第44話 とあるパンデミック 2



 ある日を境に世界中が大変な病に侵されてしまった。

 それは、抗体子与こうたいしよ症候群という病気だ。子どもを持つ親はみんな死ぬという奇病である。


 この病についてテレビで見たとき、文緒は絶望した。

 文緒は一昨年、大学時代からの彼女と結婚し、娘も一人、生まれていた。

 つまり、この病気にかかれば、幼いわが子を残して、文緒と妻は死んでしまうことになる。

 しかも、世界中にあっというまに蔓延して、またたくまにパンデミックになった。いつ罹患してもおかしくない状態だ。


「なんてことだ。まだ赤ん坊なのに、おれたちが死んだら、この子も生きていけないじゃないか。誰に預けたらいいんだ? 大人はほとんど死んでしまうってことだろ?」


 とりみだす文緒に対して、妻は小声で何やらモゴモゴ言った。文緒以上にうろたえ、青ざめて。


 文緒だって怖いが、まだ特効薬やワクチンが開発されないと決まったわけではない。もしかしたらギリギリで助かる可能性だって残っている。

 文緒は希望をすてたくなかった。


「大丈夫だよ。今からうちの実家に帰ろう。会社も辞めて、治療薬ができるまで田舎にひきこもるんだ」


 能面のように蒼白なおもてで黙りこむ妻と娘をつれて、実家に帰った。実家は農家だ。米と野菜を作って自給自足していれば、特効薬が開発されるまではなんとか持ちこたえるだろう。


 そう思っていたのに、妻はまもなく抗体子与病にかかり死んでしまった。

 そうなると、もう芋づる式だ。

 文緒の両親も次々、バタバタと倒れた。都会から病気を持ちこんだことを、文緒は悔いた。


 山奥の家に自分と幼い娘だけが残された。

 きっと文緒ももうじき死ぬ。

 そのとき、この年端もいかぬわが子はどうなるのだろう。食べるものも見つけられず、朽ちていく大人たちの死体にかこまれ、つらく悲しい最期を迎えることになる。それならいっそ、苦しまないように文緒が殺してあげるほうがいいのだろうか。


 文緒は数日、迷った。

 だが、まだ病の兆候は表れない。

 まだ行ける、まだ行けるとズルズル日伸ばしにしているうちに、一年が経った。


(おかしい。この病気、感染力がものすごく高いはずなんだけどな)


 世界中の大人がどんどん死んでいく。

 文緒の知りあいも元の職場の人たちも、学生時代の友人も、既婚者はみんなだ。

 だが、それでも文緒はいっこうに死なない。


 なぜだろう?

 大学で親しかったMなんて、結婚もしてないのに死んだ……。


 文緒はあることに気づきそうになったが、あえてその考えを抑えつけた。

 妻は死ぬ前「あなたは死なないから」と言った気がしたが。

 娘の目元は誰かに似ていると、ずっと思っていたが。

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