第32話 順序数 積の定義

「早速積の定義、教えてよ」

「ちょっと待って、思い出す」

藍は渡されたペンを持ったまま、ノートを10秒ほど眺めて、深呼吸して書き始める。


α,β∈ONに対して、α×β∈ONを次のように定義する。

ord(A,<)=α

ord(B,≪)=β

となるように、A,<,B,≪を決め、A×B上の関係◁を

x◁y:↔

∀x,y∈A×B(

x[R]<y[R]

(x[R]=y[R]∧x[L]≪y[L])

)

とする。このとき、

α×β:=ord(A×B,◁)


「どう?第一印象は」

「正直これは…」

湾は少し迷ったあと、勇気を振り絞って言う。


「自分で読み解けそう」

「なら私のするのことは、湾がもし間違ったときに修正するだけに徹しよう。自分で順序数の積の森へ飛び込め!」

藍も楽しそうに言う。


「ちょっと待って。やっぱり無理だ。α×βを定義したいのに、文中にA×Bが、さも当然のごとく出てきている」

「それは失礼。順序数の積の記号と集合の直積の記号の違いだ。違う記号だけど、ほとんど同一視できるので、同じ記号を使ってしまっている。まず、集合の直積を定義しよう」


A,Bを集合とする。このときAとBの直積をA×Bと書き、次のように定義する

A×B:=

{(x,y)|x∈A∧y∈B}


「さて、具体例は作れる?」

「作れる、と思う。こんなのはどう?」


{あ,い,う}×{a,b}


「いいね」

「えっと、ここで、A={あ,い,う}、B={a,b}だから、xの候補が「あ」「い」「う」、yの候補が"a" "b"だね」

「よし。いいぞ」

「たとえばxに「あ」、yに"a"を選んだら、こうだね」


(あ,a)


「そういうこと。それで?」

「えっと、こういうの全部、だっけ」

「そう。集合の内包的定義は、こう」


{f(x)|φ(x)}:

∀t(t∈{f(x)|φ(x)}↔(t=f(x)∧φ(x)))


「なるほど、なるほど。論理式を満たすようなxは全て集合の要素なわけだね」

「湾!」

突然藍は声を張る。

「何事!?」

「湾は、今、未来への贈り物を受け取ったんだよ」

「え?」

「覚えてない?昔、といっても先週だけど、全く同じ式を見て、湾はわかる訳が無いと言ったこと」

「そうだっけ」

藍はノートを以前のノートを開き、湾に見せる。


集合の内包的定義

{f(x)|φ(x)}を次のように定義する。

∀t(t∈{f(x)|φ(x)}↔(t=f(x)∧φ(x)))

  きっと簡単に読めるようになってるはず


「あ…」

「脱線しすぎたので元に戻るよ。この具体例におけるAとBの直積は?」

「えーと、うん、こうだね」


A={あ,い,う}とB={a,b}の直積

A×B={(あ,a),(い,a),(う,a),(あ,b),(い,b),(う,b)}


「よし、そうだけど、こう書いても綺麗だ」

藍はその下に書く。


A×B=

{

(あ,a),(い,a),(う,a)

(あ,b),(い,b),(う,b)

}


「もし、これが長方形に見えたなら、横{あ,い,う}×縦{a,b}にも見えるかな」

「なるほど、たしかに「積」だね」

「直積は別にAとBに同じ要素があっても良いし、どちらか空集合でもいいし、無限に要素があってもいい。そして、非常に普遍的で有用な概念だ」

「同じ要素があってもいいのか。ってことは、2と3の直積はこうだね」


4×3=

{

(0,0),(1,0),(2,0),(3,0)

(0,1),(1,1),(2,1),(3,1)

(0,2),(1,2),(2,2),(3,2)

}


「えっと、丸カッコは順序対だから、(1,0)と(0,1)は異なるものってことだね」

「その通り。ただし注意が必要で、これは順序数の積の4×3ではない」

「うん、これは見た感じそうだね」

「ねえ、湾」

藍は急に甘えた声を出す。

「え、なになに」

「一つ言わせて…」

「えっ怖い」

「今書いたように、横×縦に並べたそのまんまの順序を入れたのが、順序数の積だ」

「というと?」

「もう一度定義を確認するよ」


α,β∈ONに対して、α×β∈ONを次のように定義する。

ord(A,<)=α

ord(B,≪)=β

となるように、A,<,B,≪を決め、A×B上の関係◁を

x◁y:↔

∀x,y∈A×B(

x[R]<y[R]

(x[R]=y[R]∧x[L]≪y[R])

)

とする。このとき、

α×β:=ord(A×B,◁)


「さて、4×3の例でいうと、こうなる。和のときと違って今回は共通部分を持っていいのでそのまま使おう」


A={0,1,2,3}

Aの大小関係:∈

B={0,1,2}

Bの大小関係:∈


「これは当然こうなる」


ord(A,∈)=4

ord(B,∈)=3


「そして、こう」


A×B上の関係◁を

x◁y:↔

∀x,y∈A×B(

x[R]∈y[R]

(x[R]=y[R]∧x[L]∈y[L])

)

とする。


「これは、右をまず比べる。ここで大小関係が決まればよし。決まらなければ左を比べる。たとえばこう」


(2,1)◁(0,2)

右項が大きければ大きい


(2,1)◁(3,1)

右項が等しければ、左項で比較


「なるほど、右から見て次は左…これも辞書式順序か!ってことは全部並べるとこうだね」

湾は書きなぐるように書く。


(0,0)◁(1,0)◁(2,0)◁(3,0)◁(0,1)◁(1,1)◁(2,1)◁(3,1)◁(0,2)◁(1,2)◁(2,2)◁(3,2)


「完璧。これは逆から比べる辞書式順序。ということは、こう書いても同じだね」


x◁y:↔

(x[R]≠y[R]→x[R]∈y[R])

(x[R]=y[R]→x[L]∈y[L])


「あれ?これ和のときと同じ?」

「そう。二つの論理式が等しいことは示せるよ」


(x[R]≠y[R]→x[R]∈y[R])∧(x[R]=y[R]→x[L]∈y[L])

↔(→の変形)

(¬(x[R]≠y[R])∨x[R]∈y[R])∧(¬x[R]=y[R]∨x[L]∈y[L])

↔(≠の変形)

(x[R]=y[R]∨x[R]∈y[R])∧(x[R]≠y[R]∨x[L]∈y[L])

↔(分配法則)

(x[R]=y[R]∧(x[R]≠y[R]∨x[L]∈y[L]))∨(x[R]∈y[R]∧(x[R]≠y[R]∨x[L]∈y[L]))

↔(分配法則)

(x[R]=y[R]∧x[R]≠y[R])∨(x[R]=y[R]∧x[L]∈y[L])∨((x[R]∈y[R]∧x[R]≠y[R])∨(x[R]∈y[R]∧x[L]∈y[L]))

↔(「(P∧¬P)∨」の削除)

(x[R]=y[R]∧x[L]∈y[L])∨((x[R]∈y[R]∧x[R]≠y[R])∨(x[R]∈y[R]∧x[L]∈y[L]))

↔(正則性公理)

(x[R]=y[R]∧x[L]∈y[L])∨(x[R]∈y[R]∨(x[R]∈y[R]∧x[L]∈y[L]))

↔(P∨(P∧Q)↔P)

(x[R]=y[R]∧x[L]∈y[L])∨x[R]∈y[R]

↔(順序の入れ替え)

x[R]∈y[R]

(x[R]=y[R]∧x[L]∈y[L])


「うひょー!」

湾は変な声を出す。

「まって、正則性公理ってなに?」

「今度厳密にやりたいけど、自身は自身の要素でない、ということは無条件に認めてよい」

「なるほど…。まあパズルみたいに変形して同じ式に持っていけるってことだね」

「そう。とにかくこれで、和のときの論理式を流用して良いことがわかった。さて、4×3の順序数は簡単かな?」

「さすがにね」


α×β:=ord(A×B,◁)


「これで、α=A=4、β=B=3で、こうなる」


G((0,0))=0

G((1,0))=1

G((2,0))=2

G((3,0))=3

G((0,1))=4

G((1,1))=5

G((2,1))=6

G((3,1))=7

G((0,2))=8

G((1,2))=9

G((2,2))=10

G((3,2))=11


ord(A×B,◁)=12


「完璧だね!」

藍は手を叩いて喜ぶ。

「さすがに、自然数の積と一致してくれるね。でも、こんな定義ってことは、ω以上の順序数にも積が定義できてるんだよね」

「もちろん!超限順序数の積はロマンがあるぞ。さっそく例題だ」


第一問

2×ω


第二問

(ω+1)×(ω+1)


第三問

(ω×2+3)×(ω+1)


「わお」

「どう?答えは想像できるかな?」

「いや、全然…。なんか和のときよりも圧倒的に難しい、というか、普通に教科書みたいな問題になったね?」

「定義通りに計算すれば、怖いことなど無いよ。さて、湾はできるかな?」


藍はいたずらをするときの目つきで湾を見て、そのままウインクをした。

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