第42話 竹藪



 雨後の筍ということわざがある。あるいは破竹の勢いといった慣用句。


 竹は短期間に勢いよく伸びる。

 地下には丈夫な根が張り、そこから新たな芽を出す。根の這うところ、どこまでも侵食していく。

 そういう特徴が目につくからだ。


 文緒が暮らしている実家の近くには、うっそうと茂る竹林があった。きちんと手入れされた美しい竹林ではない。野放図に伸びちらかす暗い竹藪たけやぶだ。

 あまりにも竹が密生し、人間がふみいるのも一苦労だった。


 実家のまわりまでかなり迫っていることは、前々からわかっていたが、最近、その侵食の速度がことに増している。裏庭のコンクリートを地下から乗りこえて、ついに文緒の家の敷地のなかにまで生えてくるようになった。


 どうも困ったことだ。

 この調子で家のなかにまで根っこが伸びてきたら大変なことになる。

 文緒は筍が生えるとすぐに掘りだして、その下にある根を切った。春先だし時期のものだからしかたないが、こんなに伸びたら人の注目をあびてしまう。食べられる種類ではないらしく、今のところ、わざわざ掘りおこして採取しようとする人はいないが。


 しかし、このごろ竹林のなかに不審な人影が見えると言って、近所の人たちが気味悪がりだした。


「奥さん。聞きました? この前、そこの竹藪で赤いワンピースを着た女の人が立っていたのを見たって、Aさんが」

「あら、そう? わたしは竹藪のなかから真っ白い指が出てきて、手招きされたって話、聞きましたよ」

「イヤねぇ。なんだか薄気味悪いわねぇ」

「物騒だし、ちゃんと管理してくれるよう、市役所に要望出したほうがいいんじゃないかって、町内会長さんと話してたんですよ」

「そうねぇ」


 なんていうウワサ話を小耳に挟んだ。


 どうしよう、困ったなと文緒は思う。

 もしも竹林を伐採なんてことになったら、が見つかってしまう。


 しょうがない。

 安易に竹藪のなかにすてて埋めたけど、町の人たちに見つかる前に回収しておいたほうがいい。

 あれが見つかったら、ひどい騒ぎになる。


 文緒はその夜、スコップとノコギリを持って、竹林に忍びこんだ。

 密集した竹が行く手を阻む。

 進んでいくだけで、かなりの時間と労力をついやした。


 三十分近くも歩きまわって、やっとそれらしい場所があった。ニョキニョキと生えてきた筍のせいで、目印に三つ置いた小石はまったく見あたらなくなっていた。でも、地面に掘りかえしたあとがあるし、なんとなく見おぼえがあった。


 埋めたのはこのへんだったなと見当をつけて、文緒は地面にスコップをさした。だが、周囲に密生する竹の頑丈な根っこのせいか、土の表面でガチンと固い感触があり、まったくスコップが入らない。これじゃ掘るどころではない。


 しかたなく周囲のジャマな竹を切ることにした。竹の根元にノコギリの歯をあて、前後にゆする。


 すると、すぐに歯は入った。が、その切り口から、とつぜん何かがとびだしてきた。ネチャッとしたものが顔にかかった。


 なんだろうか、これは。


 いったん、食いこんだノコギリを竹から外す。切りくちのあたりをのぞこうとしたとき、ビチャビチャビチャッと音を立てて、何かが噴きだしてきた。赤黒い。

 血だ。

 竹のなかから血がほとばしっている。


 文緒は悲鳴をあげて逃げだした。


 それからというもの、夜になると、文緒の枕元に赤いワンピースの女が立つようになった。

 竹は家中あちこちからニョキニョキ頭を出し、畳や床板をやぶってつきだしてくる。


(勘弁してくれ。たのむ。消えてくれ)


 文緒は頭から布団をかぶり、朝が来るのを待つしかなかった。



 *


 ひと月後。

 竹藪が伐採され、なかから白骨化した死体が見つかった。

 四十代の男の骨だ。

 文緒の職場のパワハラの上司である。


「辻浦文緒。殺人容疑で逮捕する」


 ある日、玄関をあけると、令状を持った刑事が数人、立っていた。

 文緒はホッと吐息をついた。

 これでやっと、あの赤いワンピースの女から解放される。


「……おれが殺したのは、あんたじゃないんだ」


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