第315話 汝が隣にただの愛を
打楽器がよく響いてきています、という講評を見て。
その打楽器を担当する、
「イヤッホーイ! お墨付きいただきましたー!」
「オッホホーウ! やってやったぜおらー!」
「分かってるだろうけど、調子乗って油断するなよ、おまえら」
文字通り手を叩いて踊る
今見ているのは、先日のコンクール県大会、予選の講評だ。
本番の演奏を聞いた、プロの大人からの感想。
それが上々のもので、彼女たちはご満悦のようだった。一応は部長として鍵太郎も釘を刺したとはいえ、そんな人にこうやって言葉をかけられたら、舞い上がるだろうなあと自分でも思う。
予選を通過したということもあって、講評用紙はおおむね好意的なものが多かった。
まあ、中にはバスクラリネットの同い年のソロのように、『もっと抑揚をつけた方がいいと思います』などと、多少辛口に書かれることもあるのだけれども。
言われた本人が「抑揚……。抑揚をつけるって、どうしたらいいの?」と首をひねる横で。
同じく三年生の
「トランペットのソロに関しては……どこにも、書いてないわね。結局、どんな風に聞こえてたのかしら?」
今回の曲には、彼女の吹くトランペットのソロもあった。
しかし自分のことについて何も書かれていないことに、光莉は困惑しているらしい。今回の審査員は五人。全員が全員、違う分野を専門としているその道の第一人者になる。
木管楽器、金管楽器、打楽器、作曲、指揮者――などなど。
こういった顔ぶれになっているのは、それぞれがそれぞれの立場から、演奏を違った角度で評価するためのシステムだ。なので審査員たちは各々の目線で、気になったことを書いている。
音程、バランス、テンポやリズムといった、技術的なことに言及している人もいれば、『粗削りながらも光るものを感じました』といった、全体的な印象を記している人もいた。
中には顔文字や記号を使って、その場で感じた気持ちをこちらに伝えようとしている人もいて。
けれども、そのどれにも、光莉のソロについては触れられておらず――
そのことに彼女は、眉を寄せて言う。
「ボロクソに書いてあったらあったで、嫌な気持ちになるものだけど……何もないっていうのも、それはそれで不安になるのよね。よかったのか悪かったのか、はっきりしてほしいわ」
「俺はよかったと思うけどなあ。こないだのソロ」
口にした通り不安そうな光莉に、鍵太郎は自分の感想を素直に述べた。
あの日の閉会式前にも話したが、彼女の当日の演奏はいつもと変わらず、見事なものだったと思う。
元々、この同い年は上手いのだ。変なプレッシャーから極度の緊張状態にならなければ、その音は綺麗に響いてくる。
少なくとも何も書かれていないということは、悪くはなかったということだろう。むしろ、そのままの調子でやっていっていいということかもしれない。
そう言うと――しかし光莉は、渋い顔になる。
「いや、分からないじゃない。おまえのソロなんてここに書くにも値しない、ってことかもしれないじゃない」
「あの……それはさすがに、疑心暗鬼になりすぎだと思うんだが」
「でも、これだけ色々書いてあるのに自分のことについて何も書かれてなかったら、そんな気分にもなるわよ」
あれでよかったのか、それとも、方向性を考え直さなくてはならないのか。
この間の本番は、そしてこの講評は、彼女にとってその試金石となり得るものだったのだろう。
ソロというのはその言葉の通り、ひとりで吹くものだ。
それだけに、孤独な作業を要求される。自分のやっていることが合っているのか間違っているのか、自分で判断して自分で実行して――それの繰り返しになる。
どうしても、閉塞感は生まれてしまう。
だからこそ、他人の目線というのは貴重なものだ。
煮詰めすぎて、求められているものとは別のものになっていないか。
やり方を変えた方がいいのか、それともこのまま行ってしまっていいのか――
迷う同い年に、声をかけたのは近くで話を聞いていた、ゆかりとみのりだった。
「まあねー。愛情の反対は、憎悪じゃなくて無関心っていうもんねー」
「よく作家さんとかも、読者さんの反応があるから生きていられる、みたいなことを言ってるもんねー。それと同じようなもんだよね、要は」
「まあ、言いたいことは俺も分からなくもないんだが……」
鍵太郎自身も、合奏の際に先生から何も言われないと、今のでよかったのかどうか不安になることはある。
目立つことの少ない低音楽器とはいえ、それでも練習中に気合いを入れて吹いたところをスルーされると、なんとも言えないモヤモヤというか、「これでいいのかな」といった感情がよぎることは事実だった。
愛情の反対は無関心。
小さな疑問は、疑心暗鬼を呼ぶ。
何も触れられない、なんの手ごたえもない世界は、真っ暗闇だ。
それに囲まれて吹くのは、本当に怖い。その片鱗を知っているだけに、鍵太郎は光莉に、決定的な言葉をかけられずにいたわけだけれども。
打楽器の双子姉妹はそうではないようで、いつものようにお気楽に、自分の考えていることを述べてくる。
「まあさ。自分の演奏がどうなのかなー、って思ったら、他の誰かに『どうだった?』って訊いてみるといいんじゃない?」
「そしたら、一緒に演奏してる人たちだったら、何かしら答えてくれるよ。みんな意外とさ、気を遣って言わないだけで、思ってることってあるもんだし」
「……え? それって……アリなの?」
ゆかりとみのりの提案に、光莉は戸惑ったようにそう言った。
そんな方法は思ってもいなかった、といった様子だ。誰も何も言ってくれないなら、自分から感想を聞きにいけばいい――それはひな壇の一番上に、言ってしまえば君臨しなければならないトランペットの同い年にとって、盲点ともいうべき方法だったのかもしれない。
けれども、打楽器の同い年にとってそれは、当たり前のことのようだった。
彼女たちは光莉の問いに「いいんじゃない?」「アリなんじゃない?」などと、あっさり答えてくる。
「むしろそうしていった方が、ひとりでやってるよりも早く、上手くいくんじゃないかなー。だって小刻みにその都度、修正が入れられるわけでしょ?」
「だったら、同じ部活の人なんだから、ガンガン訊いちゃっていいんじゃない? まあ、訊く人は選ばなきゃかもだけどさー」
「な、なるほどな……」
ゆかりとみのりの主張に、実は同じく目から鱗と思っていた鍵太郎も、動揺しつつそう言った。
そういえば、他の人の音に思うことはあっても、自分の音について周りに意見を聞くということは、あまりしてこなかった。
自分の音のことなのだから、自分で解決しなければならない、といった思考で。
そしてどこか、他人に厳しいことを言われるのが怖くて――そういったことを避けていたような部分はある。
隣のトランペットの同い年も、似たようなものかもしれない。
というかむしろ、彼女の方がプライドが高い分、そういった思いは強かったのではなかろうか。その証拠に光莉はぽかんと口を開けたまま、絶句している。
いつまでも自分の中であれこれ考えているより、外に出してしまった方が効率がいい。
そして精神衛生上も、悩みながらやるよりよっぽどいい――考えてみればそりゃそうだよなと、鍵太郎は同い年二人を見て、再び苦笑した。
演奏というのは、どうしたって外向きのものだ。
だったら、どんどん周りに意見を求めた方がいい。何か言われるかも――という心配はあるかもしれないけれど、自分たちはもう三年生だ。
同い年同士、これまでの付き合いがある分、多少厳しいことを言われても今さらという感じではある。
信頼関係はできている。なら、困ったときは助けを借りる――いうなれば『頼る』ことだってしていい。
仲間なのだから。
ひとりではない。そのことを改めて知って、鍵太郎は打楽器の双子姉妹に言う。
「すごいな、二人とも。やっぱりあれか。打楽器ってチームワークが重要だから、そういう考え方になるのか」
「え? だってほら」
「いや、そりゃあほら」
すると、ゆかりとみのりはお互いを指差し、声までそろえて言ってきた。
『いるし』
「……そうだった。そういやおまえらこそ、お互いがお互いを頼りっぱなしのヤツらだった」
チームワークだとか、それ以前の問題だった。
彼女たちこそ、最初の頃などは特に、誰かの助けを借りっぱなしの他人ありきの人間だった。
けれど、だからこそこんな方法に気づけたのかもしれない。二人で『どうだった?』を繰り返して、ここまでやってきたのだ。
至り方については相変わらず特殊なこの同い年たちだが、まあそれでも、言っていることが正しいことに変わりはない。
なので気を取り直して、鍵太郎は光莉に言う。
「じゃあ、千渡。ちょうどいい機会だから今、訊いてみたらどうだ? 自分のソロがどうなのかって」
「え、ちょっ……まだ、心の準備が」
「別にそんなもの、もう必要ないだろ。ほれ、訊いてみろよ」
慌てる同い年の背中を押して、ゆかりとみのりの正面に立たせる。
そういえば、自分はそれなりに光莉の音について言及してきたことはあるが、他の部員が彼女の音をどう捉えているのか聞くのは初めてだった。
それはもちろん、光莉もそうで――彼女は緊張しながら、それこそソロを吹く前のように、震えて同い年に問う。
「ええっと……ど、どどど、どうだった? 私の演奏」
「うん。よかったんじゃない?」
「んー。大丈夫だったんじゃない?」
「
対するゆかりとみのりの返答に、鍵太郎の口から思わず、そんな言葉が漏れ出た。
自分で振っておいてなんだが、受け答えが適当すぎる。
そんなんでいいのかと二人を見ていると、彼女たちは「えー」とそろって口を尖らせて言ってくる。
「だって、もう別に言うことないじゃん。あんな風に吹かれたら」
「それ以上、何か言葉がいる? あとはわたしたちにできるのはもう、応援することだけだよ」
「……だってさ。千渡」
「……そう」
そして、そんな双子姉妹の感想を聞いた光莉は。
驚いたように、面食らったように目をしばたたかせた。けれどその表情は、先ほどまでのものとは、また違う。
自分の演奏が『講評に書くに値しない』ではなくて――『もう言うことはないから、そのままやってしまえ』なのだと。
間近から聞こえて、それにどう反応したらいいか分からないといった様子だった。
批判に慣れ過ぎていて、ストレートなそれを、どんな形で受け取っていいのか分からない。
そんな同い年に、ゆかりとみのりは重ねて言う。
「大丈夫だいじょーぶ。なんにも書いてなくても、私たちは聞いてるから」
「講評に載ってたってそうでなくたって、わたしたちがぜーんぶ、盛り上げてみせるからさ」
そして、今回の本番でよく響いていましたね、と評されていた彼女たちは。
それこそ打てば響くといったように、快活に笑った。
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