第24話 スーパーマリオシスターズ

 音楽室に、マリンバの音がこだまする。

 放課後の音楽室は吹奏楽部の牙城だ。そこは生徒たちが真面目に、芸術に打ち込んでいる場所――と、言いたいところだが。

 真面目に楽しんでいる双子たちが叩くのは、ゲーム音楽だった。



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「マリオだ……」


 先輩たちが会議で抜けて、下級生しかいない音楽室で。

 湊鍵太郎みなとけんたろうは呆然とつぶやいた。目の前では同じ一年生の越戸ゆかりとみのりが、大きな木琴、マリンバを叩いている。

 曲は言わずと知れた『スーパーマリオブラザーズ』。

 普段先輩に厳しく指導されている鬱憤晴らしにと、二人が買ってきた楽譜だ。

 こんな風に遊んでいたら、姉妹曰く『鬼軍曹』の先輩、貝島優かいじまゆうにどやされかねない。

 ましてや、もう老人ホームで演奏する本番の日も迫ってきている。ここはちゃんと練習しろよ、と鍵太郎としては言わなければならない場面だ。

 けど――生き生きとマリンバを弾くゆかりとみのりを見たら、そんな気は失せてしまった。

 身近な曲だったのもある。こんなのもできるんだと感心してしまったのもある。

 そしてそれ以上に、そんな二人をもう少し見ていたくなったのだ。

 二人とも初心者なせいか、ところどころ間違いはするが――それでも、曲は進んでいく。

 それに、すげーなーと感心した。初めて会ったときも、この二人は曲当てクイズで正解している。

 曲の雰囲気もそのセンスのおかげか、ちゃんとマリオになっていた。


「二人ともさ、昔なんか、楽器やってたのか?」


 思わず、そんな質問が出る。予想通りというか、二人は叩きながら「そうだよー」と答えた。


「むかーしね、ピアノは習ってた」

「でも飽きたから、辞めちゃったの」

「だからマリンバもこんなに弾けるのか……」


 鍵盤楽器という意味では同じである。しかしそれだけではたぶん、こんなに弾けるようにはならないはずだ。あの鬼軍曹の指導の賜物なのかもしれない。


「楽器紹介のときさ、打楽器はいろんな楽器ができるって聞いて、これなら飽きない! って思ったんだ」

「それに、チームワークが重要って言ってたもん。わたしたちの一心同体舐めんなよー」


 双子ならではというか、確かにこの二人はもう、ちょっとキモいくらい通じ合っている。そういう意味で彼女たちに打楽器は合っているのだろう。

 快調に進んでいたマリオの、場面が変わる。


「……おい、土管に入ったぞ」


 地下ステージの曲に切り替わった。まさかこう来るとは思っていなかった。予想外の展開に笑いが漏れる。

 これが楽譜を作った者の狙いだ。この双子が興味をそそられたのもわかる。

 こういう遊び心っていいよなあ、と鍵太郎は思った。先日の銭形平次に関しても、聞いていて遊びというか、余裕が感じられた。まだまだ初心者の自分にそんな余裕はないけれど、こんな風にできたらいいなあと思う。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 またも曲調が変化し、ものすごいテンポが上がって――無敵状態になった。


「星取った!?」

「行くぞおらおらー!」

「先輩なんて怖くないぞー!」


 ギミックに溢れずぎじゃないかこの曲。宣言通り向かうところ敵なしといった様子で、二人は快調に飛ばしていく。

 鍵盤の上をマレットが荒れ狂い、所狭しと叩き回る。

 いつまでその効果が続くのかわからないが、その先には――



###



「……楽しいマリオだな」


 隣の部屋から聞こえてくるそれに、顧問の本町瑞枝ほんまちみずえがつぶやいた。

 音楽準備室では今、部活の役員たちによる会議が行われている。

 夏の大会、吹奏楽コンクールの曲を決める重要な会議だ。ああでもないこうでもないと頭を悩ませていた先輩たちは、聞こえてきた場違いなゲーム音楽にそれぞれ反応を見せた。


「あーいーつーらぁっ! 真面目に練習しろって、あれほど言ったのに!」


 まず憤慨したのは、ゆかりとみのりの直接の先輩である打楽器二年生、貝島優かいじまゆうだ。『鬼軍曹』と二人に呼ばれている彼女は、演奏を止めるためにズンズンと歩いて音楽室へ戻ろうとする。


「まあまあ貝島。オレは好きだぜ、ああいうの」

「先輩がそうやって、甘やかすからいけないんですっ!」


 優に噛み付かれたのは、先輩であるはずの三年生の打楽器パートリーダー、滝田聡司たきたさとし

 この吹奏楽部の男子部員は、鍵太郎と聡司の二人だけになる。少数派ゆえに聡司の立場は非常に弱い。

 しかし年下のちっちゃい後輩に怒られつつも、聡司は変わらず後輩を止める。


「って言ってもさ。真面目なばっかじゃつまんねえだろ? そうやってクソ真面目に考えてるからこそ、今この話し合いは行き詰ってるんだし」

「う……」


 実際、コンクールの曲選びは行き詰っていた。人数やら個々の希望やらの制約が多すぎて、どの曲にしたらいいのかアイデアが出なくなっていたのだ。

 それに気付いた何人かが、苦笑する。

 停滞していた空気に風穴を開けたのは意外にも、聞こえてきた遊びの音だった。ちょっと肩の力を抜くだけで、固まっていたものがほぐれ、思考が前へと進み出す。


「さーて、じゃあチョコっと調べちゃいますかねー」


 人を食ったように言ってスマートフォンを取り出したのは、サックスの三年生、美原慶みはらけいだった。

 彼女は細い足を組んで、検索を始める。「なにを調べるの?」とクラリネットのリーダー、扇玲奈おうぎれなが覗き込む。慶は鼻歌でも歌いそうな調子で応じた。


「打楽器四人でできそうな曲を、ネットで探してみマス。ここで黙ってそれぞれ考えるより、具体的に曲聞きながら話し合った方が何倍も建設的ッスわー」

「先生の前で堂々と携帯出すなよー」

「スミマセーン、今だけ勘弁してくださーい」


 顧問の先生の独り言のような声に、こちらも独り言のように返す慶。彼女は画面を何度かスクロールし――そのままぴたりと、動きを止めた。


「なになに? なんかいい曲あった?」


 トランペットの豊浦奏恵とようらかなえが、目をキラキラさせて訊く。慶はゆっくりと顔を上げ、全員に告げた。



「……『シンフォニア・ノビリッシマ』」



「ジェイガーの代表作! 盲点だったわ」

「……それって、打楽器四人でできるんですか?」


 優の疑うような眼差しを受け、慶は画面を見ながら答える。


「あんなデカい曲のクセに……打楽器四人しかいらないそうです。ティンパニ、小太鼓スネア大太鼓バスドラとシンバル」

「ほんとですか!?」

「コレ、見てください」


 そう言って慶が差し出した画面には、その通りの内容が記されていた。

 そう、これは。


「打楽器四人でできて」

「有名で」

「各楽器に目立つ部分があって」

「難しい曲……」


 ごくり。みなが唾を飲み込む。

 本当に、今まで挙げた条件に、合致する曲があった。「ま、まずは、試しに聴いてみまショウか」と、慶が再び携帯を操作する。

 すぐに、参考音源になっている演奏が始まった。


「――!」


 重厚かつ温かいサウンド。

 初めから全力で響かせにいっている。「……いいな」とつぶやいたのはトロンボーンの永田陸ながたりくだ。

 中低音から始まるイントロは、その音域を受け持つ彼女として、揺さぶられるものがあるらしい。

 そして曲は、速いテンポへと移り変わる。

 同じメロディーが、各楽器へと受け継がれていく。その奥でシビアにテンポを刻み続ける楽器たち。

 めまぐるしいそれに、「掛け合いが難しそうね」とホルンの海道由貴かいどうゆきが言った。これはメロディーの受け渡しを、淀みなく迅速に行わなければならない。

 リレーのバトンの受け渡しのようなものだ。わずかなロスも許されないだろう。


「クラリネットきついわね、こりゃ……」


 休みなくうねる自分の楽器の音に、クラリネットの玲奈が苦笑した。呼吸と指の限界に挑んでいるような音階スケール。彼女は聞きながら、指を軽く動かしていた。

 そして曲を聞き終わったときに全員の頭をよぎったのは、「自分たちにできるのか、これが……?」という当然の感想だった。

 特に三年生にとっては、これが最後の大会となる。その大切な最後を、この曲に賭けてしまってもいいのだろうか。

 決断を恐れる部員たちの中で、一人が口を開く。



「うん。でも、かっこいいよね。あたしやりたい」



 トランペットの奏恵だ。沈黙を切り裂いて飛び込んだ彼女を、全員が見る。


「かっこいい。理由はそれだけ。だって、できたらあたしたち――超かっこいいでしょ?」

「む……」


 単純なその理由に、他の部員がそれぞれ反応した。

 そんな中で、由貴がため息をつく。


「しゃあないわね。高音ばっかでホルンきつそうだけど……つきあうわよ」

「お。由貴ちょん話わかるー」


 まず一名の同意を得て、奏恵がはしゃぐ。慶も顎に手を当て考えながら、賛同した。


「途中のオーボエは、ソプラノサックスで代吹きですかね。いやハヤ、久方ぶりのソプラノです」

「ピッコロとフルートは持ち替えかなあ……練習しなくちゃ」

「りくちゃん、トロンボーンだいぶ早いメロディーありましたけど、大丈夫ですか?」

「問題ない。どんと来い」

「ははは、替え指みんなに教えなきゃ。ついていけないよ」


 次々と賛成の言葉があがっていく。眩しげにそれを見ていた聡司は、隣の後輩へと訊いた。


「だってさ。どうだ?」

「……もう多数決で決定でしょう。いまさら訊かないでください」


 相変わらずの優の態度に、聡司は「しょうがねえなあ」と笑いながら言う。


「嫌なら嫌で、オレが割って入るさ。リーダーだもん、そのくらいはしなきゃな」

「こんなときにリーダー面されても困ります」


 ぷいっと顔を背ける優。その背中に向かって、聡司は言葉を投げかけた。


「リーダーって言っても、ハリボテなのはよくわかってるよ。いろいろ苦労かけて、いつもごめんな。貝島」

「……」

「一緒にやろうぜ。太鼓はチームワークだ。おまえがいなきゃ始まらねえんだよ」

「む……。まったく……しょうがないですねえ」


 唇を尖らせながら、優が振り返る。それに「打楽器も賛成ー」と聡司が言った。そして部長で議長の春日美里かすがみさとが、「ではみなさん、この曲でいいですか?」と確認をする。

 「さんせーい!」「オッケーよ」「やりましょう」「さーて、いっちょやってやりますか」――と、口々に返ってきた言葉に笑って、美里はホワイトボードに曲名を書き込んだ。



「決まりです――『シンフォニア・ノビリッシマ』! 今年はこれでいきます!」



「また、古い曲を持ち出してきたなあ」


 顧問の本町がそれを受けて笑う。そのセリフに否定的な要素はなく、そこにはむしろ、懐かしむような響きがある。


「五十年前の曲だぞ。すげえもんだよなあ名曲って。未だに演奏されんだから――あ、ちなみにその曲、コンクールの全国大会でも何度か演奏されたことがあるからな。マジで難しいから気合い入れてかかれよ」

「全国……」


 いきなりはるか上の話を持ち出されて、部員たちが息を呑んだ。改めてとんでもない選択をしたということを自覚して、また恐れがぶりかえす。

 けれどもう――決めてしまった。

 覚悟して進むしかない。その意思が彼ら彼女らに沸き起こってきたのを見て、本町はうなずいた。


「よし、楽譜手配するか。コンクールの申込用紙も書いて――はっはあ、忙しくなってきたな!」


 そうだ、なかなか厳しい道だ。

 これはやはり――あいつを呼ぶしかないか。

 部員たちに内緒で進めていた計画を、実行するときがきたようだ。教師にあるまじき悪い顔で、本町は笑った。



###



「地上に戻ってきた!?」


 マリオが再び通常のテーマ曲に戻ったのを聞いて、鍵太郎は叫んだ。

 どこまでネタに溢れているのかこの楽譜。そう思っていると、「これで最後だー」「もうちょっとだー」と双子が言った。もう少しで、この楽しい曲も終わりらしい。

 そのときだ。



「あーなーたーたーち……。ちゃんと練習してなさいって、言いましたよねえ?」



 ぞっとする声音でもって、貝島優が帰ってきた。

 会議は終わったようだ。ゆかりとみのりが顔を青ざめさせる。


「鬼軍曹の帰還だ!?」

「まずい!? 逃げよう!」

「待ちなさい、同じ顔どもぉぉぉっ!?」


 マレットを放り出して、双子が逃げ出す。鬼軍曹が追いかける。

 それを眺めてから――鍵太郎はマリンバの前に立った。自分も少し遊んでみたくなったのだ。

 放り出してあるマレットを持って、間違えながらもゆっくり叩いていく。

 姉妹が叩かなかった最後の小節、それは――


「……あ、マリオ死んだ」


 やられたときの音だった。

 鍵太郎がそうつぶやくと同時に、双子は優に、襟首を掴まれていた。

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