第301話 教科書にもネットにもない答え
「先輩、これなんていう音符なんですか!?」
部活が始まってすぐ、
朝実が持っているのは、今度のコンクールでやる曲の楽譜だ。
そこに、彼女が言う謎の音符が描かれている。あれ、これ去年も同じことあったぞ――と鍵太郎が首を傾げていると、ひとつ下の後輩は言う。
「二拍三連はこの前のコンクールでやったから、なんとなく分かりました! けどこれは似てますけど、ちょっと違います! なんですかこれ!?」
「えーと、これね」
朝実が指差す箇所を、じっと見る。
ひとつの小節いっぱいに、白玉の二分音符が三つ並んでいて、それが一括りになっている音符。
二拍三連はおたまじゃくしである四分音符が、三つ並んでいたけれども――と一年前の記憶を思い出し、鍵太郎は言う。
「ごめん。よく分からない」
「えっ!?」
確か、去年も似たようなやり取りをしたはずだった。
そのときも、自分はこの音符の名前を知らなくて――そういえば、先輩に助けてもらったのだ。
その先輩は卒業してしまったので、もちろんこの場にはいない。となると、また頼るわけにはいかなくて、自力で調べるしかないのだろう。
『教科書にはない答え』を探せ。
そうあのとき言われたのを思い出しながら、鍵太郎は朝実に言う。
「とりあえず、調べてみようか。二拍三連の親戚、みたいな感じだから……なんだろう。全拍三連?」
「いや、その名前すら分からなくて調べられないから、先輩に訊いたんですけれども」
まったく、困りましたねえ先輩には――と相変わらずどストレートに言葉で殴打してくる後輩をよそに、携帯に思いつく限りの検索ワードを入れてみる。というか、そう言う朝実も二年生になったわけで、こちらと同じく後輩に訊かれても答えられない困った先輩であることに変わりはないのだろうが。
まあ、それでも自分と違って疑問に思って調べようとしただけ、まだマシなのかもしれない。しかしその発言は完全にブーメランであることに、彼女は気づいているのだろうか。気づいて言っているのなら、逆に大したものだと思うのだけれども――と、インターネットの海をさまよっていると。
鍵太郎の頭の中に、『もしかして:』の文字が表示された。
「……ん。『四拍三連』。これか?」
それっぽい文字を見かけて、そのページを開く。わりとそのまんまの名前だった。
『すぐに分かる音楽理論!』というタイトルで期待していたものの、そこにあったのは一見しただけではぱっと理解できない、機械的な言葉の列だ。
「『二拍分で三連表記してあるのが二拍三連、四拍分で三連表記してあるのが四拍三連です』」
「訳が分かりません」
「わかんないよなあ。とりあえず、書き出してみようか」
答えを見つけたと思ったが、そこにあったのはさらに疑問符が増えそうな不思議な論理だった。
教科書にないどころか、今度はネットにもない答えときた。そんなのを探せとか、相変わらず人使いが荒いよなあ――と、あの第二の師匠が浮かべていた笑みを思い出しつつ、黒板に向かう。
一番上に四分音符を書き、癖でそのまま下に八分音符を書き、その下にさらに今回の話の肝である、三連符を書く。
「……で?」
これをどう括るというのだ、と鍵太郎は携帯をもう一度見た。完全にパズル問題だ。後輩と一緒に画面の文字を見つつ、その謎を解きにかかる。
「ええと、『三連符をひとつずつズラしていく』……? どういうことだ?」
「ええっと、なんですかこれ。割り切れますか?」
「宮本さん、十六分音符まで書くとたぶん、分からなくなるからやめよう」
黒板に思いついたこと書きながら、二人でああでもないこうでもないと議論していく。こういうとき、理系の人間だったらわりとあっさりと答えを見つけられるのかもしれないが、自分はそうでないし、朝実もどうやらそちらのタイプではないらしい。
先輩と後輩で、ひたすらチョークを動かしながら首をひねる。こんなときこそあのアホの子に頼ってもいいのかもしれないが、それはそれでなんだか
というか、ここまで来たら自分で答えを見つけたい。そう思って必死に手を動かしていたら――そのおかげだろうか。
鍵太郎の脳内で、何かがひらめいた。
「……ん!? そうか、こういことか!」
気づいてみれば、ただの割り算だった。
三連符が四つ並ぶということは、音符は一つの小節に三、かける四。
つまり十二個あることになる。
それを三つに分ける。するとおたまじゃくし四個分の長さの音が、三つできることになって――四拍の中に、同じ長さの音が三つ。
これで『四拍三連』だ。朝実にも分かりやすいよう、黒板に分け方を書き込んでいく。
図に書いてみると分かるのだが、改めて見ると調べたように確かに、三連符の括りがひとつずつズレている。
二拍三連が音符二つ分の長さだったのに対して、四拍三連は倍の四つを取っていることになる。
拍が倍なので、音符も倍だ。
倍だから、二拍三連が『四分音符三つ』だったのに対して、四拍三連はそれより長い白玉の『二分音符が三つ』になる。ああ、なるほど――とひとつのカギでパズルが一気に解けたことに、鍵太郎は驚きと少しの興奮を覚えた。先ほどまで全く分からなかった答えに、自力で辿り着いたのだ。これは大きい。
教科書にもネットにも載っていない答えは、自分たちで導き出せる。
そのことをもう一度、実感していると――「ほえー。なるほど」と納得していたはずの後輩は黒板を見て、なぜかまた首を傾げた。
「でもこれって……吹きながらカウントして演奏するの、すごい大変じゃないですか?」
「……」
朝実の発言に、再度楽譜を見下ろす。
そこにある四拍三連は、曲中で最もハイスピードな場面で使われているものだ。
しかもやっているのは鍵太郎たち低音部だけで、他のパートは違う動きをやっている。つまり、下手をしたらつられてリズムが崩れる。
そのことを確認した鍵太郎は――
楽譜から顔を上げて、後輩に視線を移した。
「宮本さん」
「はい?」
「練習だ」
「ですよネー」
答えは見つかった。
教科書にもネットにも載っていない回答を、自力で導き出すことができた。けれども、まだそこにはたどり着いていなくて――まったく、本当に人使い荒いよなと思いつつ。
鍵太郎は今度はメトロノームを取り出して、朝実と一緒に手を叩きながらリズムを刻んでいくことにした。
さっき黒板にチョークで書いていたときと同じく、二人で混乱しつつ手拍子をしていく。
その途中で――
「ぐおぉぉぉ間違えたああああ!」
「……はっ!? 先輩、歌いながらやったら、ちょっとできたような気がします!?」
「そうか、歌いながらか! じゃあ歌いながらもう一回やってみるか!」
「みますか!」
などと、朝実と悲鳴を上げたりしてわちゃわちゃすることになったものの。
それはそれで、気がつけば、笑ってしまうくらい楽しかった。
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