第220話 演奏の花と演出の実

 そして『楽しさ』について悩んでいる部員は、同じく川連二高にもいて――


「……みなと。演奏を楽しく見せるって、どうしたらいいの」


 湊鍵太郎みなとけんたろうは同い年の片柳隣花かたやなぎりんかに、ずい、とそう詰め寄られていた。

 彼女が訊きたいのは、単純に演奏のことではない。

 手拍子ハンドクラップ――『リトル・マーメイド』の曲中に出てくる、メロディーの合いの手の効果音についてである。

 今回のテーマパークで演奏するためのオーディションは、映像審査だ。

 つまり楽しく『見せる』というのも合格基準のひとつであり、そのために彼女はこうして、演奏以外の部分にも目を向けているらしい。

 だが先日、練習で隣花は顧問の先生に指摘されていた。「おまえその叩き方じゃ、神社にお参りしてるみたいだぞ」と。

 その言われようのごとく大真面目な顔をして訊いてくる同い年に、鍵太郎は困惑して答える。


「どうやって……って、なんとなくだよ」

「その『なんとなく』が分からないから! 訊いてるのよ!」


 鬼気迫る調子で返されて流石に鍵太郎も一歩引いた。

 そういえばこの間テーマパークに行ったときも、隣花は「パフォーマンスとか、よくわからない」と言っていたのだ。

 そんな彼女が、いきなり楽しそうにやれと指示されてもできるはずがない。

 どうしたものかと首を傾げていると、越戸ゆかりとみのりの双子姉妹が、ニヤニヤ笑いながら言ってくる。


「まあねー? しょせん上手いだけで頭の固い人には、そういうの、分からないよねえ?」

「だよねえ? エンタメの真髄を理解しようとしない人には、そういうの、難しいよねえ?」

「ぐっ……!」

「おまえら、意外とまだ根に持ってたんだな……」


 二人のセリフに奥歯を噛む隣花を見て、鍵太郎は半ば呆れた気持ちでそう言った。

 だいたい今回の合同バンドを組むきっかけになったのは、この三人の論争からなのだ。

 人を楽しませることを望むゆかりとみのりに、真剣に音楽をやりたいと言った隣花。

 双方の意見は間違っていなくて、だからこそ三人の願いを叶えたく、自分は動いたわけだが――


「くっ……! このっ! このっ……!!」


 パン、パン、と手を叩く隣花はどう見ても必死に合格祈願をする受験生で、鍵太郎はそんな同い年のことを、生暖かい目で見守ることとなった。

 なんだか彼女の真面目さが、裏目裏目に出てしまっている気がしてならない。

 そしてがっくりとその場に膝をつく隣花の周囲を、ゆかりとみのりはくるくる回る。


「ねえ今、どんな気持ち?」

「ねえねえ今、どんな気持ち?」

「そろそろ止めてやれ、おまえら……」


 いい加減、また隣花が爆発しかねない。

 あのときのようにまた仲裁に入る形で、鍵太郎は三人の間に割って入った。

 すると床に手をついていた隣花が、ボソリとこちらに言う。


「……湊。あんたこの前、真剣に音楽をやればいいって言ったじゃない」

「言ったけど、それだけやってればいいとは、いくらなんでも言ってないだろ。というか、合同バンドの件はおまえも了承したじゃないか」

「詐欺よ。後から詳細を聞かされて、登ってきたハシゴを外されたようなものだわ。できるものならクーリングオフを要求したいくらいなのに……!」


 本当に、どうすればいいのか分からないのよ――そううなだれる隣花に、溜飲も下がったらしい。

 ゆかりとみのりはからかうのを止め、そんな彼女に口々に声をかける。


「理屈じゃなくて心なんだよ!」

「考えるな感じるんだなんだよ!」

「あのなおまえら。それが分からないから、片柳はこうして悩んでるんだと言うに」


 最初からこの二人のようにできれば、世話はない。

 もう少し具体的に、どうすればいいかアイデアはないものか――そう訊いてみると、二人はうーんと考えた後、ひとつの提案をしてくる。


「例えばさあ。片柳さん、手を叩くとき、胸の前で叩いてるでしょ」

「あれをもっと上、できれば頭の上で叩けば、少しはそれっぽく見えるんじゃないかな」

「お、なるほどな」


 言われてみれば先ほどの隣花の手拍子は、ムキになっていたせいか願掛け状態で、悲壮感しか伝わってこなかった。

 その位置を少し変えるだけで、印象は全然違うのではないか。そう言う姉妹に、隣花は戸惑いながらも手を頭の上に持ってくる。


「こ、こう……?」


 困惑しているのと表情が固いため、それは非常にぎこちないものだったが――

 そうして叩かれた手拍子は、先ほどよりはるかに『それらしい』ものだった。


「あ、そうそう」

「いい感じいい感じ」

「……そうなの? こういうので、いいの?」


 自分の中でまだ掴みきれてないのだろう。表情はこれまで通り、当惑したままだが――

 そんな隣花に、鍵太郎は苦笑して言う。


「なあ、片柳。おまえパフォーマンスがよく分からなくても、嫌いではないんだろ」


 今のその顔は、みなでテーマパークに行ったあの日、彼女が不思議そうに園内を歩いていたのを思い出させるものだった。

 あのときの隣花は、決して不快そうではなかった。

 むしろ、未知のものにどう対応していいか分からないといった様子で――ただ記録だけは残すために、写真を何枚も撮っていたのだ。

 後から見て、どうすればよかったのかを考えるために。


「別に難しく考えることはねえよ。綺麗だったら綺麗で、楽しかったら楽しいで、そのままそれを素直に出してくれれば、それでいいんだよ」

「……まあ。確かに嫌いってほどでは、ないけど」


 『楽しく見せる』って、そういうものなの――? と。

 自分の手を見てまだ不思議そうな顔をしている隣花に、鍵太郎がさらに言葉をかけようとした――そのとき。


「お、湊。いたいた」


 音楽準備室から顧問の本町瑞枝ほんまちみずえが出てきて、こちらに話しかけてきた。


「今度の練習だけどな。曲に合わせて踊りの練習も始めようと思うんだ。で、ちっと振り付け考えてきたんだけどよ」

「お、いいですね」


 ちょうど、手拍子だけでは寂しいと思っていたところだ。

 あのアホの子辺りなら喜んでやるだろうな――などと鍵太郎が、呑気に考えていると。

 先生は、衝撃の一言を放ってくる。


「あ、それもちろんおまえもだからな。楽器持って踊れ」

「チューバは免除してもらえませんか、それ!?」


 あまりの無茶振りに、思わず鍵太郎は本町に向かって叫んだ。

 なにしろこちらの吹くチューバは重さ十キロ、金属の塊と言ってもいいくらいの重量級楽器である。

 演奏しながら踊るとか、身体への負担がどのくらいになるのか想像もつかない。

 というか二校合わせて五十人近くの女子の中、男一人で踊るってどうなのだ――そう言うと、先生は呆れたように肩をすくめる。


「オイ、なに言ってんだ。全員踊るのにおまえだけ座奏とか、不自然にも程があるだろ。チューバだからって甘えんな、エンターテイメントは無茶を可能にするから感動するんだよ」

「なんかいいこと言ってるっぽいけど、それって俺がきついことに変わりはないのでは!?」

「ゴチャゴチャ言ってねえで、いいから楽器持ってこい。チューバでもできる動きかどうか、やってみねえと分かんねえんだから」

「俺に一体どんな動きをさせようっていうんだ、この教師!?」


 ぶつくさ言いながらも楽器を持ってきて、先生の指示通りに動いてみる。

 本町の振り付けは曲の雰囲気にとても合ったもので――つまり非常に愛らしく、キュートなものだった。


「はい、くるっと回ってー。そこでかわいく、膝を曲げるんだ。恥は捨てろ恥は。照れがあると、かえって痛いぞー」

「ちょ、先生……! これ、口がぶれて、音がぶれる……!」

「湊、がんばれー!」

「いいよいいよ、かわいいよー!」

「おまえらも他人事だからって、野次飛ばしてんじゃねえぞ!?」


 乗っかって声援を送ってくるゆかりとみのりに抗議して、それでもなんとか言われるがままに踊り続ける。

 オーディションは映像審査なのだ。

 『楽しそう』に見せなければ合格はない――言い出しっぺとして、そして何より部長として。

 鍵太郎は両腕にズシリとかかる負担を感じさせないよう、笑顔で舞い踊る。


「ちくしょう、やってやる……!」


 しかしこのときばかりはその笑みも――若干、引きつったものではあったのだが。



###



 それからも、吹きながら散々踊らされた結果。

 練習すればなんとかできそう、という結論に達し、鍵太郎はようやく先生から解放されることとなった。


「つ、つかれた……」


 楽器を置いた両腕を、ぷらぷらさせる。

 数分ならともかく、長時間この状態で演奏するというのは、男の自分といえどもかなりきつい。

 しかし動くことによって生じる音のブレは、楽器を腕で動かすのではなく身体ごと腰から動かすことで、なんとかなりそうで――などと、結局はやる気の鍵太郎が色々と考えていると。

 ずっとそれまでのやり取りを見ていた、隣花が言ってくる。


「……なんなの。そう言うあんただって、できてるわけじゃないじゃない」

「あ、あははは……。まあ、それはお互い様ってことで」


 ジト目でそう言ってくる彼女に、苦笑してそう返すしかない。

 最初から完璧にできるのだったら、練習なんてそもそもいらない。

 それは演奏も演出もそうで――それをどちらも思い切りやりたいからこそ、自分はこうして大きな企画をぶち上げたのだから。


「俺も、こういうことはまだ全然だけどさ。それでもやってみたら、案外どうすればいいか分かってきたよ」

「……まあ。手がかりは掴んだものね。どこまでできるかは分からないけど……やるしかない、か」


 そうため息をつきながらも口にする隣花を見て、鍵太郎は笑った。

 どうやら先ほどの拙い踊りでも、彼女は心を動かしてくれたらしい。

 演奏はより華やかに、演出はより楽しげに。

 初めは上手くいかなくても――いつだって自分たちは真剣に人を楽しませようと、もがいていく。

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