第120話 なんでそうなるの!?


 ハノーヴァー家へ招待されたあと、二週間ほどは何事もなくすぎていった。


 あのあと特にフランツのお父様から連絡はなかったし、フランツに聞いても何も聞いてないという。


 どうにか気に入られていてほしいな。そして、フランツとの結婚を認めてくれたらいいな。そう心の中で願いながら、日々の仕事をこなしていた。


 そんな秋も深まるある日のこと。

 朝から降っていた冷たい雨が次第に本降りになり、サブリナ様の屋敷に帰ってきて夕飯を終えたころには土砂降りに変わっていた。


 自室に戻っても、雨が屋根を打つ音がひっきりなしに聞こえている。

 明日には止んでいるといいな。そんなことを思いながら、ベッドに入ろうとしたときだった。


 雨音に混じって、激しく地面を蹴って走る馬の脚音が聞こえた気がした。


 毎日騎士団本部にいるから、馬の脚音はしょっちゅう聞いている。だから、聞き間違えるはずもない。


 でも、なんでこんな時間に? と思って窓の外に目をやると、玄関扉の両側に夜でも掲げられているランタンの淡い明かりの中へ、白い馬の姿が飛び込んできたのが見えた。


 それを見た瞬間、ベッドにおいていたカーディガンを着て、ネグリジェ姿だったことも忘れて部屋の外へと走り出していた。


 白い馬に乗ってこの屋敷にくる人間を私は一人しか知らない。

 瞬間的にフランツだと思った。でも、こんな大雨が降りしきる夜になぜ?


 嫌な予感しかしなくて、心臓がやけに大きく鳴るのを感じながら廊下を走り、階段を駆け下りた。


 玄関ホールの扉を開けて外に出ると、玄関のヒサシの下で屋敷の人が応対している最中だった。


 白い馬の手綱を持って、フード付きの外套を着て立つその人は、やっぱりフランツだ。


「フランツ! どうしたの?」


 雨の中をよほど急いできたのだろう。フランツの金色の髪は雨に濡れている。思わず手を伸ばしてその頬に触れると、ひんやりと冷たかった。


 愛しげに彼は目を細めると、「カエデ、ごめん。こんな時間に」と申し訳なさそうに言う。


「と、とりあえず、屋敷に入って。今、暖かいお茶の用意をしてもらうから」


 そう言って彼を玄関の中に入れたのだけど、彼は扉を入ったところで足を止めた。


「ごめん、カエデ。お茶はいいよ。こんな夜更けに長居するわけにはいかない。ここで話だけ聞いてほしい」


 彼はずっと視線をうつむかせている。


 執事さんに拭くものを持ってきてもらうよう頼んだあと、彼に向き直る。彼が風邪を引いてしまわないか心配だった。


「どうしたの? 話なら、明日また騎士団本部でできるじゃない」


「……あそこじゃ、ゆっくり二人で話す時間はなかなかとれないから。カエデ」


 彼の緑の目がまっすぐ私を見つめる。


「ごめん……。今夜、父さんが社交の場で勝手に公表したんだ。『ハノーヴァー家長男エリック・ハノーヴァーとカエデ・クボタが婚約することになった』って」


「え……」


 一瞬、いや、何秒たっても、彼が何を言っているのか理解できなかった。


 エリック・ハノーヴァーと、カエデ・クボタが婚約??? フランツ・ハノーヴァーじゃなくて? え? どういうこと? なんでそうなるの?


「父さんは、カエデのことがすごく気に入ったんだと思う。ハノーヴァー家に入れたがったんだ。でも、気に入らない婚外子の俺じゃなくて、やがて商会を継ぐことになるかもしれないエリックに嫁がせたがった。……だから、強引に話を進めようとしている」


 開いた口が、比喩ではなく本当に塞がらなかった。


 フランツのお父様に気に入られたらいいなって思ったし、あのハノーヴァーの屋敷での食事会で仕事の話をしているときは好印象だったかもとは感じていた。


 でもまさか、こんなことになるなんて……。


「え、エリックさんは何て言ってるの……?」


 ゆるゆるとフランツは頭を横に振る。


「わからない。今夜は屋敷にいなかったから。……兄さん、カエデの言ったことをすぐに試したんだ。そしたら、本当にそれから嘘みたいに発作がやんだ。それが、父さんを動かす決定打になったみたいだ」


「そんな……」


 エリックさんが元気になったのは純粋に嬉しいけれど、それがまさかこんな結果に結びつくだなんて……。


 唖然としすぎてそれ以上声も出ないでいると、玄関ホールの奥からひとつの足音が近寄ってくる。

 それが誰だかわかっていたので、私は泣きそうな顔で振り返る。


 振り返るとそこにいたのは、サブリナ様だった。


 彼女は両手を広げて、私を優しく抱きしめてくれた。サブリナ様の手はとてもあたたかくて、身も心も冷え切りそうだった身体がほわんと温かさに包まれるようだった。


「あらあら、あなたもこんなに冷え切って」


 サブリナ様は私を離すと、今度はフランツの頬に両手を充てるとその手に小さな光が灯る。


「寒かったでしょう。ひとまず身体をあたためておいたわ」


「ありがとうございます。サブリナ様」


「話は、悪いと思ったけれどドアの向こうで聞かせてもらっていたの。本人たちの了承もなく勝手に話を進めようとするだなんて、ジェラルドにも困ったものね」


 ジェラルドとはフランツのお父様の名前だ。


 サブリナ様は小さくため息をつくと、強い意思のこもった瞳で私たち二人を見て励ましてくれた。


「大丈夫よ。そうジェラルドの思い通りにことは進まないわ。でも、そうなってくるともう、二人だけでどうにかなる問題ではなくなってくるわね。カエデの養子縁組の手続きを早急に進めるようにしましょう。そして、トゥーリ家からその婚約に異議を公表させていただくわ。フランツ・ハノーヴァーとの婚約なら認めるけれど、エリック・ハノーヴァーとの婚約を認めるつもりはない、って」


「ありがとうございます」


 いまにも泣きそうになっている私の背をサブリナ様は撫でながら優しく微笑む。


「いいえ。可愛い娘を、悲しませるわけにはいかないもの。それにフランツ。これはもう家同士の問題だから、あまり事を荒げてはだめよ。あなたの立場が悪くなってしまうわ」


 サブリナ様の言葉に、フランツは悔しそうにしながらも頷く。


「父への説得は続けます。俺の話なんか聞いてくれるかわからないけど、それでも……もう逃げるわけにはいかないから。ただ、ひとまずハノーヴァー家の屋敷から離れます」


「そうやってジェラルドへ抗議の意志を示すってことね」


「はい」


「そうね。いまは、それくらいしか公に意志を示す方法はないものね……。きっと、一連の話は数日中には貴族中に知れ渡るでしょうから」


 それまで二人の話を黙って聞いていた私だったけれど、一つ心配なことがあってつい口を挟む。


「屋敷を離れるって、どこにいくの……? この屋敷に来るの?」


 それなら大歓迎だけど。でも、フランツは弱く苦笑を浮かべる。


「そうできたら最高だけど……いまそれをすると、たぶん余計話をややこしくするし、サブリナ様にもこれ以上ご迷惑かけるわけにもいかない」


 ……そっか。これはもう家と家の問題だから、トゥーリ子爵家がハノーヴァー伯爵家の子息を匿ったみたいになって事が余計に大きくなってしまうのか。


「とりあえず、騎士団の寮にいることにするよ」


「それがいいわね。家の問題というなら、騎士団はゲルハルトの侯爵家とアイザックの公爵家の影響が強いから、ジェラルドも何も言えないでしょう」


 フランツ、騎士団の寮に入るんだ。寮には、クロードやテオたちもいるからそういう意味でも安心だよね。それに騎士団本部に行けば、いままで通り毎日会えるんだし。


 それでも、エリックさんとの婚約を強引に進められそうになっているというショックが大きすぎて落ち込んでいると、フランツが頭を寄せて頬同士をくっつけてくれる。


 そのまま抱きつきたかったけれど、たぶんフランツがそうしないのは全身ずぶ濡れなのを気を遣っているから。それがわかっていたから、我慢していた。


「きっとなんとかなるよ。なんとかならなくても……なんとかする。カエデと一緒じゃない未来なんて、俺、考えられない」


 こくんと私も頷いた。


「……うん。信じてるから」


「ありがとう」


 それまで強ばっていたフランツの表情も少し緩むと、私の頬に軽く唇で触れた。


「じゃあ、また騎士団本部で」


「うんっ。またね」


 言葉を交わしたあと、彼は再びフードをかぶって玄関から去って行った。


 ラーゴの脚音が遠くなって、やがて聞こえなくなると急に心細くなってくる。

 そんな私の手をサブリナ様のあたたかく小さな手が包んでくれた。


「大丈夫。大丈夫よ。あなたたち二人なら」


 私は何も言えず、ただ溢れる涙を手の甲で拭うしかできなかった。

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