第94話 新しい生活
みんなに別れを告げたあと、私はサブリナ様を迎えに来た馬車で彼女の王都の別邸へと案内された。馬車といってもいままで私たちが乗っていた荷馬車とは違って、ドアがついた個室のようなタイプのもの。壁面には細かな木彫りの模様が施されていて、中に置かれた対面式の長椅子はビロードのような質感なの。ふわふわしてて、なんだか少し落ち着かない。
窓から見える王都の街並みは、今まで見たどの街よりも家や人が多くて、とても活気がありそうだった。落ち着いたら散策してみようかな。
王城からしばらく馬車で走って着いたサブリナ様の別邸は、私には充分すぎるほどのお屋敷だった。
サブリナ様のあとに続いて御者さんに手を支えてもらって馬車から降りると、屋敷の前にはメイドさんや執事の方々がずらっと並んでこちらに頭を下げていた。
「おかえりなさいませ。奥方様、カエデ様」
「長らく留守にしましたね。みな、変りはないですか?」
優雅に微笑まれるサブリナ様は、どこからどう見ても貴族の奥方様。
そう、馬車の中で教えてもらったんだけど、サブリナ様の一族は子爵の位を持つ貴族なのだそう。他にも、騎士団の団員さんたちには貴族の身分を持つ人が結構多いんだって。フランツの家が伯爵家だったのは知っていたけど、遠征中は身分に関係なくみんなで大焚き火を囲んで同じご飯を食べていたから、そういう違いを意識することはなかったものね。
居並ぶ使用人の皆さんに圧倒されながらも、サブリナ様について屋敷に入る。正面玄関の扉を抜けるとそこは天井の高いホールになっていて、奥にはゆるやかにカーブを描く階段があった。天井には大きなシャンデリアがさがっていて、つい見とれてしまう。
「カエデを部屋に案内してあげて」
「はい。さぁ、こちらへ」
「は、はいっ。今行きます!」
執事の人に案内してもらって階段を上ると、彼は廊下を少し行ったところにある部屋のドアを恭しく開けてくれる。
「こちらがカエデ様の部屋になります。どうぞ、旅の疲れをお癒しください。夕食の時間になりましたらお呼びに参ります」
「あ、ありがとうございます」
ぎこちなく挨拶を返すと、彼はもう一度深くお辞儀をして去っていった。
その部屋は、私が東京で住んでいた部屋の三倍はありそうな広さで、奥には私が三人くらい寝れそうな程のこれまた大きなベッドがある。
そんな広い部屋のどこに居ていいのかわからなくて、とりあえずベッドに腰かけ、そのままポスっと仰向けになった。
すっかり慣れてしまっていた騎士団の野外生活から、急に貴族のお嬢様のような生活へと周りの景色が百八十度切り替わってしまって、なんだか気持ちがついていかない。夢を見ているようで、現実感もあまりなかった。
左手を上に掲げると、フランツにもらったブレスレットがしゃらりと揺れる。
フランツ、今頃どうしてるんだろう。
西方騎士団の人たちは一週間休みをもらった後は、今度は王城での勤めを半年間果たすんだって。私が次に彼らに会えるのは、いつなんだろうね。もしかしてもう、このまま一生会えないのかな。
早くも遠征が懐かしくなりはじめていて、少し鼻の奥がつんとなった。
でも、こんなベッドに横になるのはここの世界に来てから初めてのことで、数か月ぶりのふかふかな心地よさに身を委ねていたら、いつの間にか意識が途切れてそのまま眠りに落ちてしまった。
トロトロと微睡んでいると、突然コンコンという音で意識を引き戻される。
え? なに?
ガバッと起き上がると、またコンコンという音。あ、これ、ドアを叩く音だ。
「はーい。いま行きます」
手櫛でサッと髪を整えると、部屋のドアを開けた。すると先ほど案内してくれたあの執事さんが、銀色の小さなトレーを手にもって立っている。トレーには封筒が二通のっていた。
「カエデ様。手紙が届きましたのでお持ちしました」
「手紙? ……ありがとうございます」
礼を言って手紙を受け取るとドアを閉める。
手紙? 私に手紙をくれるような知り合いなんていたっけ? と不思議に思いながら封筒をひっくり返すと、ひとつには見慣れた字でフランツ・ハノーヴァーと書かれていた。
フランツからの手紙だ! フランツだってさっき自分の家に戻ったばかりだろうに、早くない⁉
それはさらりとした手触りの見るからに高級そうな封筒で、表には「カエデ様」、裏にはフランツのサインとともに蝋で封がされ、そこにフランツの家の紋章がスタンプされている。
もう一通の封筒は差出人の名はなく、ただ蝋で封された上に豪奢な紋章のスタンプがされていた。
でもこれ、どうやって封筒を開ければいいんだろうね。ハサミとかないし。
部屋の中を探してみると、窓際に置かれた机の中にペーパーナイフを見つけた。まずはフランツからの封筒にペーパーナイフを差し入れて何とか開けてみる。中には一枚の便せんが折り畳まれて入っていた。透かしの入った美しい便せんに、見慣れた彼の字が並んでいるのがなんだか不思議な感じ。
そこには、三日後に妹のリーレシアちゃんが住んでいる別荘に遊びに行くから一緒に行こう、迎えに行くよという内容が書かれていた。
新しい環境に早くもホームシックを感じ始めてしまっていた私は、前と変わらない彼の字が無性にうれしくて胸に手紙をあててぎゅっと抱く。
三日後かぁ。楽しみだな。リーレシアちゃんに会えるのも楽しみだけど、それよりなにより、フランツにまた会えるのが嬉しかった。
もう一通の方は王城からの手紙のようで、五日後にある西方騎士団の人たちを慰労するパーティの招待状だった。ということは西方騎士団の人たちはみんな参加するのかな。そこでまた他のみんなと会えるかも! パーティ、しかも場所が王城というのに一抹の不安もあるけど、きっとサブリナ様も参加されるだろうから一緒に行けば大丈夫よね。
落ち込みかけていた気持ちが、楽しみな予定ができたことですっかり持ち上がってきた。と同時に、きゅーっとお腹も鳴る。さっきまで食欲なんて全然感じなかったのに、元気になったらすっかりお腹もすいてきた。
そのとき、再びドアがノックされ「カエデ様。夕食の支度が整いました。ダイニングルームへご案内いたします」という声が聞こえる。
「はーい!」
返した声は、すっかりいつもの声だった。
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