第137話 伝えたかったこと
私の声に、フランツが足を止める。
私が何をしようとしているのかを理解した彼は、私を待ってくれている。でも、手にあるロングソードには魔力を纏ったまま。亡霊が再び襲いかかってきたらすぐに倒せるようにだろう。
亡霊は部屋の隅で泣き崩れていた。そこに、さきほどまで現王を襲おうとしていた姿はまるでない。とても弱々しく、いまにも消えてしまいそうに思えた。
枢密院の方々も、何人かは扉の外に避難してしまったけれど、まだ残った数人は亡霊とそこに歩み寄っていく私を見ている。何をしようとしているのか、気になって様子をうかがっているのだろう。
私はその亡霊の前まで行くと、絨毯に両膝をついた。
そしてその亡霊に……ううん、彼に言葉をかける。
「王弟フレデリック様、ですよね……?」
しかし、亡霊はうずくまって小刻みに肩をふるわせるだけで何の反応も返ってこない。
構わず私は、あの呪いの言葉を口にした。
「ときは満ちた。いまこそ悲願を遂げるとき。我の死を合図に、王都は亡者の喜びに溢れるだろう。……あなたの悲願とは何だったのでしょう。王都を襲って混乱に陥れることだったのでしょうか」
エリックさんは王弟のことを相当研究して歌劇にしたてあげていた。あの歌劇に出てくる王弟は、亡霊を操る恐ろしい
そんな人が、死してなお望むことが王都や王城で亡霊を操って一泡吹かせることだったのか。とても、そうは思えなかった。
「もしかして、あなたは探してたんじゃないですか。愛する人の面影や、彼女が残したものを求めていたんじゃないですか。彼女と過ごしたこの王都に再び戻ってきたかったんじゃないですか」
ひとつひとつゆっくりと確かめるように言葉にする。
それにあわせて、亡霊の震えもしだいにおさまっていく。
「あなたが彼女と過ごした庭は、いまもそのまま残っています。そして、彼女は、亡くなったあとも、いまもあの庭であなたが戻ってくるのを待っているんです」
私は手に握っていたフランツの絵を開いて、彼の前に掲げた。
それは、あの『前王妃の庭』を描いた絵だった。やわらかく陽光の差し込む穏やかで美しい庭。その片隅に、右半分だけに名前の刻まれた墓石が描かれている。まるでいつか戻ってくる誰かを待つかのように、そのときまで静かに佇んでいるかのようだった。
亡霊は顔を覆っていたしわしわの手を引き剥がして、ゆっくりと顔を上げる。そこには幾年月を重ねた老人の顔があったが、よく見れば現王に似たおもかげがある。
亡霊は枯れ木のような右手を伸ばして絵に触れると、その墓石を愛しげになでた。
深く皺の刻まれた青白い顔。落ちくぼんだ瞳に、一瞬、確かな光が宿ったように思えた。
彼の唇がわずかに動く。消え入りそうな音だったけれど、『カテリーナ』とその唇が名を呼んだのが聞こえた。
そのとき、私の左肩に誰かがぽんと手を置いた。ふりあおぐと、現王がすぐそばに立っていた。現王は苦しそうに王弟を見つめていた。
「……フレデリック。すまなかった。ワシがカテリーナを妃にすることを受け入れなければあんなことにはならかったろうと、あのときの選択を悔やまない日はない。でもいまさらいくら悔やんだとしても、いくら謝罪したとしても、もう何も変わりはしない。いまはせめて、お前がカテリーナとともに安らかな眠りにつくことを心から望んでいる」
現王の謝罪の言葉。
王弟は、ぐっと表情を歪ませた。そこにどんな感情が宿っているのかはうかがい知ることはできないけれど、その瞳から一筋の雫が床に落ちる。
あっと思ったときにはもう、王弟の亡霊は空気に溶け込むようにして消えてしまっていた。
ただ床に残った一雫だけが、彼がたしかにいまここに存在していていたことを表していた。
彼は最後に何を思ったのだろう。これでよかったんだろうか。
わからない。わからないけど、せめて彼の希望を少しでも叶えることができていたら良いなと、そう思って鼻の奥がつんとなった。
「感謝する」
静かにそう言って、現王がもう一度私の肩をポンと叩く。
「感謝と言えば、フランツ・ハノーヴァー。其方にも助けられた。ワシはまた今回もハノーヴァーに助けられたようだな」
今回も? と一瞬疑問に思ったけれど、五十年前にもフランツのお祖父様が将軍として王弟を捕らえ反対派のクーデーターを抑えたことを言っているのだとすぐに思い出した。
「いえ、騎士として王をお守りするのは当然のことですから」
フランツはロングソードを腰に挿すと、片膝をつく最敬礼で現王に応える。
私も足を下げて腰を頭を低くするレディの最敬礼をする。現王が「かしこまらなくともよい」と手で合図したので、私とフランツは顔をあげた。
現王は長い髭を手でさすりながら、フランツに言う。
「本来なら勲章でたたえるところだが、其方はもうワシの勲章など余るほど持っておるだろ。何か褒美に望むモノがあれば言うがよい」
「え……褒美、ですか……」
フランツは戸惑って目を彷徨わせたが、その緑の瞳がじっと私を見つめた。
え、ど、どうしたの? 私も目を離せず数秒見つめ合ったあと、フランツが真剣な表情で現王に向き直る。
「それでしたら、陛下。お願いがあります」
「何でも言うがよい」
「私、フランツ・ハノーヴァーと、カエデ・クボタ・トゥーリの結婚を認めてほしいのです」
なんと、現王に直接結婚の許しを請うたのだ。
たしかに貴族は身分に関わる問題が起きたとき、一族だけでは解決できないときは枢密院に判断を任せることもあるとは聞いたことがあるけれど、まさか現王に直接申し出るなんて!
現王は、それを聞いて笑い出した。そして、私に柔らかな視線を向ける。
「カエデ・クボタ・トゥーリも、それでいいのだな」
え? え? え? まさかこんなところで結婚の話が出てくるなんて思ってもみなかったから、まだ頭がついていかない。でも、いいかどうかなんて、そんなの決まってる。私は顔が熱くなるのを感じながらなんとか、
「はいっ」
と、はっきり応えた。
現王は穏やかな笑みをたたえて大きく頷くと、今度は枢密院室に残っていた一人の男性に視線を向ける。
「ジェラルド。好き合うもの同士を家の事情などで離すべきではないとワシは考えるが、其方はいかがかな」
現王の言葉には、王弟とのことが念頭にあることはその場にいるものなら誰でも理解していただろう。
ジェラルド・ハノーヴァー。フランツのお父様は苦笑を浮かべると、ジャケットの胸元から二枚の封筒を取り出す。
それは、フランツとエリックさんがお父様に渡した絶縁状だった。
彼はその二枚の封筒を勢いよく破る。
「本来なら、今夜二人には伝えるつもりでいました。亡霊騒ぎで機を逃してしまったが、次男フランツとカエデの婚姻を正式に認めるつもりでいます。長男エリックとターニャ・ワーズワースの婚姻も同様に」
「だそうだ。二人とも」
え……ということは、フランツと……。
お父様に言われたことの意味をかみしめる前に、突然誰かに抱きしめられた。
すぐ間近に金色の髪が見える。
「フランツ……」
「よかった、カエデ。やっといっしょになれる」
彼のくぐもった声が耳元で聞こえた。
「うん」
これでやっと騎士団の外でも堂々と二人で一緒にいられるね。じわじわと嬉しさがこみ上げてきて彼の背中に手を回すと、さらにぎゅっと強く抱きしめられた。
と、そこに咳払いが聞こえる。咳払いをしたのはクロード。
え……あ、そうだ! うっかり嬉しさのあまり抱き合っちゃったけど私たち現王の御前だった! しかもフランツのお父様もいらっしゃるのに!
慌てて離れた私たちを見て、お父様は「お前たちは……」と苦々しげに呟き、現王はさも愉快というように白髭を揺らして笑い出した。
「よいよい。それより、カエデ・クボタ・トゥーリとクロード・ロンブラント、ベルナード・コルネリウス。其方たちも、このタペストリーに施されていた呪詛にいち早く気づきこうしてワシたちを助けてくれた。其方たちにも褒美を授けようと考えているのだが、何か希望はあるか。カエデは、フランツ・ハノーヴァーと同様に結婚に関することでいいのかな」
私とクロードは、顔を見合わせる。
褒美を授けよう、と突然言われても何も思いつかない。一番の願いは、先ほどフランツが願い出てくれたし……。
そこでふと、気になることがあった。
「あの……差し出がましいことだとは思うのですが……」
口ごもると現王は、構わないと促した。
「なんでもいい。言ってみなさい」
「はい。……王弟のフレデリック様の何かご由来のものを『前王妃の庭』にある墓石のところに一緒に安置することはできないのでしょうか……」
あのお墓がどうなるのかが、ずっと気になっていた。王弟のご遺体は東方のどこかに埋葬されたと聞いたけれど、せめてなにか形見のようなものでも一緒に埋葬することができたらいいのに。
すると、現王はフムと頷くと窓の外を目を向ける。
夜が終わり、庭をやわらかな朝日が包み込みんでいるのが見える。さっきまで亡霊が跋扈していたのが嘘のように穏やかな朝の光景が広がっていた。
「其方の願いだからというわけではないが、いずれは、フレデリックの遺体をこちらに移そうとおもう。あれから五十年の年月が経ったのだ。弟のことを反逆者と誹るものも、もうあまりおらぬ。これでようやく、五十年前の内乱の決着をつけられることだろう」
そう語る現王の瞳はやはりどこか悲しげだった。
ちなみにそのあとクロードは現王に何の褒美を願ったかというと、なんとモノではなくて王立図書館の禁書庫にいつでも入れる権利がほしいって申し出たんだ。それはあっさりと認められて、クロードは好きなだけ禁書庫の本を読めると嬉しそうだった。
ベルナードは勲章をもらうんだって。はじめての勲章なんだって、とても誇らしげにしていた。
こうして長かった夜は終わり、亡霊事件は終結したのだった。
その後、行方不明になっていた東方騎士団の団員さんは、王都の外れにある安宿で見つかった。彼は自分が扱った東方布から亡霊たちが湧き出すのを見て、怖くなって逃げだしたのだそうだ。前回東方に遠征に出た際に貴族たちから預かった工芸品の購入資金を賭博ですってしまっていたとかで、途方にくれていたところに破格の値段で東方布を売ってやっても良いという話を持ちかけられ、飛びついたというのがことの顛末だった。
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