第324話 平和な考え

「久しぶりだねえ。メガネかけてたから一瞬分からなかったよ、みなとくん」

「そっか、だよな。けどこっちは、すぐに分かったよ」


 コンクールの会場で、偶然出会った入舟剛いりふねつよしに。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは、一年ぶりとなる挨拶をした。

 去年の県の選抜バンドで出会った、同じB部門の学校だった生徒。

 それが入舟だ。背が大きいくせに気が小さくて、けれども実力は確かに持っていたヤツ。

 そして、周りに何を言われても、絶対に捨てられない信念を持っていた人間――そんな他校の同い年に再会して、鍵太郎はただ純粋に喜んでいた。

 それは入舟も同じなようで、彼は記憶の中と変わらない、フニャフニャした笑顔で言う。


「うん。ぼくは相変わらず。まあ、そりゃあ周りは色々あったけど――ぼく自身は特に、かな。湊くんはどう?」

「あー。こっちも色々あってな。……なんでか知らないけど、今は部長なんかやってる」

「部長!? すごいじゃん!!」


 連絡先も聞かないまま別れてしまったので、あれから言葉を交わすこともなくなってしまったが。

 どうしているかなと、ふとした瞬間に思うことはあったので、こうして元気なことを確認できて何よりだった。

 コンクールという場では、彼の南高岡高校は一応ライバルということになるけれども――そんなことは関係なしに、こうして話せてよかったと思う。

 そういえば、この大会は県内の高校が多く集まっているのだから、知り合いもいて当然だ。

 高校三年間も部活をやっていれば、それは違う学校といえども縁はできてくる。そうだよな、そりゃあ見ず知らずの学校ばっかりじゃないよな、と先ほどの、他校の生徒たちの発言を思い出していると。

 入舟が言う。


「よかったー、知ってる人に会えて。なんだかここの雰囲気、ぼくはやっぱり苦手だから安心したよ」

「……おまえ、やっぱりコンクール、まだ嫌いなのか」

「そーだねえ、そうなんだと思う」


 鍵太郎自身もそうだったから、シェルターに避難するようにここに逃げてきたわけだけれども。

 彼もやはり、同じクチだったらしい。そういう意味では、やはりこの他校の生徒はあのときから変わっておらず――どこまでも弱くて。

 だからこそ、他の人間は見落としてしまう些細なことをはぐくめる人間なのだと思う。

 少なくとも、この他校の生徒は『敵』ではない。

 それを改めて確認して、鍵太郎は入舟に言う。


「……俺もやっぱり苦手だな、こういう感じは。そんな風に思ってたら金賞なんて取れないぞ、なんて周りには言われるかもしれないけど……人を追い落としたり、誰かがどこかのミスを喜んでるような光景を見るのは、どうも忍びない」

「……何か、あったの?」

「ああ、実は――」


 そうして鍵太郎は、かつて一緒に吹いたことのある他校の生徒に話した。

 ここに来る直前、どこかの学校の生徒が、どこかの学校の演奏を聞いて批判していたことを。

 そういうのを耳に入れたくもないのに、会場のどこにいてもそういった空気を感じてしまうことを。

 彼ら彼女らの目標としているものは理解できるだけに――その言動を、『ただの悪意』として自分から切り捨てることができないということを。

 だから、気持ちの整理をつけたくて、落ち着けそうなここにやってきたのだ。そう言うと。

 入舟は一年前と同じように、「そっかぁ」と少し困ったように笑った。


「気持ちは分かるよ。ぼくもそういうのキツイから、コンクールには乗り気じゃないわけだし」

「……でも、おまえはここにいるだろう」

「そうなんだよねえ。なにしろぼくら、他の人がいないと何やってるんだか分からない、伴奏楽器チューバだし」


 だから自分が嫌だって思っても、他の人が出たいっていうんなら演奏したい以上、ついていくしかないんだよねえ――などと。

 自身が言う通り、彼の部内での立ち位置はほとんど変わっていないのだろう。

 入舟は以前と同じような、ちょっと情けない顔で笑った。

 他の部員たちからは自分の意見を否定され、けれども楽器を手放すことはできず――決定的には分かり合えないまま過ごす日々。

 だけど。

 この他校の生徒が、笑ってここにいられるのは何故なのか――

 その答えを。

 一年前と同じく、散々考えてきたのであろうそれを、入舟は口にする。


「だからぼくは、こう考えることにした。『コンクールは競い合いじゃなくて、他の学校と一緒にやる、演奏会なんだ』って」

「おまえ……」

「金賞県代表は、審査員からのアンコール。もう一度、今度はここよりも大きなところで、自分たちの演奏をしてきなさいっていう――そういう、『もっと聞きたい』って言われてるってことなんだって、そう考えることにした」

「……平和な考えだな」

「そう。平和な考え」


 みんなにも、そう言われたよ――と、去年のあのときと同じことを、彼は言った。

 だけど一年前と違うのは、そんな他校の生徒が、持っている缶を握り潰しそうなほどの、あの憤りを抱えていなかったことだ。

 それが、彼が他者に理解されることを諦めたからなのか。

 それとも、周りの部員にそう言われつつも、本当は認めてもらえたからなのか――分からないけれど。

 できれば、後者であってほしい。そう思いつつ、鍵太郎はそんな他校の生徒に言う。


「……そうだな。だったら俺たちだけでも、アンコールをもらいにいくか。聞いてる人たちからの」

「そうだねえ。何十校と参加してる中の、ほんの二校だけだけどさ――そんなにいっぱいいるんなら、ちょっとだけ常識から外れた学校がいたって、別にいいんじゃないかって思うんだよ」

「どうせもう、やり直しは利かないもんな。だったら、独自の進化ガラパゴスだろうがなんだろうが、やりたいことをそのまま叩きつけるしかないってことか。まあ――そうだよな」


 ここに来てから、見たくないものや聞きたくないものにどうしても触れてしまって、惑わされていたけれど。

 それでも結局は、自分たちがやってきたものをやることに、変わりはないのだ。

 ぐらつきかけた意思が、元通りに収斂しゅうれんされていく。いや、一度傷ついて迷ってしまった分、その隙間を埋めるように――その願いは、より強くなっていて。

 思考がクリアになっていく。

 改めて、舞台に乗ろうという気持ちになれる。振り返ってみれば、去年もこんな感じだったよなあ――と、あのときのことを思い出しつつ。

 鍵太郎は、入舟に言った。


「ありがとな。またおまえに気づかされたよ。一体何回、同じ間違いを繰り返しそうになれば分かるんだろうな、俺は」


 誰よりも弱いからこそ、誰よりも物事を考えていた、この他校の生徒は。

 変わっていないと自身のことを評していたが、そういう意味では本当に変わっていない。

 絶対に、譲れないからこそブレない。

 そんな彼に、一年経ってまた目を覚まさせてもらったことに苦笑する。

 なんだかんだ色々あって表面上は変わったが、自分はこの他校の生徒ほど、愚直に物事を考えて進んできただろうか。

 そんなことを考えていると――


「……湊さん?」


 今度はまた、違う学校の人物に話しかけられた。

 聞いたことのある、懐かしい声。

 少し自信なさげな、その声の主は――


「あー! やっぱり湊さん! お久しぶりです!」

柳橋やなぎはしさん!?」


 薗部そのべ高校の部長、コントラバス担当の柳橋葵やなぎはしあおいで。

 鍵太郎は驚いて、駆け寄ってくる葵を見つめていた。

 そういえば彼女の学校もB部門の出場のため、ここで出会ってもおかしくない。

 五月の連休、合同バンドの本番以来だが、元気だったろうか。

 葵は少し髪を切って、印象も変わっていたが――嬉しそうにこちらに手を振る表情は、以前のものと変わりない。

 知らない人ばかりのこの会場で、少しでも旧知の間柄の人間と出会えた。

 それは自分たちにとって、とても心強いことだ。葵に手を振り返していると、入舟がきょとんとした顔で訊いてくる。


「うん? 知り合い?」

「ああ。去年の秋くらいから、フォクシーランドで演奏するために合同バンド組んでたんだよ。彼女はその相手先の学校の、部長さん」

「は!? 何それ!? フォクシーランドで演奏!?」

「わ!? なんかおっきい人がいます!?」

「えーと、どこから説明したものかな、二人には」


 知り合いの知り合いはみんな友達、みたいな感覚でいたのだが。

 そういえばこの二人は、当たり前だが初対面なのだった。

 不思議そうにこちらを見てくる他校の生徒たちに、どうやってお互いを紹介したものかなと首を傾げる。それは、入舟に合同バンドの経緯を話すのと同じことで――そう考えると自分も、何もやっていないというわけではなさそうだった。

 少なくとも、彼にこの長い旅路を説明するのが、大変だなと思うくらいには。

 この面倒さもまた、自分があの選抜バンドから、どれほどの距離を歩いてきたかの証明なのだろう。

 ああそうか、そういう自分のやってきたことを測る意味でも、コンクールで他の学校のやつらに会えるっていい機会だな――と。

 鍵太郎が思っていると、入舟が言う。


「ええと。でもとりあえず、怖そうな人でなくて安心したよ。湊くんの友達なんでしょ? だったら、きっといい人だ」

「い、いい人、とか……わ、私そんな、大層なものじゃないですよ!? そ、それに友達っていうか、そ、そそ、それ以上というか、そうなりたいというか……」

「なんか、柳橋さんも相変わらずで、何よりですねえ」


 後半は消え入りそうな声だったので、何を言ってるかは聞き取れなかったが。

 こちらも記憶と同じく、パニックになると妙なことを口走るのは変わらずだった。

 そしてここで間違いなく言えるのは、葵も『敵』ではないということである。打ち倒すべき存在ではなく、共にがんばろうと声をかけられる存在。

 この本番で、一緒に演奏しようと言える存在。

 それができたことは、県代表になるかならないか以前に、喜んでいいことだ。

 だったら、もしかしたらこの先。

 楽器を続けていれば、これまで関わってきた、いろんな人に出会えるのかもしれない――

 そんなことを考えていると、葵がやってきた方向を指差して言ってくる。


「そ、そうです! 私たちさっき、この会場に着いたんですけど……湊さんの学校の楽器置き場が、すぐ近くにあって。ひょっとしたら会えるんじゃないかなー、なんて思ってたんですよ!」

「あ、そうなんですね。なるほどー……って」


 瞬間、何かが引っかかって、鍵太郎は言葉を止めた。

 お互いの学校の楽器置き場が近い。それ自体は、別に構わない。

 ただ、『それによって何が起こるか』というと――


「……まずい! いったん戻りましょう、柳橋さん!」

「え? どうしたの? 湊くん」

「は、ふえ? な、何かダメなことでもありましたか!?」


 万が一の事態を想像してしまって、目を見開く。

 こうしている場合ではない。一刻も早くそちらに向かわなくてはならない。

 コンクールの会場で、騒ぎを起こしてはならないのだ。そうなる前に、の行動を阻止しなくてはならない。

 そう思って、足早に楽器置き場に言ったのだが、時すでに遅し――


「あっそう。あんたソロがあるの。じゃあ私はそれを、じっくり袖で聞いててあげるからうふふふふふ」

「へえええええ。そういうこと言えるくらいの余裕が出てきたのねあんた。だったらそれに、せいぜい足元すくわれないように頑張りなさいよあははははは」

「間に合わなかったか……」

「か、櫂奈かいなちゃん!? ケンカはやめようよー!?」

「ほら、千渡せんども。こんなところで火花散らしてるんじゃない。準備しろ、準備」


 お互いの学校のトランペット吹きの二人が、周りにギスギスした雰囲気をまき散らしまくっていて、部長二人で止めに入る。

 敵だからどうとか、ライバルだからどうとか。

 そういう理屈はもう、この二人には関係ないらしい。まあ、陰でこそこそ悪口を言うより、よっぽど清々しいのだが――どうしてこう、彼女たちはこういう攻撃的な相互理解しかできないのだろうか。

 もっと何か、他にやりようはないのだろうか。半ば呆れ気味にそう思っていると、流れでついてきたらしい入舟が、二人の惨状を見て言ってくる。


「こ、怖い……けど、なんだか懐かしいね……」

「ああ、そうだな。そういえば――おまえと会った日は、こんな感じだったな」


 あの選抜バンドで彼と、初めて出会ったとき。

 自己紹介の時点であの強豪校の二人は、こんな感じでつのを突き合わせていたのだった。

 けれども、最終的にはあのときも、全員で力を合わせて本番を吹き切った。

 それを思うと――


「……ああ、変わんねえな。結局みんなでやってやろうってことは、一緒なんだ」


 平和で、能天気な考えかもしれないけど。

 自分たちのつながりで、いつかここで大きな演奏会が開けるような、そんな気もするのだ。

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