第65話 夜の追跡
その日の夜から早速、私たちの見張りは始まった。
真夜中でも私たちがキャンプを張っている中央には一日中大焚き火が焚かれているので明るい。でも、その明かりが届かなくなる外に一歩踏み出すと、そこは漆黒の闇が支配する世界。どこにムーアの木がそびえているのかすら判らないくらい、本当の闇がずっと果てしなく広がっていた。
一階の救護室にある簡易ベッドで横になっていた私は、「時間だぞ」というクロードの静かな声に起こされた。まだ眠っていたい気持ちを奮い立たせると、彼と見張りをバトンタッチする。
夏とはいえ森の中を渡る夜の風は少し肌にひんやりとするから、肩からかけたショールを胸元で抱くようにして、窓際に置いておいた椅子に腰掛ける。そして気づかれないようそっと外をうかがった。そうやってずっと外を眺めていると、しだいに空が白じんできて人々の起きだす気配がしてくる。そうなると、もう私の見張りも終わり。
その日の夜も、その次も、さらにその次も。
特に何も起こらず、夜は明けた。
このまま何も起こらないんじゃないか。もしかしたら、相手が夜に行動しているかもしれないという私たちの推測自体が外れていたんじゃないかとか、そんな不安が三人の間に湧きあがりつつあった五日目の夜。
半月が薄い光を地上へと静かに落とす夜に、それは起こった。
「カエデ。起きてくれ。カエデ」
クロードの声で、私は眠りから引き戻される。あれ? まだそんなに眠った感じがしないんだけど、もう私の番なのかな?
のろのろと目を擦りながらベッドから起き上がる。
外から漏れ入ってくる大焚き火の仄かな明かりが、彼のシルエットを浮かび上がらせていた。
「もう交代?」
足元に置いたブーツに足を入れて紐を結んでいると、
「違う。動いた」
いつになく緊張感をはらんだ短い言葉に、私はハッと顔を上げた。
動いた。何が? 聞くまでもない。ずっと私たちが見張っていたナッシュ副団長のことだ。
私はすぐにもう片方の足もブーツに突っ込んでキュッと紐を結ぶと、傍らに置いてあったショールを手に取って肩にかけながら立ち上がる。
「フランツは?」
「さっき起こした。いまは、馬を取りに行っている」
そうクロードが応えるのと、ムーアの前に二頭の馬が走り寄って止まったのは同時だった。外に出ると、ラーゴに乗ったフランツがいた。彼の手にはもう一頭の手綱も握られていて、私の後について出てきたクロードにその手綱を渡す。
そっか。こっちの茶色い肌に黒いタテガミのお馬さんはクロードの馬なんだ。
「カエデ。おいで」
フランツが私のそばにラーゴをつけると、手を差し出してきた。その手を握ると、すぐにグイっと強い力でラーゴの上に引っ張り上げられる。
フランツの前に跨ると、彼はラーゴをクロードの馬の横に寄せた。
「それで、どうやって追いかけるんだ。あの人はもうとっくに、闇の中どこかへ行ってしまったぞ」
クロードがそう尋ねると、フランツは腰に下げたポーチから布のようなものを取り出して、顔を上げたラーゴの鼻に近づけた。
ラーゴはそれを嗅ぐと、ぶるっと頭を震わせる。
フランツはその布を、クロードの馬の鼻にも近づけて嗅がせるとポーチの中へくしゃっと仕舞った。
「俺たちの相棒は、人間よりはるかに鼻が利くだろ? ムーアの入り口に仕掛けてあった硫黄にもしっかり足跡がついてた。今ならあの人の靴の裏についたこの匂いを辿って後を追える」
そっか。いまラーゴたちに嗅がせたのは、それと同じ硫黄の香りだったのね。
ラーゴとクロードの馬は、顔を上げると歯茎を見せた。どうやらあれが、馬が匂いを嗅ぐときの仕草みたい。そして二頭は同時に、同じ方向に顔を向ける。
「あっちだ」
馬たちは同時にタッタッタと軽快な足取りで進みだした。
大焚火の柔らかな明かりはあっという間に後ろに遠ざかっていく。キャンプ地を抜けてしまえば、辺りは闇が支配する森の中。
「こんなに暗くて大丈夫なの?」
後ろのフランツに尋ねると、すぐに声が返ってきた。
「馬は人間よりは夜目が利くけど、昼と同じように見えているわけじゃないから走らせないようにはしてる。それに、あっちに追いつきすぎて気づかれても困るしな」
フランツがすぐ後ろにいるのはわかるのに、私の眼には暗すぎて振り返っても彼の姿はまったく見えない。声がするときはいいけれど、黙ってしまうとこの闇の中にたった一人でいるような気持になってしまって、ちょっと怖い。
聞こえてくるのは、地面に落ちたムーアの葉を踏む馬の足音のみ。
ラーゴは時折立ち止まって確かめるような仕草をしたあと、また歩き出すというのを繰り返す。どこに向かっているんだろう。本当にこの先に、ナッシュ副団長はいるのかな。もしこの先であの人をみつけたら、そこに行方不明のお金があったら、私はどうすればいいんだろう。それとも、すべて自分の勘違いで勝手に疑っているだけだったらどうしよう。いらぬ疑いをかけたとなれば罰せられるのは私のほうかもしれない。
視界を黒に染められていると、そんな心配がどんどん降り積もってくる。
「もし……もしさ。全部間違いだったら、どうしよう。私の勘違いだったら……」
ついそんな言葉が口をついて漏れ出てしまった。こぼれる声は、思いのほかか細い。
いままで何度も何度も確かめて得た結論だったのに、それでもこんなときになって、いやこんなときだからなのか、揺らいでしまう。不安が大きくなって押しつぶされそうだった。
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