第311話 楽勝ですね!

「そういえば、うちの学校っていつもコンクールの成績、どのくらいなんですか?」


 と、湊鍵太郎みなとけんたろうに二年生の宮本朝実みやもとあさみは、そう訊いてきた。

 そういえば、去年の今頃はそんなことを考える余裕もなかったのだ。なので後輩の問いに、鍵太郎は自分の学校のそれまでの歴史を素直に語る。


「おととしまではずっと銀賞の上の方で、去年初めて金賞を取ったって感じだね。まあ、県代表にはなれなかったけど」

「なら、今年は本選まで楽勝でいけそうですね!」

「ちょっと宮本さん!? そういうことは思ってても言わないの!?」


 相変わらず口にチャックをすることを知らない朝実に、慌てて待ったをかける。

 コンクール会場、楽器置き場のど真ん中でそんな風に叫ばれると、周りの学校の視線が痛い。

 チクチクと、知らない人からの目線が突き刺さってくるのを感じる。まあ、そんなものは気にするなと言ってしまえばそうなのだが――この後輩の言動は、やはり危うい。

 まさかこの場でどうこう言われることはないだろうが、いらぬ誤解を生む可能性はある。

 何より、彼女の行く先が心配でならなかった。けれどもそんなこちらの心境など露知らず、朝実は元気に言ってくる。


「だって、嬉しいんです! 去年は県大会になんて行かなければいいのにって思ってたのに、今年はもっともっと吹きたいって思えて!」

「……宮本さん」

「そんな気持ちだから、今年だってきっと大丈夫です! ちゃんと練習もしましたし! 臨時記号フラットがいっぱいついてるとこも!」


 そして、後輩はその臨時記号が多く付いた部分を指差し、にっかりと笑った。

 彼女にとっては、今回のコンクールが初めて、ちゃんとした気構えで迎えられる舞台なのかもしれない。

 去年の予選であった出来事が出来事だっただけに、そんな気持ちは強くある。そして朝実は、その後にあった県大会本選の本番で、いくつか臨時記号を落として吹いてしまっていて――今回はそのリベンジも兼ねているのだろう。

 ならば、いささか張り切り過ぎてしまっていることもうなずけた。多少大目に――見られるものと見られないものはあるが、少なくともそのやる気だけは大いに発揮してもらいたい。

 予選を通れるかどうかなんて、そのとき次第だ。

 いくらそれまでの年でいいところまで行っていても、本番の演奏は他人から評価されるものであり、結果は自分では決められない。

 そう考えてはいたけれども――それを口にして、彼女の気概を削ぐことはしたくなかった。

 むしろ、一緒に盛り上がっていった方がこの場合は、いいのかもしれない。

 部長としては、本来そうすべきなのだ。緊張を和らげるために冷静になろうとしていたのだが、むしろ逆にテンションを下げてしまっていた自分を恥じて、鍵太郎は朝実に言う。


「そうだね。今年はちゃんと練習もしてきたし、宮本さんも上手くなってるし、きっと大丈夫だ。一緒にがんばろうね」

「はーい!」

「うん、いい返事。あとひとつ、これだけは言っておきたいんだけど、あんまり会場で大声を張り上げすぎないでね。下手をうって騒ぎになると、減点とか失格になるから、マジで」


 最後の部分は割とさりげなく本気で言い聞かせたのだが、後輩は耳に入れてくれただろうか。

 そこは怖いので他の二年生たちにも言い含めておくとして――そういえば一年生の頃、自分も同じ注意をされたなあ、と鍵太郎が思い出していると。

 朝実が言う。


「今年のわたしは一味違いますよー。去年はなんだか、よく分からないまま本番も吹いてましたからねー。そう言う先輩は一年生のとき、予選はどんな感じだったんですか?」

「……うん。……譜面台が来なくて。そのまま明かりが点いて。死ぬほど緊張して、なに吹いてるか分からないまま時間だけが過ぎ去っていった感じだったな、うん……」

「せ、先輩!? どうしてそんなに震えてるんですか!? 何かトラウマでも思い出してしまったんですか!?」


 そういえば、一年前は思い返す暇もなかったから忘れていたが、自分の一年生のときのコンクールの予選も、個人的には散々なものだったのだ。

 そう考えると、こちらもある意味ではリベンジである。

 ステージには魔物が住んでいる。

 その記憶を払拭するため、三年生になった今も、自分は後輩と一緒にがんばることになりそうだった。



###



 そして、後輩と一緒に、というのなら。


「……私もリベンジ、です」


 同じ楽器の後輩である大月芽衣おおつきめいは、鍵太郎の隣でそう言った。

 芽衣は中学からの経験者だ。なので中学での悔しかったことを取り返すべく、そう口にしたのだろう。

 けれど、彼女の場合は少し朝実とは事情が違っていて――その声には、隠し切れない迷いが混じっている。

 それに心当たりがある鍵太郎は、芽衣の話をそのまま聞いていた。


「中学三年のときのコンクールは、銀賞でした。あのときは、私のことを悪く言った先輩たちよりも、上の成績を残してやろうって思って――結局ダメだったんです。だから今年は、それのリベンジっていうことになるんでしょうけど……」


 ちょこんと座り込んだ小さな後輩は、そこで困ったように言葉を切った。

 そしてちらりと、こちらを見る。何に、誰に対しての復讐リベンジなのか――それをこの間、野球応援のときに彼女と話したからだ。

 誰かを見返してやりたい、という気持ちで吹くと、上手くいかない。

 そういったことを言ったのだが――芽衣はそれが理解しきれなかったようで、こうして下を向いている。


「……分からないんです。最近はずっとずっと、貼られたレッテルに反抗しようと思って吹いてきました。だから、やりたいこととか、なりたい自分になれるように吹けって言われても、それがよく分からなくなってしまって……」


 先輩の言ったことは、なんとなくは分かるんです。

 何かを倒してやるって気持ちでやると上手くいかない、それは私の過去の成績や経験からしても、納得できるものはあります――そう言いつつも。

 彼女はそこから、だとしたら何を目指せばいいか、途方に暮れてしまっているらしい。

 その姿は去年、結果が出た後にどうすればいいのかとこちらに訊いてきた、あのひとつ上のフルートの先輩にも似ている。

 どこに向かえばいいのか――倒すべき『敵』を見失って。

 気が付けば、目印もない荒野にひとりきり。

 そんな状態の後輩に、かつての自分を重ね合わせて――

 鍵太郎は、隣にいる芽衣に対して言う。


「……そこは、純粋に『吹きたいから吹く』でいいんじゃないかなあ。たぶんそれは、『あなたはどうして生きてるんですか』っていう質問と似たようなものだよ。吹きたいから吹くし、生きてるから生きてる。そんなもんじゃないかなあ」

「……そんなもので、いいんでしょうか」

「そんなものだよ。例えば、他に何もすることがない場所で、楽器と自分だけがあったとしたら。大月さんは迷わず吹くだろう?」

「……吹きますね」


 他にも、絶体絶命の場面で、楽器を吹くことしかできないとしたら。

 それでも自分たちは精魂込めて、演奏をするのだろう。

 去年は、そういう状況だった。

 真っ黒い感情に呑み込まれても、それでもやることは変わらない。


「他人に嫌なことを言われなくったって、大月さんはそのまま変わらずに吹いていたはずだろう。だったら、それでいいんじゃないかな。他人のことなんてどうでもいい、とまでは言わないけど。それでも本当に見るべきは、最初にあった気持ちなんだと思う」


 どんなことがあろうとも、自分たちはずっと楽器を吹き続ける。

 それに疑問を挟むのは、どうして息をしているんですか、と訊かれるくらい不思議なことだった。

 だったら、存分に息を吸い込んで、そして歌えばいいのだ。

 そう言うと、芽衣は戸惑ったようにその気持ちに手を伸ばし。

 受け止めることも、触れることすらできないまま――それでも、小さくうなずく。


「……分かり、ました。やれるだけ、やってみます……」

「うん。その意気その意気」


 ほんの少しだけ行き先を決めた後輩に、励ますようにそう言ってみる。

 目的地を定めた彼女は、ちょっとやそっとのことではもう足を取られないはずだ。

 ステージに住む魔物は、いつでもそういった焦りや不安に付け込んでくる。

 そんなものに、心を食われないで――そして楽しんで演奏するためには、朝実のように何もかもを吹き飛ばすような、パワーが必要なのだろう。

 あのくらいのポジティブさがあれば、魔物だって尻尾を巻いて逃げ出す。

 なので鍵太郎は後輩を見習ってこっそりと、芽衣にもうひとつ、言葉をかけることにした。


「大丈夫。もっと吹きたいって思えれば――リベンジなんて、楽勝だからさ」

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