第335話 最果ての島

「ねえ、本当なの? 学校祭で春日かすが先輩が一緒に吹くって……」

「本当だよ。なんだ、まだ信じてなかったのかおまえ」


 同い年の副部長の問いに、湊鍵太郎みなとけんたろうは先ほどの部活会議の内容を、まとめた資料を見ながらそう言った。

 県大会が終わって、次は東関東大会。

 もしかしたら東日本大会。

 そして、その後は――学校祭。

 ついさっきまで、そういったこの先々の本番について話し合っていたところである。部長として、鍵太郎はその学校祭までやっていく予定だ。

 正式にはコンクールが終わった時点で仮引退、そこからは新部長に役割を引き継いでいくわけだが――部活に顔を出していれば、必然的に頼られることになるだろう。

 つまりは学校祭まで、自分は部長として活動していくということだ。今年はOBOGを迎えて、一緒に演奏という初めての試みをやるわけだし――と思いつつ。

 鍵太郎は、まだどうにも信じられないといった様子の同い年、千渡光莉せんどひかりに言う。


「県大会が終わった後にな。先輩から連絡があったんだ。ずっと様子を見に来られなかったから、今度の学校祭では演奏の手伝いをさせてくれって」

「そう……あの電話、そういうことだったんだ」

「問題は、今日で何の曲をやるか、決められなかったことだよなー」


 光莉が硬い表情をしているのは、今後の予定がきっちり立てられなかったからだろうか。

 それとも、別の理由があるのか――それは分からないが。

 少なくとも真面目な彼女のことだから、OBOGを招くにあたって、もっとちゃんと準備をしなければといった気持ちはあるだろう。

 こちらもそれは同じで、早めに曲を決めて、先輩たちには連絡したいところではある。出欠の確認、楽譜の送付、楽器の手配など――案外とやることはたくさんあるのだ。

 あの先々代の部長でもある、二つ上の同じ楽器の先輩は、他の面子にも声をかけると言っていたが。

 果たして、どのくらいの卒業生が集まるのか。どのくらいのレベルの曲を持ってくればいいのか。

 それが分からないから、さっきの会議でこの辺は結論が出なかったんだよな――と、鍵太郎が頭をかいていると。

 しばらく沈黙していた光莉は、そんなこちらを見ながら、小さな声で訊いてきた。


「ねえ……じゃあ、そのときあんたは、どうするの?」

「どうするって?」

「とぼけないでよ。春日先輩に告白するの? どうなの?」

「ああ……それか」


 同い年の問いに、痛いところを突かれたなと苦笑する。

 自分があの人に思いを寄せていたことは、彼女のみならず、同学年の部員だったら誰もが知っているだろう。

 卒業してから今まで、一度も直接部活に顔を出していなかったから、そんなことは考えられもしなかったけど。

 学校祭でなら、それが叶ってしまう。

 二年前より、もっと確実な形で思いを伝えることができてしまう。

 先ほどの会議で、後輩に『部長を辞めたら恋愛解禁』などと言われたことを思い出す。確かに、自分は部長である以上、それで精一杯で他のことを考える余裕はなかった。

 けれども、学校祭が終わって。

 部長の任から降りたら。

 そのときは、もう少し他のことも――


「……分かんねえさ。そのときになってみないとな」


 考えられるかもしれないし、考えられないかもしれない。

 そうと決めても、いざあの人を目にしたら何もできない可能性だってある。

 我ながら本当に女々しい男だとは思うが、本気でどうなるのか、自分でも分からないのだ。この二年で溜め込んできた思いは、それほどまでに複雑怪奇なものと化している。

 どんな形の結論が出るかは、そのとき次第。

 そう言うと、光莉は「……そう」と言葉少なにうなずいてきた。


「まあ、俺のことはもういいよ。今はそれよりも、この先のことを具体的にする方が先決だろ」

「……いいわけないじゃない。ずっとずっと考えてきたのに、それをないがしろにしていいわけがないじゃない」

「ないがしろになんて、しないさ。だから――な。学校祭で先輩たちとなんの曲をやるか。ある程度は絞っておこうぜ。今の段階で明確にできるものはしておきたい。当日パニックになって、演奏がムチャクチャにならないように」


 どんな結果を迎えようとも、それ以前に本番がきちんとできなければ、格好がつかない。

 舞台のセットだけは、きちんとしておきたいのである。どう転ぼうとも、それだけは譲れない――そんな部長としての意見に、副部長である光莉も渋々、納得したようだった。

 そう、個人的な事情はいったん抜きで、考えればいい。

 そんな風に、考えていたのだけれども――


「ねえねえ湊! 学校祭は先輩たちと『吹奏楽のための第二組曲』やるのはどう!?」

「そうそう! 一年生のときのリベンジリベンジ!」

「おまえら、どれだけ俺の古傷をえぐれば気が済むんだよ!?」


 同い年の双子姉妹、越戸こえどゆかりと越戸こえどみのりから結構なトラウマ曲の名前が飛び出してきて、鍵太郎は悲鳴をあげた。

 前言撤回。やはり個人的な事情を抜きにしてはいけないのである。

 二年前、ソロが上手くいかずにあの人に迷惑をかけたのが、まさにその曲だった。一年生のときのあの醜態を思い出すと、三年生になった今でも悶絶してしまう。

 そのときのメンバーと再びできるなら、確かにリベンジをしたいところではあるが――しかし。


「とは言っても、だ。『吹奏のたの第組曲』はぱっと参加するOBOGにとっては、重すぎねえか? また一緒にやりたいっていう気持ちは分かるし、もう一回やりたいっていうのも分かるけど、にしても先輩たちにとっては大変すぎると思うんだが」


 本来なら、あれは十分に時間を取って何回も合奏をして、それでようやく本番に臨めるくらいの難しい曲なのだ。

 全四楽章。演奏時間、約十一分半――ちょっと長すぎるだろう。

 鍵太郎としても、できるものならやってみたいところだが今回はパスだ。べ、別に、やりたくないわけじゃないし――などと、そこにいる副部長のようなことを、言ってしまいそうになるけれども。

 今度の本番に限っては、もっと軽い曲がいい。

 そう言うと、ゆかりとみのりは少し考えて、また違う曲名を口にしてくる。


「じゃあ、『ディープパープル・メドレー』は? 私、次こそはちゃんとドラムやるよ」

「そうそう。あれなら盛り上がれるんじゃない? 先輩たちもやったことあるし、やりやすいんじゃないかな」

「ああ、あれならそうだな。楽譜もあるし、すぐにでも動けそうだけど」


 先輩たちがやったことがある、自分たちもリベンジができる。

 もちろん、お客さんも盛り上がれる――そんな三拍子そろったものなら、申し分ない。

 学校祭のラスト、OBOGも加わっての演奏になる。華がある曲に越したことはないのだ。

 けれどもあれって、どっちかっていうとラストっていうより、最初か中盤でやるような曲調で終わるんだよな――と、二年前を思い出して、鍵太郎は首を傾げた。

 インパクトのあるものにはできるだろうが、まだ微妙に、やりたいものとはズレている気がする。


「んー……他に何かないかな? シメに相応しいやつ……」


 まだ考える余地があると、腕組みをしてさらに記憶を探った。ここまで話し合ったことで、条件はわりと見えてきている。

 先輩たちがやったことのあるもので、自分たちも、昔よりできるようになったと思えるもので。

 華があり、祭りのフィナーレに相応しく。

 聞いている人もやっている側も、全員が生き生きと元気になれるような曲――


『――あ』


 と、そこまで考えて。

 同じ結論に至ったのか、その場にいる全員が声を上げた。

 そう、その条件を満たした曲を、自分たちは既に一度やってきている。

 そこにいる人間にしか出せない、大切な音。

『たからもの』を、持ち寄って――


「――『宝島』!」


 その曲は、お祭り騒ぎにはぴったりで。

 長い長い、航海の果てにたどり着く場所としてはうってつけの、とことんまで楽しいものだった。

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