第93話 チンドン屋
クリスマスコンサート当日の朝。
吹奏楽部は全員、音楽室に集まってきている。きのうで二学期が終わり冬休みに入っているのに、そこだけはいつものように騒がしい。
リハーサルが終わって、楽器を外に運び出す。
「よし、行くぞ!」
金管最大の低音楽器、チューバ。
重さ十キロ、ハードケースに入れるとひたすら持ち運びが不便な重量級楽器。
それが今回、ケースを変えることによって画期的な機動力を得た。
もう運ぶだけで疲れるなんて言わせない。そう思って意気揚々と立ち上がったのだが――周りの反応は、鍵太郎の予想とはだいぶ違ったものだった。
「楽器と人間、どっちが本体かわからないね」
「すごい登山する人みたい」
「富士山とか尾瀬の山小屋に物資の補給しに行く人って、そんな感じの荷物背負ってるわよね」
「おまえら、なんでそんな否定的な見方しかできないんだ!?」
みながそろって異様なものを見る眼差しを向けてきたので、鍵太郎は抗議の声をあげた。
せっかく顧問の先生に買ってもらったケースなのに、初陣がこれでは悲しすぎる。そう思って言ったのだが、他ならぬその顧問の先生が鍵太郎に言ってくる。
「おい湊。歩いて宝木んちに行くならともかく、トラックに積むんだったらそのケースはやめろ。危ないから」
「危ない?」
顧問の
「単純に耐久性の問題だよ。いくらしっかりしてるからって、ソフトケースは布と綿で出来てるんだ。トラックに打楽器と一緒に積んで、万が一荷崩れでもしたらひとたまりもねえぞ。使いたいのはわかるが、今回はハードケースにしておけ」
「ぐぬぬぬぬぬ……仕方ない」
断腸の思いであきらめて、楽器をハードケースに入れ替える。このあいだ同級生の部員に楽器をへこまされて、それ以上に気持ちがへこんだばかりだ。先輩から受け継いだこの楽器が壊れでもしたら、それこそもう生きていけない。
今度また、宝木家で練習するときに使わせてもらおう。それ以外にも使える機会があれば使ってみたい。
会場へ移動するため、楽器を一階に下ろす。トラックは既に扉を開けて待っていた。
そのトラックの荷台に打楽器の
「俺がやりますから。貝島先輩はみんなと一緒に楽器を運ぶ方に回ってください」
「む……」
優は小柄だ。みなと一緒に楽器を荷台に上げるならともかく、ひとりで楽器をトラックまで引っ張り上げるには明らかに力が足りない。
言われた優は眉をしかめて、不審そうに鍵太郎を見る。
「できるんですか? こういうのは打楽器パートの人間がやるのがセオリーなんですが」
「大丈夫です。滝田先輩にやり方は教わりましたから」
「……。そう、ですか」
引退した打楽器の先輩の名前を聞いて、優は目をぱちくりとさせた。どんな顔をしたらいいかわからないといった様子で、彼女は自分を納得させるように数回うなずく。
「……あの人、一応は後輩たちのこと考えてくれてたんですね」
「『貝島先輩にこれをやらせるのは酷だから』って言ってましたよ」
「むう」
ちびっこ扱いされたのが気に入らなかったのか、優は口をへの字にして顔を赤くした。不満そうにそっぽを向く。
「……わかりました。お手並み拝見といきましょう。ただし、積み方が甘かったら容赦なく突っ込みますからね」
「はい。よろしくお願いします」
一応は任せてくれる気になったようだ。優の返事に苦笑して、鍵太郎はポケットに突っ込んでいた軍手をはめた。
防寒の意味もある。今日はクリスマスイブだ。吹きさらしの荷台は寒い。早く楽器を積みこんで、温かい会場に移動したい。
だが手荒に積み込んで、それこそ荷崩れでも起こしたら最悪だ。慎重に楽器を配置し、先輩に教わったようにテトリスをやる要領で、隙間なく組み込んでいく。
ベルトで楽器を固定する。楽器を上げていた優から「そこの隙間にこれ入れてください」とシンバルの入ったケースを渡された。ちゃんと見てくれてはいるらしい。ただ単に自分の使う楽器を変に積んでほしくないだけかもしれないが。
しばらくそうしているうちに、身体が温まってきて汗が滲んできた。コートの前を開け作業を続ける。男子部員の鍵太郎でさえこれなのだ。優にやらせるのはやはり酷だったろう。
何度か先輩の指示を受けながら、楽器をすべて荷台に収める。
「……よし、完了」
「まあ、初めて一人でやったにしては上出来ですね」
優のチェックを受けて、一息つく。この言い回しは合格のサインだ。
相変わらず、なかなか手放しで褒めてくれない。厳しい人だなあと思う。引退した鍵太郎と同じ楽器の先輩とはえらい違いだ。まあダメ出しされて成長する自分には、ちょうどいいのかもしれないが――
「――はっ!?」
気づく。このまま優の厳しい指導のもと楽器積みのスキルを上げていって、荷崩れなんて絶対起こらないくらいになれば。いずれはソフトケースを使っても大丈夫なのではないか――?
そう思った鍵太郎は、優に笑顔で言った。
「貝島先輩、もっときつく指導してくれていいんですよ」
「なんか湊くん、滝田先輩みたいなこと言うようになってきましたよね」
「あれ?」
そんなつもりはないのだが。というかあの変態紳士と一緒にしてほしくないのだが。首をかしげると優は、「まあ……やる気があるならそれでいいんですが」と言ってきた。不審者を見た小学生みたいな顔をしているが、なんでそうなるのか、よくわからない。
「……えーと。はい。移動しましょう。バスももう来てますし、今年最後の本番です。気合い入れていきましょう」
「はい」
新部長の言葉にうなずく。そう、今日は今年最後の本番、そして三年生が引退してから初めての本番だ。
不安はあるが、大丈夫だと思いたい。どうなるかはわからないが、どうにかはなるはずだ。鍵太郎は楽器の詰まった荷台から飛び降りて、扉を閉めた。
###
今回のクリスマスコンサートは、クリスマスチャリティーバザーの余興という位置づけだ。販売金の一部を募金すると聞いている。
会場は隣町の、中学校の体育館だった。中には暖房が焚かれ、ブルーシートやカーペットを敷いた販売ブースが所狭しと並んでいる。まだ時間が早いためか、そんなに人はいない。
楽器を下ろしてイスを舞台にセッティングしたら、あとは時間まで自由行動だ。本番までの二時間ほど、鍵太郎は昼食を取りながらバザーをうろつくことにした。
「いろんなのがあるねー」
会場をざっと見渡して、トロンボーンの同い年、浅沼涼子が言う。会場には雑貨からお菓子、その他にも古本や野菜など、様々なものが並んでいる。
涼子はいつものように好奇心いっぱいに目をきょろきょろさせ、どこに突撃しようかと狙いを定めているようだった。特に行くあてもないので彼女を先頭に、
あれやこれやと歩いて回り、野菜売り場の前を通りかかったところで、ジャンパーを着てキャップを被ったおじさんに声をかけられた。
「今日は、なんかやるんかい?」
野菜直売所、と看板が立てかけられている。地元の農家の人のようだ。訛りのきつい言葉で、おじさんは不思議そうに訊いてくる。
「なんだえ? チンドン屋かい?」
「チンドン屋じゃないです。吹奏楽部です」
不満そうに言ったのは光莉だった。チンドン屋という呼び方が気に入らないようで、おじさんをにらんでいる。
チンドン屋。太鼓や鐘を鳴らして派手な衣装で人目を引き、商品や店の宣伝を行う職業ではあるが――
「一緒にしないでください。私たちはああいうのとは違います」
「うん? よくわからんせえ」
「だから――」
「千渡千渡。ストップストーップ」
ヒートアップしかけた光莉を、鍵太郎は静止した。肩を叩いて後ろに下がらせ、おじさんに話しかける。
「一時からそこの舞台で演奏をします。クリスマスの曲をやるんで、よかったら聞いてください」
「ほお、ほうけえほうけえ」
鍵太郎のセリフにおじさんは笑顔でうなずいた。だが光莉の機嫌の悪そうな気配は、後ろからビンビン伝わってくる。
これ以上彼女を刺激するのも怖かったので、鍵太郎は「じゃ、俺たちはこれで」と言ってすぐその場を後にした。
「がんばれえい、チンドン屋ー」
「だから、それは違うって――」
「はいはい、わかったから行こうな千渡」
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」
おじさんの言葉を背に、鍵太郎は歩いていく。光莉も追いかけてきた。
しかし彼女はまだ不満が収まっていないのか、納得いかなさそうに言葉を投げつけてくる。
「ねえ、あんた悔しくないの? チンドン屋呼ばわりされて」
「それはそれでチンドン屋を馬鹿にしてる発言だと思うんだが……」
あれはあれで立派な仕事である。現代ではもうあまり見かけないが、鍵太郎は時代劇などでそういったものを少しは見て知っている。だから光莉とは違って、マイナスなイメージは薄かった。
むしろそれでいいとすら思った。今回の演奏は、クリスマスバザーの余興という扱いだ。雰囲気を出せて楽しんでもらえればいいし、財布のひもが緩んでバザーの売り上げが伸びればこんなにいいことはない。
つまり役割としてはチンドン屋と一緒だ。そう言う鍵太郎に、光莉は嫌そうな顔をした。
「えー……。だからってチンドン屋って言い方は嫌なんだけど」
「でもさっきのおじさんは、別に悪意があってああ言ったんじゃないと思うぞ」
だからこそ、最後の「がんばれえい」なのだろう。ただ単に騒がしいものを指す意味でそう言ったのではなく、純粋に楽しそうで人目を引くものに対して言ったのだ。
光莉とはイメージのずれが相当ある。年代による差がありすぎた。
けど、今回のお客さんはそういう人たちなのだ。吹奏楽なんて別に知らないし、特に楽器も触ったことがないという、そういった人たち。
今日初めて会うその人たちに笑ってもらうには、どうしたらいいだろうか?
「……つまり、その場のノリで演奏して、音楽性なんて特に考えないってこと?」
「おまえのそういう言い方、ほんと癇に障るよな……」
なんだよ音楽性って。そう訊く鍵太郎に、光莉は「音楽性は音楽性よ」と答えた。
感覚で理解しろということなのだろうか。しかし、鍵太郎にはよくわからなかった。
「……なんていうか、そういう『音楽性うんぬん』って話は、まだよくわかんねえんだけどさ。
でも、そういう難しいこと言いながら演奏するのは、たぶんやる方も聞く方も、あんまり楽しくないんじゃねえかなーって思うんだ」
この間見た、ミュージックビデオが脳裏をよぎる。
プロの集団でもなんでもない普通の人たちが踊って笑って、こちらに手を振っていたあの映像。
あれはそういったこと考えずにやっていたように思う。人を笑わせるための技術とか、感動させるための音楽性とか、プロデュースした方にその意図はあったかもしれないけど、実際に踊っている人たちまでそんなことを考えているようには見えなかった。
でも、自分はそれで笑った。
気がついたら、と言っていいレベルで。
あんな風に吹ければいい。なんにも知らなくたって、届けることはできるはずだ。そう言うと、光莉は首をかしげた。
「……それって、ノリのいいだけの演奏とどう違うの」
「うっせえなぁ。まだ分かんねえよそんなこと」
「よくわかってないのにそんなこと言うんじゃないわよ。それこそチンドン屋じゃない」
「あーもう、それこそ感覚でわかってくれよ」
頭をわしゃわしゃとかく。どうやったらいいかなんてまだわかってない。光莉の言う『音楽性』とやらだって、なんなのかよくわからない。
けれど今日は本番だ。わからなくたって、やるしかない。
特に高尚な理念とかは持ってないが。
ただ単純に『笑ってほしい』。
それでは、だめなのだろうか?
「それは、素人の理屈よ」
鍵太郎のその言葉を、光莉は一刀両断した。
「なんにも技術を磨こうとしないで、ただ単に勢いでやってるだけよ。よかったねーとは言われるけど、真面目にやってないからいつまで経ってもレベルが上がらない。同じところにいて、その場で小さく楽しんでるだけ。それは単なる自己満足よ」
「うー……」
正論を言われて、鍵太郎はうなった。確かにそういった面はあるかもしれないが、でも――
「……でも、うまくなりたいとは思うよ。だってそのほうが、絶対『届きやすく』なるだろうから」
この間は、その自己満足で失敗したのだ。
届いてほしい人に届かなくて、その原因はやっぱり自分だった。
だから今度はそうしたくなかった。笑ってほしいなんて後から来た理屈で、本当はただそれだけかもしれないけれど、それでも。いや、だからこそ。
「俺はおまえからしたらまだまだ初心者で、ヘタクソかもしれないけどさ。うまくなりたいとは思ってるよ」
先輩に追いつきたいと思ってるよ――とまで言うと、また殴られそうな気がしたので、言わなかったが。
それは入部当時から、ずっと変わっていない自分の向かう方向だった。
光莉はそれで納得はしてくれたのか、それ以上突っ込んでくることはなかった。
「……ふん。まあ、その心がけはいいと思うわ」
鼻を鳴らして、いつものように言ってくる。それで終わるかと思ったのだが――彼女はなにやら腕を組んで、目をそらしながら続けてくる。
「……というか別に、あんたがまだ初心者だなんて、誰も言ってないわよ」
「?」
よくわからなかったので怪訝な顔をすると、光莉はさらに首をあさってのほうに向けた。そして、言ってくる。
「……うまくなったわよ。あんたは。もう初心者じゃないわよ。先輩がいなくなってもひとりでなんとかできてるくらいには、上達してると思うわ」
「……」
驚きすぎて言葉が出なかった。
光莉に褒められたのは初めてではないだろうか。これまで「初心者」「ヘタクソ」「もっと練習しろ」としか言ってこなかったあの光莉が――
え、ちょっと待て、これどんな反応すればいいんだ。戸惑いと喜びがないまぜになって、どんな表情を浮かべていいかよくわからない。挙動不審にきょろきょろするすることしかできなかった。え、あの、ちょっと光莉さん――
「で、でも、まだまだなんだからね! さっきみたいな甘っちょろいこといってるようじゃ、これ以上うまくなんてなれないんだから!」
「ああそうだ、それがいつものおまえだよな! あーよかった安心したー!」
いつものように真っ赤になって怒鳴ってくる同い年にひどく安堵した。そうだそうだ、こうでなくては調子が狂う。
そんなことをしていると、いつの間にかどこかに行って帰ってきた涼子が、イベント用の発泡スチロールのお椀を持って話しかけてきた。
「ねえねえ、豚汁おいしいよー」
暖房があるとはいえ冬場の体育館だ。涼子の持つ湯気を立てる豚汁は、とてもおいしそうに見える。「どこで売ってるんだ?」と訊くと、彼女は適当な方向を指差す。
「えーと、たぶんあっち」
「うーんと。こっちだよ涼子ちゃん」
「あれ?」
咲耶に逆方向を指差されて、涼子が首をかしげた。苦笑してそちらに向かうと、地元の婦人会で作った豚汁、という看板が見えてくる。大鍋いっぱいに作られたそれをもらって、みんなで食べる。
熱い。具だくさんの豚汁を、はふはふしながら口に入れる。豚肉と人参とゴボウと大根とこんにゃくと――特に変わった材料でもなく、普通の味付けの、ただの豚汁だ。
けど、おいしかった。
「そうそう、俺こんな風に吹きたいんだ」
「ちょっと意味わかんないんだけど」
食べながら言った一言に、光莉が同じく食べながら反応する。やっぱりわかってはくれなかったが――彼女もはふはふしながらそれを食べるのを見て、ま、いいかと鍵太郎は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます