三年生~完全無欠の賢者モード!
第258話 始まりのリフレイン
また今年も桜が咲いて。
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「さて、行くか」
入学式も終わり、新一年生たちがそろそろ、教室の外に出始めた頃。
鍵太郎は音楽室で、楽器を持ち上げてそう言った。
吹奏楽部はこれから昇降口外で、新入生歓迎の演奏を行う。毎年の恒例になっているそれは、もちろん部活勧誘も兼ねたものだ。
なので他の部員たちも気合いを入れて、その言葉に応えてくる。
「が……がんばります……っ!」
「うん、いいけど野中さん。それを持つのは、やっぱり他の人に任せた方が」
と、そこで勧誘用の看板を持った
新二年生となった彼女が持っているのは、演奏時に横に置いておく立て看板だ。
いつもこの時期に使っているものだが、今年はこれまでのデザインに加えて『ゴールデンウィーク、フォクシーランドで演奏します!』という内容が付け足されている。
そしてその部分を作ったのが、他ならぬ恵那だった。
この後輩の広告デザイン技術はそろそろ、部員全員の知るところとなっている。それで今回も、周囲の声に推される形で彼女が看板を担当したのだが――
「だ、大丈夫、です……! 自分で作ったものは……わたし、運びますから……!」
「いや、流石にその大きさを、一人では無理だって。心意気は買うけど、だったら誰かに手伝ってもらいなさい」
恵那が足をぷるぷるさせながら言ってきたので、鍵太郎は部長としてぴしゃりと言い切った。
手伝ってやりたいが、自分も自分で重量級の楽器を抱えている上、現場に着いたら指揮を執らなければならないのでそうもいかない。
なら誰か、彼女と一緒に看板を運んでくれないか――そう思って周囲を見回していると。
近くにいた同じく新二年生の
「はいはい! じゃあ湊先輩、わたしが恵那ちゃんを手伝います!」
「え、宮本さんも楽器重いだろ。大丈夫?」
バリトンサックスを持つ朝実に、鍵太郎は思わずそう訊いていた。
彼女の持つ楽器も、もちろんこちらと同じ低音楽器だ。
基本的に低音域を担当する楽器は、大きくて重い。
一度に両方運ぶのは無理がある。となるとこの後輩は、演奏場所とここをもう一往復することになるわけだが――
朝実は自信満々に、胸を張って答える。
「だいじょうぶです! 先に看板を持っていったら、すぐにダッシュで楽器を取ってきますから! イスとかを並べる時間もありますし、演奏までに戻ってくればいいんですよね!?」
「うん、ならいいけど……なんか宮本さん、いつもよりテンション高くない?」
普段にも増して声の大きい後輩に、鍵太郎は首を傾げた。
恵那といい朝実といい、何だか今日は妙に張り切っているように見えるのだが、気のせいだろうか。
そんな風に考えていると――後輩は頬を紅潮させ、興奮気味に言ってくる。
「だってわたしたち、二年生になったんですよ! 後輩が入ってきて、これから先輩になるんです! これがテンション上がらずに、何だっていうんですか!」
「――」
かつて、自分も経験したその感覚に。
そしてそれを体験させてくれた、当の本人も感じているということに、鍵太郎は目を見開いた。
今まで彼女たちがどうして、こんなにやる気になっているのか不思議だったが――振り返ってみれば当然だ。
去年の自分だって、これから後輩が入ってくることに、こうやって目を輝かせていたのだから。
「……あー、うん。分かった。じゃあ二人とも、よろしく頼む」
目の前に一年前の自分がいると思うと、何だかとてもむず痒い。
鍵太郎が苦笑いで二人に運搬を許可すると、朝実も恵那もそれぞれ一生懸命、看板を運んでいった。
ちょっぴり心配だったので、慌てて転んだりしないよう、注意だけはしておく。
「そっか、後輩か……」
そして――そんな後輩二人の後ろ姿に、楽器を抱え直しながら思う。
去年と同じで、なおかつ一人では無理だというのなら。
今年こそ、このデカくて重い楽器を一緒に吹いてくれる、新入部員を見つけなくてはならない。
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さらに去年と同じというのなら、
「……おい千渡。大丈夫か?」
「だだだだだ大丈夫よ」
「メチャクチャ震えながら言われても、全く説得力がないんだが……」
トランペットを持ってガタガタと震える光莉に、鍵太郎はやはり、去年と同じようにそう言った。
彼女が極度のあがり症であることは分かりきっていたことだが、それは三年生になっても変わらないらしい。
まあ、それくらいでどうにかなるようなら、とっくに自力でどうにかしているだろうが――そう思っていると。
光莉は「……だって」と小さな声で言ってくる。
「コンクールで、あのソロをやろうっていうのよ。だったらこのくらいは出来なきゃっていうか。むしろこれが出来なきゃ、あのソロにはまだまだ遠いというか……」
「あのなあ、おまえ」
なおもブツブツ言い続ける同い年を、鍵太郎はさえぎった。
こうやって自分で自分を追い詰めるのが、光莉の悪い癖なのだ。
逆に言えば、それは彼女がたゆまぬ向上心を持っているということでもあるのだが――それが裏目に出ると、こんな風になってしまう。
それはこの二年間で、よく分かっていた。
だから鍵太郎はそれを解きほぐすため、光莉に声をかける。
「ほら、見てみろよ。ここはコンクールの会場じゃないんだぜ」
振り返れば、そこには青空の下、新入生たちが何をやるのかと集まり始めていた。
今回の新入生歓迎で演奏する曲は、手持ちのもので一番通りがいい『ディズニー・ファンティリュージョン』。
確かに曲中で、何回かトランペットにはハイトーンが出てくる。
けれどそれで、彼女の価値が全て決まるわけではない。
「誰もおまえのことを、できるかできないかなんて目で見てないさ。むしろ、何が始まるのかって期待した目で見てる」
コンクールにトラウマがある光莉は、どうしてもそれを中心に見てしまうのかもしれないが。
今、ここにいる人たちは、そんなこと知らない。
これが出来なきゃこの先もダメだなんて、まるで関係なくて――
ただこれから始まる、それこそテーマパークで流れるようなキラキラしたものを、聞きたがっている。
だったらそれを出すには、どうしたらいい?
「一回さ、自分のイメージを伝えるつもりで吹いてみたらどうだ? みんなで行ったろ、遊園地にさ――あのときの気持ちを、思い出して」
そのときこの同い年は、案外あのテーマパークを楽しんでいたはずだ。
珍しくキャラクターの耳なんかて付けて、柄にもなくはしゃいで。
けれどそんな彼女自身だって、その状況を受け入れていた。
「……」
一年前の光莉なら、そんな甘いことなどやっていられない、と突き放していただろう。
だが今の彼女は黙って、新入生たちを見つめながらこちらの言葉を聞いている。
やがて――
「……ん。分かった、やってみる」
「よし、その意気だ」
静かに光莉がうなずいて、鍵太郎はその反応に笑って応えた。
プレッシャーで見えなくなっている誰かとの記憶を、呼び起こす。
彼女に必要なのは、きっとそういったものの積み重ねだ。
まだ震えは治まっていないようだが――この様子なら何とかなるだろう。
そう思えるだけの時間を、光莉とは一緒に過ごしてきた。
今、自分たちがやっているのは、去年と同じことなのかもしれないけど。
それでもこの気持ちがある限り、自分たちは決して負けない。
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手先の器用な後輩が光の粉を振り撒いたら、そこは一気に魔法の国に変わる。
トランペットの堂々としたファンファーレが聞こえて、それ見ろ、おまえ本当はできるんじゃないか――と心中で笑いながら、鍵太郎も同じく思い切り、楽器を吹いていた。
練習のときは普通に出ていた音域だ、彼女に吹けないはずがない。
かつて人の力を借りずにやってみせる、と言っていたあの同い年が、一年を経てまるで正反対のことをしているというのも不思議な話だったが――それだけのことを経験してきたのだ。考え方が変わってもおかしくはない。
むしろそれで彼女が解放されていくなら、こちらとしては願ってもないことだ。
狭いゲートをくぐって、目的の場所に向かっていく。途中にはキラキラとした粉が伸びていて、それを辿って歩いていく。
すると、呼び声が聞こえて。
導かれるままに進めば――そこに広がっていたのは、一面の青空。
開けた視界に、テーマパークの光景が飛び込んでくる。そうだ、こんな感じだったと思いつつ、鍵太郎はその中に飛び込んだ。
ここには怖いものなど、何一つありはしない。
あるのは行き交う人々の笑い声。
そんな夢みたいな景色が、現実に――あなたを待ってる!
まずはただ、散歩してみればいい。嘘でもなく虚構でもなく、そこにあるのは本物だ。
自分だってそうだった。この部に入ったときはどこか人を疑っていて、こんな風に吹けるようになるなんて、まるで思いもしなかった。
初心者? 経験者? それはどっちだっていい。初心者は見るもの全てが面白いだろうし、経験者の部員も得るものがあったと、それぞれ自分に語ってくれた。
少しだけ踏み込んでみれば、同い年も先輩も、個性的な面子が顔を揃えているのが分かるだろう。
たまにびっくりすることもあるかもしれないけれど、そういうときは言ってほしい。
何しろ自分は部長だから。それだけのことはさせてもらう。
ひょっとしたら今の発言に、一番驚いたかもしれないけれど。この女性だらけの部の中で、唯一の男子部員が部長だなんて、外から見たら信じられない話だ。
けれど、あり得ないことが起こるのがこの部活だから。
そんなことばっかりで、だから飽きずにここまで続けてこられてる。
喜怒哀楽が激しく上下して、でも最後には笑ってしまうここを、面白いと思ったらぜひ入部するといい。
濃い毎日になるのは保証する。何しろこの演奏だって、それなりに大変だったのだ。
おちゃらけた双子姉妹は遊ぶことにしか興味がないし、堅物なホルン吹きは不器用すぎて、パフォーマンスが奇っ怪なことになっていて。
挙げ句の果てには、他校の部員と競り合ったりして――と。
そこまで考えたところで、光莉の音が少しだけ弱まって、鍵太郎はちらりと同い年の方を見た。
恐らく疲れからだろう。かなり出し気味に吹いていたので、消耗がいつもより速かったようだ。
他の部員たちもだいぶ張り切ってやっていたせいか、少しずつ乱れが見え始めている。
しかし、そんな中で――
「――!」
光莉はぐっ――とベルを上げて、音を振り絞った。
彼女の楽器から出た音が、一条の閃光になって全員の頭上を通り過ぎていく。
ほんの一瞬のことだったが、それに釣られて他の部員たちも息を吹き返す。演奏が立て直され、崩れかけた流れが元に戻った。
それに、鍵太郎は笑う。
『ファンティリュージョン』は何度も何度も同じ旋律が出てきては形を変えて繰り返す、夢幻の中にある曲だ。
喜びも間違いも全部ひっくるめて、それでも笑って進むリフレイン。
そこに彼女もまた飛び込んできてくれたことが、ただ無性に嬉しかった。
そして曲は、まだまだ続く。
楽器と人を変えながら――さあ、もう一度。
同じメロディーを、繰り返そう。
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細々あったが無事に演奏が終わって、その場が拍手に包まれる。
何度も本番を経験しているものの、新入生から送られるそれは、どうにも格段に気恥ずかしいものだ。
それはかつて、自分もそちら側にいたからだろうか――などと、そんなことを考えていると。
「……ん?」
ふと、強烈な視線を感じて、鍵太郎はそちらを向いた。
すると、恐らく新入生だろう。
真新しい制服を着た女子生徒が、じっとこちらを見つめてきている。
意志の強そうな太い眉毛が印象的な、その小柄な彼女の眼差しは――どうも他の新入生とはまた違った、圧が込められているように思えた。
そして自分が持っているのは、吹奏楽部でも知名度の低い楽器、チューバだ。
となると雰囲気からして、もしかして経験者だろうか。
だとしたら、ぜひとも入部してほしいのだが――そう思って鍵太郎が、その女子生徒に声をかけようとすると。
「……」
彼女はふいっと顔を背けて、そのまま逃げるようにその場を立ち去ってしまった。
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