第128話 決意

 舞台の上で演じられた今日の公演は、以前に増して素晴らしかった。


 今回の脚本もエリックさんが書いたものとかで、ロミオとジュリエットを彷彿とするようなお話だったんだ。でもラストは悲劇ではなくて、二人が幸せになるハッピーエンドだったのが良かったなぁ。


「今回のもすごく面白かったです! 二人がどうなるのかハラハラしっぱなしで、特に最後の愛を語る台詞、よかったなぁ……」


 幕が下りたあと、余韻にひたりながら感想を伝えると、エリックさんはニコリとしつつも、


「ありがとう。……でも、僕自身は恋愛経験全然なくて、小説や他の劇を見て知識として身につけただけなんだよね……」


 と寂しそうに笑った。


 う……。たしかに恋愛のお話を書くお仕事なのに実経験が少ないのは不安になるかもしれないけど、エリックさんの場合は最近まで病気で自室に籠もりっぱなしだったんだから、仕方ないんじゃないかなぁ。


 でも、フランツのお兄さんだけあって美形だし、そのうえ物腰もやわらかくて仕草ひとつひとつがとても洗練されている彼だもの。


 体調が良くなってからはよく社交界にも顔を出しているらしく、すでにたくさんのお嬢さんが言い寄ってきてるとも噂に聞いた。私との婚約話をお父様が公表しているにもかかわらず、だよ?


 お相手なんてよりどりみどりで、すぐ見つかるんじゃないかな。


 なんて思いつつも、舞台の幕が開いている間中、ずっと彼は熱い視線でターニャさんのことを目で追っていた。彼にはターニャさん以外のことは見えてすらいないんだろうね。


 エリックさんは私とフランツを、まぶしそうな目で見つめてくる。


「だからさ。フランツとカエデさんの関係が僕には羨ましくてたまらないよ。お互いに信頼し合っているのが端から見ていてもよくわかるから」


「俺たち、出会ったのが騎士団の遠征だったからさ。なんか男女の関係というより、どうしても同僚や友達としての関係の方が強いというか……」


 フランツが言うのに合わせて、私もウンウンと頷いた。


 そうなんだ。付き合うよりも先に、集団でとはいえ一緒に生活していたから、付き合い始めのわくわくドキドキした感じももちろんあるんだけど、それよりも一緒にいると落ち着ける安心感の方が強い気がしている。


「理想的な関係だと思うよ、本当に」


「じゃあさ、兄さんもターニャさんと遠征に出てみればいいんじゃない?」


 なんて、フランツが突然、妙なことを言い出した。


 いやいやいや。劇団の女優さん兼経営者のターニャさんと、貴族のエリックさんが遠征に出るってどういう状況なのよ。と、突っ込みそうになったけれど。


 エリックさんは顎に手をあてて、じっと考え込む。


「……それもいいかもしれない。ワーズワース劇団はいまはやっていないんだけど、他の劇団は地方の村や街を巡って公演してまわることもあるんだ」


 へぇ、ツアーみたいなことをやっているところもあるんだ。地方にいけばいくほど娯楽と言えるものは少なくなるから、きっとどこへいっても歓迎されそう。


 とそこに、コンコンとドアがノックされる。


 挨拶回りに来たターニャさんだ! 私はすぐに椅子から立ち上がると、ドアを開けた。


 ドアの向こうには、煌びやかなドレスに身を包んだターニャさんが立っていた。

 前回の公演で着ていたつぎはぎだらけの色あせたドレスではなく、鮮烈な赤が美しいおろしたてのドレスが彼女の美しさによく映えていた。


 彼女は潤んだ目で私のことを見つめてきたかと思うと、我慢できないといった様子で勢いよく私に抱きつてくる。


 ふわりと華やぐ、花の香りが鼻をくすぐった。


「ありがとう。カエデ。ありがとう。もうずっと先のチケットまで完売したの。まさかこんなにたくさんの人が劇場に来てくれる日が来るなんて、まるで夢みたい」


 それ以上は感極まってしまったようで、ただ私のことをぎゅっと抱きしめていた。


「いいえ。私はただアイデアを出しただけです。あのプレートの募集を街の人たちに広く呼びかけられたのは、友人のベルナードや、エリックさんが各方面に働きかけてくれたおかげですし」


 ベルナードはこの場にいないので置いておくとして、こんなにたくさんの人を集められたのはエリックさんの助力も大きいのだ。ベルナードのおかげで集められたお客さんと、エリックさんのおかげで集められたお客さんは半々くらいというところ。


 ターニャさんは私から身体を離すと、エリックさんに向き直る。


 そして、たっぷり数秒見つめ合ったあと、ターニャさんは深く足を折って胸に手をあて丁寧にお辞儀をした。


「ありがとう、エリック。私、あなたに酷いことばかり言っていたのに……」


 そう言って申し訳なさそうに顔をあげるターニャさんに、エリックさんは微笑みを返す。


「いや。僕の方こそ、貴方の劇場に対する思いを考えず一方的に金銭支援を申し込むばかりで今になると恥ずかしいよ。カエデさんのおかげで、ただお金を渡すばかりが支援ではないんだということを思い知らされた。それで……レディ、少しお手をお借りしてもいいだろうか」


 エリックさんも背筋を伸ばして胸に手をあて丁寧にお辞儀をすると、優雅な仕草で右手を差し出す。


「え、ええ……」


 エリックさんの差し出した手にターニャさんは躊躇いがちに自分の手を重ねた。


「ありがとう」


 にっこりそう言うと、エリックさんは彼女を貴賓席の壁際につれていく。貴賓席の場合、座席として布張りの椅子が使われているため椅子自体に木製プレートを貼るのはやめたんだ。そのかわり、壁際に額に入れて飾る形にしてある。


 もちろんここに木製プレートを飾る権利は一番高い値段設定にしてあるんだ。


 エリックさんは一枚のプレートの前に彼女を案内した。


 そこですかさず、フランツが足下の袋に入れていたものを取り出すと、すすっとエリックさんに近づいてそれを手渡した。ここまでは打ち合わせ通り。


 でも、ターニャさんがどう反応するかは未知数だった。これから何が起るのか、期待と心配で私はドキドキが鳴り止まなくて、そばに戻ってきたフランツの手をぎゅっと握った。彼も、私を安心させるように小さく微笑んだあと、それでもやっぱり心配そうに緑の瞳をお兄さんたちに向ける。


 エリックさんが手にしていたのは、真っ赤な冬薔薇の花束だった。


 彼はターニャさんの前で片膝をつくと、その花束を彼女に差し出す。


 木製プレートには『ワーズワース劇場はこれからも演劇の歴史を牽引しつづけ、ターニャ・ワーズワースは多くの人に愛され続けることだろう』と刻まれている。


 そのプレートの下でエリックさんは真摯にターニャさんを見つめて言った。


「でも、君を一番に愛し続けるのは僕でありたい。ターニャ。僕と、結婚してくれませんか」


 私のいる位置からでは、ターニャさんの背中しか見えない。いま彼女がどんな表情をしているのかを見ることはできないけれど、それでも彼女の背中が小刻みに震えているのはわかった。


「僕はいままでただ流されるまま、親の言うとおりに生きてきた。君のことも、心のどこかで諦めなきゃいけないんだって想い続けていた。でも、父にカエデさんとの結婚を許してもらおうと何度拒絶されても怒鳴られても引かないフランツのことを見ていて、僕もこのままじゃ駄目だと思ったんだ」


 フランツ、そんなに何度もお父様に私との結婚の許しを得ようと頑張ってくれていたんだ。思わず彼を見上げると、フランツは小さく笑って照れくさそうにしていた。

 エリックさんの言葉は続く。


「このプレート代は、僕が脚本や小説を書いて得たお金で出したものなんだ。金や地位なんてなくても、工夫次第でどんなことでもできるってカエデさんが教えてくれた。ターニャ。君が貴族とつながりができるのが困るというのなら、僕はハノーヴァー家の地位を捨てたって構わない。ただ一人の人間として、これからも君を愛し続けることを許してほしい」


 エリックさんの言葉が終わっても、ターニャさんはじっと動かなかった。


 数秒の間があってから、ターニャさんは大事な宝物を受け取るように両手で彼の手を包み込むようにして花束を受け取った。


「……馬鹿」


 そう言いながらも、彼女の声は湿り気を帯びて少し震えていた。でも、それ以上言葉にならなかったようで、彼女は花束をもったままエリックさんに両手を広げて抱きつく。エリックさんも彼女を優しく抱き留めた。彼女は泣いているようだった。


 ようやく二人の想いが重なったみたい。ううん、きっとずっと前から重なっていたんだよね。身分の差とか劇団の経営とかそういうものが邪魔してて素直に想いを確認できなかっただけで。


 幸せそうに抱き合う二人を見ていると、私まで心の中がほっこりしてくる。


 つないだままだったフランツの手を強く握ると、彼もぎゅっと握り返してくれた。その大きな手を通して伝わってくるぬくもりが嬉しくて、彼と視線を合わせると微笑みあった。


 そのとき、フランツが私を愛しげに見つめたあと、すっと視線をエリックさんに向ける。その顔にはいままであった朗らかさが影を潜め、いつになく引き締められていた。その瞳には決意の色が見える。


「エリック。一つ提案があるんだけど、いいかな」


 フランツの声に、エリックさんが顔をあげる。


「提案?」


「うん。父さんは、兄さんとカエデの結婚に固執してる。兄さんの体調がよくなった以上、父さんがハノーヴァー家の跡取りに兄さんを指名するのは間違いないだろうし、今回のワーズワース劇場の成功を耳にしたら父さんはますますカエデと兄さんをくっつけたがるだろう。だからさ」


 ぎゅっと、私の手を掴むフランツの手に力がこもる。


「俺は、父さんに絶縁状を出そうと思う。俺がハノーヴァー家の人間じゃなくなれば、誰と結婚しようと文句を言われる筋合いはなくなる。カエデにもこれ以上いらぬ心配をかけなくてもすむ。だからさ、兄さんもターニャさんと一緒になりたいんだったら、同時に絶縁状を出さないか?」


 それは兄弟で伯爵家から離反するという提案だった。

 エリックさんはフランツを静かに見つめたあと、すっと私に視線を移す。


「カエデさんは、それでもいいの?」


 問われて、私は小さく頷いた。


「はい。私はフランツと一緒にいれさせすれば、それでいいので」


 そうか、とエリックさんは優しく微笑むと、胸の中にいるターニャさんに視線を戻す。彼女はエリックさんの腕の中で薔薇のように笑みをこぼした。


 それで決まりだった。


 その数日後、フランツとエリックさんは二人で同時に絶縁状をお父様に提出した。お父様は始終しかめっつらでぴくりとも表情を崩さなかったという。


 その絶縁状をお父様が受け入れれば、二人は晴れてハノーヴァー家とも貴族社会とも無縁の人間になれる。一方、ある程度の期間を過ぎてもお父様が絶縁状を受けるかどうかの判断を下さない場合は、現王が直轄している枢密院に提出することができるのだそうだ。そこで正式に認められれば、お父様がどれだけ反対しようともハノーヴァー家から絶縁することができるのだという。


 お父様がどういう判断を下すのか、私はただフランツからの返事を待つしかない。


 落ち着かない気持ちで日々を過ごしていたけれど、このごろは冬の寒さがしだいに落ち着き、少しずつ春めいてきつつあった。


 そろそろ西方騎士団は次の遠征に向けて準備をはじめる時期だ。私も金庫番としてあれこれ発注したり用意したり段取りしたりすることも多く、あっという間に時間は過ぎていった。

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