第70話 雨だれ


 わッと悲鳴をあげて、大樹は階段をふみはずした。とっさに手すりをつかんだので、二、三段すべり落ちただけですんだが、あげぶたが大きな音をたてて閉じる。あやうく頭を強打するところだ。


「ビックリしたなぁ」


 やっぱり、野生動物が出入りしてるらしい。妖精の正体は、そういう動物なんだろう。


 考えていると、足音が近づいてくる。

 階段の下から、文緒の顔がのぞいた。おびえている。


「だ……誰か、そこにいるの?」


 声がふるえている。

 神経質な彼女をさらに怖がらせてしまったようだ。


「おれだよ。ごめん。ごめん」


 大樹の声が聞こえなかったのか、文緒はすぐに走って階下へ逃げだした。

 ため息をつきながら、大樹も階段をおりた。

 文緒を探して一階までもどった。

 文緒はキッチンでふるえていた。


「おどろかせたんだね。ごめん。どこで雨もりしてるのか調べてたんだ。たぶん、屋根裏のどっかだと思う。それに、イタチかなんかが屋根裏に入りこんでるみたいだ。懐中電灯がないと見えなくてさ」


 文緒の返事はない。

 ふるえながら泣いている。


 ポタン……。

 また、雨もりだ。


 ポタポタ……タタタ……。


 とつぜん、文緒が叫んだ。

「もうやめて! お願い! この音、気が狂いそう!」


 文緒の精神は限界のようだ。

 正直、文緒がここまでおびえるわけが、大樹にはわからない。

 これ以上、ほっとけない。

 大樹は懐中電灯と大工道具を持って、もう一度、屋根裏部屋にとってかえした。あげぶたをあげ、懐中電灯で照らす。古い家具が乱雑にならんでいる。とくに変わったようすはない。


 大樹は屋根裏部屋にあがり、天井にグルッと懐中電灯の光をむける。三角にとがった屋根の形そのままの天井。太い梁が何本も交差している。

 が、どこにも水のもれたシミはない。

 外の雨音はだんだん激しくなっていた。雨もりしているなら、これだけ降っていれば、雨滴がしみださないはずがない。


(おかしいな。雨もりじゃないのか?)


 もしかしたら、雨どいでもこわれているのかもしれない。そこから、しずくのたれる音が、なかにひびいてきてるのだろう。


 とにかく、これ以上、屋根裏部屋を調べてもムダだ。

 大樹は階段をおりようとした。

 そのとき、コトリと音がした。


(そうだっけ。動物が入りこんでるんだよな)


 音のしたほうに光をむける。

 大樹は息をのんだ。

 ネズミだ。それも一匹や二匹じゃない。たくさん、いる。ちょっと数えきれない。


 よく見るために、大樹は近づいていった。

 ネズミどもは何かをかじっているようだ。やっぱり動物の死骸か。だから、こんな匂いがするんだ。


 歩みよって、それを見た大樹は、思わず叫んだ。うわッと悲鳴をあげて、しりもちをついた。

 ネズミの群れがおどろいて、少しのあいだだけ動きを止める。


 たしかに、それはの死骸だ。

 人間だって、動物である。

 腐敗した肉のほとんどはネズミにかじられ、骨がのぞいていた。だから、顔はわからない。性別もわからない。

 それでも、人間だ。


(なんで死体が……こんなところに……)


 とつぜん、雷のごう音がとどろいた。

 明かりとりの窓をおおう雨戸のすきまから、青白い稲光が輝く。


 大樹は意味不明なことを叫びながら、階段をかけおりた。


(なんで……なんで……死体……)


 そういえば、あれはいつだった?

 文緒と二人で、何かとても重いものを屋根裏部屋に運んだような?


「いいか? おまえの親父は外国に仕事へ行ったんだ。わかったな?」


 あの日も激しい雷雨だった。


 ピチョン——

 ポタタ……タタタタタタタ……ポタポタ……。


(妖精なんかじゃない。親父の……霊なのか?)


 恐ろしくなって、大樹は自分の寝室にかけこんだ。

 その瞬間、すべてを思いだした。

 違う。親父の霊なんかじゃない。

 笑いだしたいような衝動が体をつらぬく。いや、つらぬいていったのは、文緒のかざしたナイフだ。


 そう。あの日も雨だった。

 大学時代につきあっていた彼女と再会したのは一年前だ。本気で結婚しようと思っていた。決して詐欺じゃない。あのときの彼女。


「いいの? お金持ちのお嬢さんと結婚するんでしょ?」

「いいよ。まだ結婚してるわけじゃない。それに文緒は、おれのやることには逆らえない」


 文緒の留守中に彼女を別荘につれこんで……それで……。


 ピチョン……ポタ、ポタ……。


(おれと彼女は文緒に殺された。命ごいするおれを、文緒は泣きわめきながら刺したっけ。何度も、何度も、しつこいほど)


 トン……トトト……。


 凄惨な死体が二つ、ベッドにころがっている。


 意識を失う瞬間、大樹が聞いたのは、自分の血が流れる音。しずくになり、床を打ち……。


 ポタ、ポタ……ツツツ……トン、トン。

 ポタタタタタタタタ——

 タン…………。

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