第218話 もっと楽しくやるために

 そして相手の学校のことを考えているのは、こちらの学校も一緒で――


「楽しかったね」

「楽しかったなあ」


 合同バンドの相手校からの帰り道。湊鍵太郎みなとけんたろう宝木咲耶たからぎさくやは、揃ってそう口にしていた。

 テーマパークで演奏することを目的に、期間限定で組んだ二校合同バンド。

 その相手となる薗部そのべ高校と、初めて一緒に練習した感じは、どうだったか。

 答えは二人の言葉と足取りが、雄弁に物語っている。


「低音パートはすごくいい感じだったよね。私はまだバスクラに変わってから間もなくて、正直すごく不安だったんだけど……そんなこと気にならなくなるくらい、気持ちよく吹けたよ」

「そうだなあ。弦バスの部長さんもファゴットの人もいい感じの人だったし、これならなんとかなりそうだ」


 最初はあまりの姦しさに一体どうなることかと思ったものの、実際に合わせてみればそんな心配なんて吹き飛ぶくらい、いい演奏ができた。

 初顔合わせとしては、まず大成功だったと言っていいだろう。

 部長としても、ひとりの奏者としても鍵太郎がそう考えていると、咲耶はそのまま続けてくる。


「特にあの、ファゴットの人かな。あの人が隣で吹いてくれたおかげか、不思議と身体が軽くなった気がしたよ。彼女、上手いよね。私もあのくらい吹けるようになれば、きっとみんなの力になれるんだろうなあ……」

「あ、わたしもそれ思いました! なんか吹いててふわっとなりましたよね、ふわっと!」


 と、そこで同じく低音パートの一年生、バリトンサックスの宮本朝実みやもとあさみも咲耶の意見に賛同してきた。

 咲耶だけでなくこの後輩もそう感じたということは、あのファゴット吹きの彼女の実力は、それほど確かなものなのだろう。

 実力的にも人格的にも、いいメンバーに恵まれた。

 鍵太郎も鍵太郎で、コントラバスを弾いていた相手の部長には演奏中だいぶ助けられたので、素直にそう思える。

 これなら年明けにあるオーディションも、なんとかなるのではないか。

 そう思って、三人で盛り上がっていると――

 近くにいたトランペットの千渡光莉せんどひかりが、横合いからこちらに声をかけてくる。


「……あんたたちは、楽しそうねー」

「なんだ、おまえは楽しくなかったのか。千渡」

「うーん……。別に、楽しくなかったわけじゃないんだけど……」


 自分とはまた違う立場にある光莉が羨ましそうに言ってきたので、鍵太郎は同い年にそう尋ねてみた。

 すると彼女は何かを考えるように眉間に皺を寄せ、難しい顔で言う。


「なーんか、何か引っかかるのよね。それがどうしてかは、さすがに今日一日だけじゃ分からなかったけど……」

「向こうの学校のトランペットパートには、何か問題があるってことか?」

「そうかもしれないし、私の気のせいかもしれない。まあ、その辺はちょっとこっちで考えてみるわ。何か分かったら教えるわね。オーディションの合格もかかってることだし」

「そうだな。よろしく頼む」


 副部長にしてこの部の実力者たる光莉の直感は、鍵太郎も信用している。

 彼女が『何かある』と言うのなら、そこにはきっと何かがあるのだろう。

 そう思ってこちらがうなずくと――光莉も「ん」とうなずいて、何やら考えながら去っていった。

 その後ろ姿を見送っていると――

 こちらの話を聞いていたのだろう。今度は朝実が首を傾げて言う。


「うむむ……。なにやらトントン拍子に上手くいくかと思ったら、案外そうもいかないもんなんですねえ」

「まあな。どっかのパートでトラブルが起きるかもしれないっていうのは、合同バンドの話を言い出したときから分かってたさ」


 後輩の無邪気な発言に、鍵太郎はそうであったらどんなによかったろうと苦笑しつつ、そう口にした。

 しかしこれまでの経験からして、そう簡単にはいかないだろうということはもう、最初から分かっていたのだ。

 なにしろそれまでまるで関わりのなかった人たちと力を合わせて、これまでやったこともなかったような大きなことをやろうというのである。

 それで何も起きないほうが、むしろどうかしている。

 そう言うと、朝実は僅かに不安そうな顔を見せたので――

 鍵太郎はそんな後輩の表情にさらに大きく苦笑して、その曇り顔を思い切り吹き飛ばすことにした。


「大丈夫だよ。今回は今年のコンクールみたいなことには、絶対しない。というかむしろ、今度のは全員が笑ってやるのが目標なんだから」


 先ほど光莉も言っていたが――オーディションで合格してテーマパークで演奏するには、いくつかの条件を満たしている必要がある。

 そしてその条件、審査の合格基準のひとつが、『見る人を楽しませる団体であること』だ。

 演奏がいくら上手くても、それだけではこのオーディションは合格できない。

 『楽しく』は今回の合同バンドの必須項目でもある。

 そして、それ以上に――


「この合同バンド、俺としてはみんなで笑ってやりたいんだ。『楽しさ』は人によって、それぞれ違うのかもしれないけど――それで人がまとまれば、こんなにいいことはないもんな」


 あのときテーマパークで、「人を喜ばせる」ことについて笑って語った双子の姉妹を思い出す。

 同じくその後で、「真剣に楽器を吹きたい」と言っていた孤高の銀狐のことを思い出す。

 それぞれがそれぞれの思いを実現できれば、こんなにいいことはない。

 それは――『楽しく金賞を取る』ための、大きな足がかりになるはずだ。


「うちの学校も相手の学校も、お客さんも。みんな笑ってできるようにするんだよ。その方がいいだろ」


 これはコンクールとは、また違うのかもしれないけれど――

 少なくともそれで人がまとまって合格まで漕ぎ着ければ、それは大きな自信になる。

 理想論と言われようが、構わない。

 どこまでできるかわからない。

 でもやってみないと、始まらない。

 だからどこかで起こるであろうトラブルも、ひっくるめて――それを力にして進んでいくつもりだと、この合同バンドのことを思いついた日、誓った。


「『真剣に演奏して、人を楽しませる』んだ。まあ、トランペットの件は千渡にいったん任せておくとして――宮本さんはともかく、今まで通り一生懸命練習してくれれば、それでいいんだよ」

「???」

「あはは。まだ難しい話だったか」


 結論はともかく、そこまでの論理が分からなかったのだろう。首を傾げてクエスチョンマークを飛ばす後輩を見て、鍵太郎は笑った。

 まあ、今はわからなくてもいい。

 一年生の彼女には、そのうちわかってもらえればいいのだから――そう考えていると、こちらは内容を理解していたのだろう。

 咲耶がくすくすと笑って、言う。


「そうだね。そのためには、私もがんばらなきゃね」

「ああ。そのことなんだけど、宝木さん」


 そういえば、彼女にも言っておかなければならないことがあった。

 これはとてもいい機会だ。

 先ほどの言葉からそう判断した鍵太郎は、ただ真摯な本音を――同い年に向けて解き放つ。


「宝木さんは、もっと――いやらしく吹いたほうがいいと思う」

「……」

「あれ? なんですかこの展開?」


 そして、そんな大真面目な自分の発言に。

 咲耶はきょとんとした顔で沈黙、朝実は呆気に取られたようにそう言った。

 いや。だって。

 これは大切なところなのだ。

 このことは彼女にとっても、そしてこの部活全体にとっても、恐らく非常に大切な部分でもある。

 なので鍵太郎は、誤解を恐れず再び咲耶に向かって、思いのたけをぶつけていく。


「個人的なことだけど、少し前から思ってたんだよ。宝木さんは、もっといやらしく吹いたほうがいいと思う! 吹き方がストレートすぎるんだ、もうちょっと工夫して吹いていった方が、効果的に聞こえるはずなんだよ!」

「うーん? なんかさっきまで先輩がすごくいい感じだったのに、急にまた気持ち悪くなりました」


 後輩からは散々な言われようではあるが――

 鍵太郎がここまで言い切ったことには、実はちゃんとした理由があった。

 これは先ほど咲耶自身も認めていたことだが、彼女はクラリネットからバスクラリネットに楽器を変えたばかりで、まだまだ低音の吹き方に慣れていないところがある。

 しかし先代のバスクラリネット、あのひとつ上の先輩は、非常に『歌い方』が上手い人でもあった。

 ほんの少しの間の取り方とか、フレーズに合わせて微妙に吹き方を変えたりとか。

 少々その癖が強すぎる人ではあったのだが――しかしその辺りを真似していくだけでも、咲耶の演奏はぐっと上手く聞こえるはずなのである。

 ここ最近一緒に吹いてきて思うのだが、彼女の吹き方は癖がなさすぎて、こちらとしてはどうも物足りない。

 性格の違いと言ってしまえば、そうかもしれない。

 しかしだとしても意識的に歌い方を変えるだけで、全体の演奏の印象も、だいぶ変わるのではないか――

 こちらとしてはそう言いたかったのだが。


「すみません、足りないんです! それじゃあ足りないんです! もっといやらしいプレイでお願いします! ちょっとだけ焦らされたりとか緩急をつけられたりとか、そういうのがないともう俺、満足できないんです!」

「うわあ、先輩。わたしには高久先輩みたいになっちゃいけないよーとか言いながら、自分が一番影響受けちゃってるじゃないですか」


 どうにも言い方が悪かったようで、朝実にはなんだか汚いものを見る目で罵られることになった。

 いや、これは断じてあの先輩に毒されたとか、そういうことではない。

 まあ確かに、この言い方があの人の影響を、絶対受けてないかと訊かれれば嘘になるけれども――だがしかし、そんな土下座せんばかりのこちらの勢いに目をぱちくりさせていた咲耶といえば。

 何かに気がついたようにはっとして、そのままこちらへと言ってくる。


「なるほど。歌い方を工夫していくんだね」

「あれ、これをまさかのスルーですか? 宝木先輩!?」

「よかった! 宝木さんなら分かってくれると思ってたよ!」

「湊先輩も、なにをフツーにこの状況を流してるんですか!?」


 あれ、ひょっとして低音パート、これからツッコミ不在になるんですか!? と。

 後輩がなにやら驚いたように悲鳴をあげているのだが、元々咲耶はこんな感じなのだ。そこは慣れてもらうしかない。

 というか今回はそれ以上に、咲耶にとっても周りにとっても、そうした方がいいと思ったから言ったことでもある。

 もっと上手くなれば、もっとみんなの力になれる。

 先ほどそう言っていた彼女には、これはどうしても話しておかねばならないことでもあったのだ。

 もっと上手くなって、もっと楽しくやるために。

 真剣に楽しくやる。そのためには、自分たちにできることを最大限やっていくしかない。

 その積み重ねが、これから自分たちの力になっていくのだから――

 そう思った鍵太郎は、晴れやかな気持ちでうんうんとうなずく。


「そうだよな。こうやって、ひとつずつ問題を解決していくことが大事なんだよな」

「千渡せんぱーい!? 帰ってきてくださーい!? 帰ってきてこの気持ち悪い人を、いつもみたいにぶん殴ってくださーい!?」


 しかし後輩はなぜか泣きそうな顔で、副部長に助けを求めている。

 その表情に、今度はこちらが首を傾げつつ――


「ああそうだ。柳橋さんにも今日のお礼言っとかないとな。せっかく連絡先教えてもらったんだし」


 もっと楽しくやるために。

 さらに無自覚に嵐を広げ、鍵太郎はその先へと突き進んでいくのだった。

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