第259話 歴史は繰り返す

 その日、大月芽衣おおつきめいは高校生になって、初めての帰り支度をしていた。


 平均よりやや小さめの身長に、平均よりやや太めの眉。

 そんな外見から、小さいのにしっかりしてそうね、などと言われる彼女は、そのままカバンを背負って教室を後にする。

 後ろからは、既に出来上がっている仲良しグループの声が聞こえてきた。

 どうしてそんなにすぐに友達になれるのか、芽衣には不思議でならない。元々そんなに、人に積極的に絡んでいくタイプではないのだ。

 そんな自分に、ため息が出てくる。

 こんな調子で、これからやっていけるのだろうか。そう思いながらとぼとぼ歩いていると、そんな彼女の耳に、見知った音が飛び込んでくる。


「吹奏楽部……」


 中学のときにチューバを担当していた芽衣にしてみれば、それはとても馴染みのあるものだった。

 だが今は、聞いていてあまり楽しいものでもない。

 懐かしさと同時に、余計なことまで思い出してしまうからだ。

 けれども昇降口に近づくと、段々音が大きくなる。帰るのには避けられないので渋々向かってみれば、勧誘も兼ねているのだろう。

 吹奏楽部の部員たちが、演奏を行っていた。

 曲は『ディズニー・ファンティリュージョン』。

 勧誘としては妥当な選曲だ。知名度もあってテンションが高くて、雰囲気を演出するならこれ系のものが一番いい。

 そして、肝心の演奏はというと――


「……そこそこ、上手い」


 聞こえてくる音をを聞いて、芽衣は正直につぶやいた。

 入るつもりはなかったので調べていなかったが、この学校の吹奏楽部は大会でも、それなりの成績を出しているのかもしれない。

 そう思って近くにある立て看板を見れば、『今年のゴールデンウィーク、フォクシーランドで演奏します!』と書いてあった。

 それに、なるほどと思う。ああいったところに申し込んで、無条件に出してもらえるわけはない。

 オーディションか何か、それに相当する関門があるはずだ。

 コンクールでは聞かない学校だったが、こういった実績からしても、精力的に活動をしている部活なのだろう。

 少し興味を持ち、芽衣は再び演奏者たちを観察してみる。

 やはり経験者の性で、やっていた楽器を見てみれば――

 そこではメガネをかけた男子部員が、一人であの大きな楽器を吹いていた。

 その先輩は二年生だろうか、三年生だろうか。落ち着いた物腰からして、なんとなく三年生のような気がする。

 さらによくよく見てみれば、演奏している中で男子部員は、彼一人だけだった。

 これはさぞ苦労しているだろうと、芽衣はその先輩に少しだけ同情する。中学のときから吹奏楽部における少数派・男子部員の扱われ方は、よく目にしてきたのだ。

 力があるからといって、重い楽器を持たされて。

 それでも笑って、そんな役回りを引き受けていた姿を――


「――……」


 と、そこで連座して嫌なことまで思い出してしまって、彼女は頭を押さえた。

 そう、そんな風に振る舞っていたのは、中学のときに自分と同じ楽器だった、先輩もそうで。

 上手くて、優しそうで。

 だからこの人も――きっと、私を裏切るんだ。

 だから、もういいのだ。

 そう思ったけれど、なぜか足は動いてくれなかった。

 どうしてだろうと首を傾げるも、それならそれでいいかなとも思う。

 なので芽衣がその場から離れずに、そのままぼんやりとその光景を眺めていると――

 段々と、演奏に乱れが生じてきた。テンポが悪くなって、少し音が濁ってくる。

 ああ、あれだけ吹いてれば、そりゃ疲れるもするか――と冷めた気持ちで、彼女はその光景を見ていた。

 すると、チューバを吹いていた男子生徒が、ちらりと部員たちの方に目をやる。

 その視線に応えたのは、ステージ中央にいるトランペットの、ファーストと呼ばれる花形のポジションにいる女子生徒だ。

 彼女は、ぐっ――とベルを上げると。

 そのまま音を、振り絞る。


「――!」


 途端、貫かれるような振動が芽衣の身体を通り過ぎていって。

 その場の空気がビリビリ震え、それを受けて、苦しげだった演奏が息を吹き返した。

 テンポが立て直され、崩れかけた流れが元に戻る。

 まるで何事もなかったかのような、一瞬の出来事だったが――


「な、に……? 今のは……」


 かの衝撃は、未だ彼女の心の中に焼き付いていた。

 周りの他の新入生たちは無邪気にはしゃいでいるが、先ほどのやり取りが、普通の学校の吹奏楽部では考えられないことなのは明らかだ。

 いや、ひょっとしたら高校生ならできるのかもしれないが――それにしても、連携が取れすぎではないだろうか。

 あの男子生徒は、一体何者なのだろうか。

 そんなことを考えていると、やがて演奏が終わり拍手が巻き起こる。

 反射的に芽衣も拍手をして、今の演奏のきっかけとなった、チューバを吹いていた男子生徒を見つめた。

 ピッと伸びた背筋に、楽器を軽々と扱う膂力りょりょく

 さらにはこの演奏をまとめられる、力強い音――

 それを改めて認識して、思う。


 ああ、この人は。

 私が持ってないものを、全部持ってる。


 だったらやっぱり、自分はこの人と一緒にいてはいけないんだ。

 そんなことを考えていると、その先輩と目が合ったけれど。

 彼女は逃げるように、そのままその場を後にしてしまった。



###



 けれど、次の日になっても、あの演奏が頭から離れなくて――


「……ああ、もう! いい加減止まれ、この音……!」


 芽衣は鳴り続ける音を振り切るように、学校の廊下を早足で歩いていた。

 寝ても覚めても、あの演奏が脳内でずっと流れている。

 元々、練習の後にそういうことはよくあるタチだったが、今回はなかなかにしつこかった。

 それだけ、あの吹奏楽部の演奏が、印象的だったということなのだろうけど――にしても、自分の反応が明らかに過剰すぎないだろうか。

 リズムを取って、伴奏を刻んで――


「……また、吹いてみる?」


 そう思うと、自分の身体がほんの少しだけ動いて。

 だったらあの部活に入ったらどうなるのかと、そんなことを考えてみる。

 こんな、小さな自分が。

 あの大きくて重い楽器を、吹いたら。


「……いや、やっぱりダメ」


 自分で想像して、芽衣は頭を振った。

 そんなことをしたら、また迷惑をかけてしまう。

 おまえなんか役に立たない、と言われてしまうから――そんな風に。

 考え事をしながら、下を向いて歩いていたからだろうか。


「うわあっ!?」

「うにゃあっ!?」


 彼女は職員室から出てきた男子生徒と、真正面から思い切りぶつかった。

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