックの大きさに安全装置が働いているのかもしれない。
部の代表者としてこのステージに上がっている以上は、結果に不満を言ってはいけない。
だから、みなが拍手するのに合わせて何も言わず拍手をする。たとえ世界の誰もが自分たちを見ていなくても。それがこの舞台の掟であり、ルールでもある。
ただ――なんだろう。ひどく疲れた。
心と身体が重い。そして、それは同い年の副部長、
表彰式と、閉会式が終わって。
ホールの通路をしばらく歩いてから、光莉は口を開く。
「……残念、だったわね」
「……」
応じる気力も、まだ戻ってきてはいなかった。
まだ現実を受け止めきれていないのかもしれない。この結果は、夢幻のようなもので――気が付いたら目が覚めて、またあの合宿所の部屋で、彼女がトランペットを片手にこちらを見下ろしているのかもしれない。
そのくらい、胸が硬く詰まっていた。
どんなに言葉をかけても、それは解きほぐせそうになかった。けれども、同い年はそんなこちらを見かねたようで――あきらめずに、声をかけてくる。
「……がんばった、でしょう。慣れない楽典を勉強して、自分たちなりに活かして、音も見つめ直して……。今日の演奏だって、県大会のときと比べたら格段に洗練されてたと思うわよ。そんな自分たちのことは、誇ってもいいと思うの。前よりもよくなってた。そんな私たちのことは、認めてもいいと思うのよ」
「千渡」
一生懸命こちらに語り掛けてくる同い年に対して、放った一言は自分でも驚くくらい、暗くて重いものだった。
そういえば、二年前の県大会のとき――初めてのコンクールのときも、彼女とはこんなやり取りをした。
結果が全て。
経過はいらない。
そんなことを言っていたやつのことを、自分たちは否定したつもりだった。そして現に、光莉が話している内容は昔と違う。
それなのに、自分はどうだろう。
「……次は、もうないんだ」
『今年じゃないと、意味がなかった』――あんなことを言っていた一年生の頃と、大して変わっていやしない。
確かに、今回の経験を糧に来年はということになるだろう。
自分たちの学校は、今年が支部大会初出場だった。だからこそ、雰囲気に呑まれたという部分は少なからず存在している。
だったら今度こそは。そう思う気持ちは間違いではない。
けれども自分たちは、もう三年生だった。
「……大人になっても、大学生になっても、楽器は続けられるかもしれない。けれど、このメンバーでできるのは、今しかなかったんだ。俺たちのコンクールは、これで終わりだ」
吹奏楽部の甲子園とも呼ばれる夏の大会、吹奏楽コンクールはこれで、終了することになる。
今回の結果をどうとらえるかは、人次第だろう。
初出場の支部大会で銀賞を取ったのだから、大したものだと思うこともできるだろうし。
県大会から今まで、十分がんばったのだから、もうこれ以上は望まなくていいと言う人もいるかもしれない。
けれども、鍵太郎はそうは思えなかった。
「……何がダメだったんだと思う? 千渡。俺たち結構、がんばってきたよな……?」
「……そうよ。がんばってきたわよ」
「だったらなんで、こうなるんだよ、なあ……⁉」
思わずそんな風に声を荒げるほど、納得がいかなかった。
分かってはいるのだ。ここは、がんばったら
そんな仕組みだったら、どこの学校も大体金賞だ。世の中はもっと平和で、穏やかになっている。
けれども、そうではない。
「なんで、取りたいと思ったときに限って金賞って取れないんだよ、ちくしょう……‼」
いつもそうだ。
一年生のときも今回も、どうして切望したときに限って欲しいものが得られないのだろう。
頭の中に、これまでの色々な思い出がよぎっていく。あの人とかりそめにでも、一緒にいた時代。先輩たちに反抗して、もぎり取った栄光。そして全力で挑んで、散った今年。
さっき後輩に、がんばったから十分だなんて言ったけれど、あれは嘘だ。それでいいなんてことはない。
がんばったから、悔しいんだ。
本気でやったから、こんなにも感情があふれ出てくるのだ。
「くそう……くそう……!」
渡された、銀賞のトロフィーと賞状を持って、涙を流す。こうなる前に、自分はどうすればよかったのか。そんな問いばかりがぐるぐると、頭をめぐる。
これが結末で。
これが現実なのだけれども。
こんなものでは、全然収まりがつきそうもなかった。
練習が甘かったのか。いや違う。今回は感覚がおかしくなるくらい、懸命に自分の音を見つめてきた。じゃあやり方がダメだったのか。そんなこともない。みんなそれぞれ、教えられたものを噛み砕いて着実に力にしてきた。
だったら先生がもっとちゃんと対策をしてくれればよかったのか――人のせいにするな。雰囲気に呑まれかけたのは奏者側であって、指揮者側ではない。いくらあの先生だって、生徒全員に引っ張られたら数の暴力で負ける。
ホールの距離感についても教えられていた。それに対抗する手段もこれまでずっとずっと、様々な形で伝えられてきた。隣の人の音を聞いて――そう本番直前に言われたことだって、覚えている。
なのに、なぜ――この
閉会式の最中ずっとしゃべれなかった分が、今さら叫びとなって出てきているようだった。膝に手をついて泣いていると、ホールの床の白いタイルが見える。トンネルを抜けると、そこは――なんて言われていたけれど、そんな視覚的なものは欲しくなかった。
だってここは、物語の中ではなく現実なのだから――そんな当たり前のことを思い知らされて、鍵太郎が声にならない声をあげていると。
前を歩いていた光莉が立ち止まる。
「あ……」
既にロビーから外に出ていて、自分たちの周りには潮の匂いを孕んだ風が吹いていた。
本番が終わった後、同じルートをたどってここまでやってきたのだ。だから、眼下には集合写真を撮る場所があるはずで――でも、そこはもう時間的に撤去されたはずだった。
なのに。
「なんで……」
自分たちの学校のみなは、変わらずそこに留まっていて。
そんなあり得ない光景を、鍵太郎は呆然と見つめた。
階段を下りたそこで、星と街灯の明かりに照らされて――真っ白に輝く床の上で、部員たちはいつものようにワイワイとしゃべっている。
それはまるで、人知れず起こった奇跡のような景色。
どんなに絶望に打ちひしがれても、疲れてしまっていても。
それでも彼女たちは、最後までずっと
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