第336話 彼女たちの計画

「学校祭の話もいいけど。今はその前に、東関東大会のことをもっと詰めたい」


 と、湊鍵太郎みなとけんたろうが学校祭でOBOGと何の曲をやるか、閃かせていると。

 それを聞いていたのか、横から片柳隣花かたやなぎりんかが声をかけてきた。


「今の感じだと。先輩たちとやる曲はそれでもう決まりでしょう。『宝島』。結構じゃない。それ以上ぴったりなのはないでしょうね。二年前のメンバーで演奏するなら。ならもう。話はそれで進めましょう。いつまでも迷っている暇はない」

「お、おう……」


 テキパキと、いつも以上に淡々と言ってくる隣花に、鍵太郎は戸惑いながらもうなずいた。

 東関東大会まで、一か月半――とはいっても、お盆休みもあるし、思った以上に時間は少ない。

 盆明けから練習を再開することを考えると、正味一か月といったところだろうか。

 そこからどうするなどと、悠長に考えている暇は確かにない。この段階で計画を立てて、できるだけ準備をしておくに越したことはないのだ。

 相変わらず、どこまでも冷静で論理的なこの同い年である。それだけ、この大会に賭けてるってことだよな――と、隣花の大人な態度に関心しつつ、鍵太郎は言う。


「そうだな。東日本大会を目指すっていうんなら、もっとすげえ演奏ができるようにしねえと。まだできることは、たくさんある。やり残したことだって、わりとある。せっかくもらった延長期間だ。有意義に使っていこうぜ」

「うん」


 そう応えると、同い年は言葉少なにうなずいた。

 先ほどまで彼女のその瞳にあった、わずかな険が和らいだような感じがする。まあ、そうだ。いくら『あの人』が来るからといって、そちらにばかりかまけてもいられない。

 自分は部長なのである。

 それを忘れてしまっては困る――といったところだろうか。結論が出るまで待ってはくれていたようだったが、学校祭のことばかり考えているこちらを、隣花は内心苦々しく見ていたに違いない。

 だから、思考のレールを切り替えるべく話しかけてきたのだ。

 するとそんな彼女に、同じく三年生の千渡光莉せんどひかりが言う。


「あのさ……あんた、なんでそんなに落ち着いていられるの?」

「落ち着いて?」


 光莉の問いかけに、隣花は静かにそう応えた。

 静かに――そう、確かに、そのつぶやきは小さなものだったが。

 なぜか一瞬だけ、彼女がたまに見せる、感情の爆発に近いものが見えたような気がする。

 となると隣花は、心の内に激情を抱えつつも、それを必死に押し殺しているということになる。まあ、夢にまでみた東関東大会への初出場の機会だし、いくらクールな彼女でも思うところはあるだろう。

 それほどまでに秘めた、コンクールへの熱い思いがあるのか。

 そう思うと吹奏楽部員のかがみではないだろうか。鍵太郎がそんな同い年を尊敬の目で見ていると、隣花は薄く微笑んで、こちらに言った。


「湊。ちょっと千渡と、これからのことについて話してくるから。ここで少しだけ待ってて」


 その笑みは、どうにも笑顔というには鋭すぎるものだったのだが――それだけ彼女は、今回の件に関して本気だということなのだろう。



###



 隣花に手を引っ張られて、鍵太郎から少し離れたところまでやって来て。

 その真意を測りかね、光莉は同い年に再び問いかけた。


「ねえ、なんなの? 話って……」

「基本的には。さっきと変わらない。東関東大会を真剣にやろうっていう話」


 すると隣花は、いつも通り淡々と答えてくる。けれどもそれだったら、部長であるあいつを抜きにする必要はないのでは、と首を傾げると、同い年はそのまま続けてきた。


「もちろん。部活として演奏を仕上げようというのはある。よりクオリティの高いものを。そこは譲れない。けれど――もうひとつ、私たちにとって、東関東大会は意味がある」

「もうひとつの意味……?」

「湊を」


 吹奏楽部の部員にとって、大前提となることを述べた上で、隣花は個人的な事情を口にしてきた。

 少し離れたところにいる、のほほんと構えた『彼』をチラリと見て、彼女は言う。


。二年前、どれだけ好きだったとしても、今のあいつは今のあいつ。一年生の頃に立ち返らせるんじゃなくて、『私たちと共に二年間を過ごしてきた三年生』として確立させるの。今回の東関東大会は私たちにとって、そういう意味でも戦いと言っていい」

「……!?」


 とんでもないことを計画していた同い年に、光莉は絶句する。

 確かに、学校祭であの先輩がやって来てしまったら、全部を持っていかれてしまうのではないかと密かに思っていた。

 入部してから今まで、ずっと近くで見てきたから知っている。

 彼がどれほど、あの先々代の部長のことが好きだったのか。卒業した後ですら、どこかでその影を追いかけていたことを。

 部長になってからは、誰かと付き合うほどの余裕がないなどと彼自身が断言したため、その辺りは考えていなかったが――いざ見回してみれば、この状況。

 学校祭が終わり、部長の任が解ける、後輩の言葉を借りるなら『恋愛解禁』になった瞬間に――ずっと好きだった人がすぐ間近にいる、なんてとんでもないことになるのが確定しているのだ。

 これで不安にならないわけがない。条件が整い過ぎていて、いっそ理不尽だと言ってもいい。

 これじゃあ、自分たちがあいつを思い続けていたことは、一体なんだったのか――そんな風にすら、思ってしまうくらいに。

 けれども、隣花にとってはそうではないらしい。

 冷静沈着な同い年は、こんなときまで論理的に、自らの計画を打ち明けてくる。


「東関東大会で金賞を取って。その瞬間を、私たちにとって絶対に忘れられないものにする。支部大会は、創部初――つまり、春日先輩たちも行ったことのない領域。それを生かさない手はない」

「ちょ、ちょっと……」

「よくよく考えてみれば、アドバンテージはこっちにある。先輩は、どうしたってあいつから二年離れていた。けれども私たちは、ずっと一緒にあいつとやってきたの。だったら、勝算はある。可能性は、できるだけ高めましょう。『今』の私たちは、『昔』の春日先輩より、圧倒的に現実感があって、強いはず」

「そうかもしれないけど……!」


 恐ろしいほど現状を的確に捉えて分析、そこから出てきた情報を元に作戦を練っていく隣花に、たまらず光莉は叫んだ。

 なんなのだろうか、こいつは。さっきも言ったけど、どうしてこんなに落ち着いていられるのか。

 一年生のとき、あいつとはそれほど関りがなかったから、彼女はこんな風に考えられるのだろうか。二年前の学校祭。それが終わったとき、自分は直に目にしたから知っている。

 あのやけに空が高かった、校舎の屋上で。

 彼がそれこそ自らを壊しかねないほど、泣き叫んでいたことを――


「負けたくない」


 けれど、隣花はそれを見ていないからこそ。

 あの場にいた誰もが口にできなかったことを、言ってのけた。


「負けたくないの。それを許してしまったら、私たちがあいつとやってきた時間は、根こそぎ否定される気がして。そんなことは、あっちゃならない――あって、たまるもんですか。奪われるなんて真っ平ごめん。だったら、こっちが動くまでよ」

「なんで、そこまで……」

「考えられるのか、って? あのね。さっきも言ったけど千渡。私は落ち着いてなんかいないのよ」


 呆然とするこちらに、同い年は表向きは冷静に、自分の心中を述べてきた。


「春日先輩が学校祭に来るって聞いたときに、当たり前だけど驚いたわ。けれど、同時に強烈にこみあげてきた――、って思いが。先輩自身に悪気はない。むしろ、善意から出た行動だってことは分かってる。だけど、それでもハイそうですか、と納得はできないでしょう」

「隣、花……」

「あんたにそう呼ばれるようになったことを、悪いようには思ってない」


 むしろ、好ましい――そうつぶやき、隣花は少しだけ、目を伏せた。

 ひょっとしたらそれは、彼女なりの照れだったのかもしれない。


「……けれど。だからこそ、徹底抗戦したい。私たちは、あいつと一緒にやってきたのよ――それを、結果でも気持ちでも、証明したい。この不安に、負けたくない。……負けたくないのよ、私は」

「……それを私に言う辺りが、あんたらしいといえば、あんたらしいのかもしれないわね……」


 瞬間で、熱風が吹き荒れたであろう頭で。

 それでも隣花は、考えて考えて考えて、考え抜いたのだろう。

 どうすれば、彼を奪われないで済むのか。

 どうすれば、最良の未来を得られるのか――けれど、その結論はひとりでは成し遂げられないことにも、同時に気づいてしまったのだ。

 これは、取引だ。

 東関東大会、部員として演奏するのはもちろんのこと。

 彼を『こちら側』につなぎとめるために協力しろ――彼女はそう言っているのである。


「まったく……」


 お互いに、彼に対する思いがあるのは知っている。

 けれどもこの同い年は、そこを割り切って、自分にこんな話を持ち掛けてきたのだ。

 完全に、本気になった。

 そこは認めて、苦笑しながら光莉は言う。


「そこまであんたが言うんだったら、手を貸してあげないこともないわ」

「……その言い方も。あんたらしいといえば、あんたらしいわ」


 一瞬、呆れたように間が開いたが、それは隣花がこちらの心中を測ったからだろう。

 元々、東関東大会には全力で挑むつもりだった。

 そこに、『その理由』がさらに加わるのであれば――自分たちの演奏は、もっともっとすごいものになる。


「それで? まず最初に何をするのか、それは決めてるの?」


 ただその想いを込めて、音を出し。

 それを重ね合わせて、望む未来を掴むためには――何をしたらいいか。

 それを、同い年に訊いてみる。ここまで考えていた彼女のことである。次の策がないわけがない。

 さっき彼には、学校祭が終わったとき、どうするのかを尋ねてみた。

 告白するのか、しないのか。しかしあの野郎、あろうことか「そのときになってみないと分からない」などと言いやがったのだ。

 けれどもそれは、裏を返せばまだ望みがあるということでもある。

 未だ、揺れている。

 その天秤を、どちらに傾かせるか――そのための方法を、もっと必死になって地に足をつけ、考えなければならない。

 不安に溺れそうになっていた自分が、同い年の言動で息をし始めるのが分かった。

 そこは、感謝してやってもいい――そう、光莉が思っていると。

 同い年のホルン吹きは、いつものように機械的、とすら思える調子で言ってくる。


「県大会の講評用紙を見ましょう。自分たちだけで考えているより、聞いた人の感想や意見を取り入れる方が、よっぽど効率がいい」

「そうね。確かにそれは建設的かも――」

「ただし」


 ただし、と隣花は言った。

 そう、彼女は淡々とした言葉の中に、いつも感情を秘めている。

 例えばそう、時にそれは誰かのことを、思いやるような色であったりも――


「……あんたは、本番のソロで音を外してる。その講評用紙、見る覚悟がある? 千渡」

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