第221話 おまえにしかできないこと

「えー、僕がその合同バンドの指揮を振るんですかー?」


 納得いかなさそうにそう口にしたのは、意外なことに川連二高の外部講師、城山匠しろやまたくみだった。


「せっかく遊園地で演奏するっていうから、楽しみにしてきたのに……」

「しゃあねえだろ。それが相手の学校の出してきた条件だったんだから。こっちも色々呑んでもらってる以上、向こうにもある程度譲歩しないといけなかったんだよ」


 そんな城山に、吹奏楽部顧問の本町瑞枝ほんまちみずえが応じる。

 湊鍵太郎みなとけんたろうはそんな先生二人のやり取りを、口を出せないながらも部長としてその場で聞いていた。

 今回の二校合同バンドについての打ち合わせは、話が上がった時点で両校の顧問同士で行われている。

 そのとき相手側の学校の顧問から出された条件のひとつが、『今回の本番は川連二高のコンクールを振った指揮者でやること』だったらしい。

 向こうの学校も向こうの学校で、こちらのノウハウを可能な限り吸収しようと必死なのだ。

 演奏技術や練習の仕方、指揮や指導方法に至るまで――金賞を取った学校がどんなことをやっているのかを参考にするため、先方は今回の話を持ちかけてきたのだから。

 それに乗ってこちらも大きなことをしようとする以上、多少は誰かの意に沿わないことも出てくるだろう。

 そうは考えていたのだが――それがまさか、この指揮者の先生にまで降りかかってくるとは思わなかった。


「城山先生、何か引っかかることでもあるんですか?」

「まあ、個人的にちょっと、ね……。女子高っていうのがどうも苦手で。女の子の指導って、やっぱりどうしても、気を遣うところがあるしさ。トイレも音楽室の前には女子用しかなくて、わざわざ三階から一階の教職員用まで降りてかなくちゃいけないし……」

「まあ、確かにそうですけども」


 やけに詳しい。

 誤魔化すように言葉を濁す城山に、鍵太郎は首を傾げる。この残念イケメンのことだ、女子高に指導に行って揉みくちゃにされたとか、そんな経験でもあるのだろうか。

 それか、あるいは――


「先輩、分かっててこの話引き受けたでしょう。本当に人が悪いんだから……」

「さあね。けど向こうにとってもこっちにとっても、ベストな指揮者はおまえだ。じゃあ、もうそれで行くしかないじゃないか」

「……まあ、いずれはそうしなきゃと思ってたところですけどね」


 城山がかつて振っていた学校というのは、ひょっとしたら女子高だったのかもしれない。

 この指揮者の先生の、触れてはいけない過去。

 以前楽器屋から少しだけ聞かされていたそれを、鍵太郎は思い出しながら――しかしやはり、そこには踏み込まないでおくことにした。

 そう釘を刺されていたのもある。

 だがそれ以上に――この大人二人の会話に、まだ自分は口を挟んではいけない気がしたのだ。

 それが今の自分にできる、最良の選択だと思った。

 その領域に、まだ入れはしないけども。

 いつかこのことについて話せる、そんな機会は来るのだろうか――

 そんなこちらの心情など知ってか知らずか、顧問の先生は城山に言う。


「まあ、おまえの意見を聞かずに決めちまったのは悪かったよ。でも大丈夫だ。今回はアタシもいるしな。それに相手方の先生だって、悪い人じゃない」

「……はい」

「これは、おまえ以外の誰にもできないことなんだ」


 本町はそこで言葉を切って、じっと後輩を見つめる。


「他の誰でもない。おまえにしかできない、そんなことなんだよ。

 さあ――引き受けてくれるな、城山先生?」


 にっこり笑ってそう言われ――城山は観念したように苦笑し、うなずいた。



###



 そして、その『悪い人ではない』相手の吹奏楽部の顧問といえば――


「さあ! 今度の練習こそは川連二高さんの、本指揮者の方がいらっしゃるわよ! 私もその指揮法や指導法、余さず盗んでいかなくちゃいけないわ!」

「るり子先生……流石にもう少し、言葉を選んでください……」


 今日も元気に暴走状態で、薗部そのべ高校の吹奏楽部部長、柳橋葵やなぎはしあおいは額を押さえて先生にそう突っ込んでいた。

 聞いてはいないと分かってはいつつも、やはり言わずにはいられない。

 この部のことについて、半ば諦め気味だった葵がそう思うようになったのは、やはり相手方の学校の部長に感銘を受けたことが大きかった。

 そして何より、先日の部員たちの様子を見て「このままではいけない」と心のどこかが叫んだことが、彼女を突き動かす一番の理由になっている。

 このままでは、向こうの部長の彼に合わせる顔がない。

 自分たちの学校のことは、自分たちでなんとかしなければならない――どこかで何かを、変えなければならない。

 それはこの部の部長たる、自分にしかできないことだった。

 部活のため、そしてちょっぴり、密かに思いを抱く相手のため。

 葵は何を相手にどうすればいいかも分からないまま、途方もない戦いに挑んでいく。


「先生、これからの練習のことですけど、バランスのことは人数的にしょうがないとして。ええと――せめてもっと、他の人の音を聞き合うようにしませんと。そうしないと合奏してもうるさいだけで、曲として聞こえなくなっちゃいます」

「昔は吹奏楽団って、『吹奏爆団』とも揶揄された時代があったものね! でも大丈夫! 元気なことはいいことだわ!」

「それぞれが吹きたいように吹くのは、別にいいことだと思うんです。でもそれじゃ、お客さんには伝わらないっていうか……自分たちがやりたいことをやってるだけっていうか。なんていうか、上手く言えないんですけど――このままじゃ、とってもまずい気がするんです!」

「自分たちがやりたいことをやって、曲を作っていく! 素晴らしいことだわ! 昔の薗部高校も、そうやって大会を勝ち進んでいったものよ。さあ、葵! かつての栄光を取り戻すべく! 薗部高校! 再興に向けて、がんばるわよ!!」

「ああもう、全然会話が成立しないーーーっ!?」


 いつも通り顧問の先生と意思疎通ができず、葵は泣きそうになりながら頭を抱えた。

 どうすればいいのか。次の合同練習、その相手側の指揮者の先生が来る日まで、もうあまり時間がない。

 現状のままでは再興どころか、沈没まっしぐらだ。

 どうする、どうする――そう考えながら小さな人魚姫は、あの日見た輝く水面に向かって必死に泳ぎ続ける。



###



 さらにそんな部長を、遠くに見て。


「……葵ちゃん、がんばってるなあ」


 薗部高校のファゴット吹き、植野沙彩うえのさあやはぽつりとつぶやいた。

 合同バンドの練習が始まってからというもの、葵はああして空回りしつつも、積極的に動くことが多くなってきている。

 それは彼女がなにかしら、自分の役割を見つけたからだろうか。

 自分にも、そんなものがあるのだろうか――友人が奮闘している姿を見て、沙彩はふと思う。


「わたしが役に立てることって、本当に、あるのかな……?」


 音量比べになれば、ほぼ確実に他の楽器にかき消される宿命にある、このファゴットという楽器。

 自分にとって、とても大切なそれを抱え――彼女は他の部員たちには決して口にできなかった不安を、一気に膨れ上がらせる。

 それは心のどこかで思いながらも、ずっと無視し続けてきた疑問。


「……わたしは」

 

 ひょっとしたら、自分にしかできないことなど、何もないのではないか。

 いてもいなくても変わらない、特に誰からも必要とされていない、そんな存在なのではないか――と。

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