第63話 クッキーで買収?
いくら仲のいいフランツとクロード相手といっても、手ぶらで頼みごとをするのはちょっと気が引けたので、もう一回クッキーを焼いてみた。
今度は、レインと薬草採りをしているときに教えてもらって一緒に採った、アーモンドみたいなナッツも砕いて混ぜ込んだんだ。
出来上がったものを味見してみたら、ナッツの香ばしさが増してて美味しさ倍増。ついついどんどん手が進みそうになってしまう。いけないいけない。これはあげるために作ったんだから。
きれいな布に包むと、騎士さんたちのムーアへと持って行った。
そしてムーアの入り口に立って、足を止める。フランツの部屋があるのは、ここの最上階。十五階なのよね。それを登っていくのは、ちょっと……いや、かなり億劫。
どうにか彼に降りてきてもらえないかと、私はムーアの外から呼びかけてみた。
「フランツー! いるー!?」
すると、フランツではなく、一つ下の階の騎士さんが顔を出してこちらを見下ろしてくる。
「フランツに用事?」
「あ、はい! フランツにこれを渡そうと思って!」
焼きたてで、まだいい香りの漂っているクッキーの包みを掲げて見せる。
「それなら、窓のはじにあるソレを使うといいよ」
そう言って、その騎士さんは窓の脇を指さした。
なになに? よく見ると、最上階の窓から一階の地面まで窓枠沿いに二本のロープが垂れている。その一本には小さな籠がついていた。
「その籠に渡したいものを入れて、もう一本のロープを引っ張ってみな」
あ、そういうことね。
私は籠にクッキーの包みを入れると、何もついていない方のロープをぐいっと引っ張った。最上階まで届くほどに長いロープだから力がいるけど、全体重をかけてぶらさがるようにして引っ張ると籠はするすると登っていく。
ここからは高くてわからないけど、どうやら一番てっぺんに滑車みたいなものがついているみたい。なるほどなぁ。
って関心してたのもつかの間。
クッキーの入った籠は順調にムーアの壁を登っていったけれど、その途中途中でとおりすがる窓から他の騎士さんたちが顔をだしては、籠に手を伸ばして中身をつまんでいく。
「お、いい匂いすんな! いっこちょうだい!」
「僕も、一つもらっていい?」
なんて一応断ってくれてはいるものの、どんどん中身が減っていっちゃうよ?
でも彼らはお返しにと窓から手を伸ばしてロープを引っ張るのを手伝ってくれたから、私が引っ張らなくてもするすると籠は上に上っていった。
この籠の使い方を教えてくれた騎士のお兄さんも、ちゃっかりクッキーをつまんでるしね。
「もー。親切に教えてくれたの、自分も欲しかっただけなんでしょー」
「えへへ。だいじょうぶだいじょうぶ。フランツの分はちゃんと残ってるって。ほら、フランツ。カエデが呼んでるぞ」
彼は部屋の中から長い棒を持ってくると、窓から身を乗り出してフランツのいる階の窓をポンポンと叩いた。
すると、それに気づいて窓からフランツが顔を出す。
「何? お、カエデ! どうしたの?」
棒に気付いて窓の下を覗いたフランツの視線が、そのまま真下にいる私を捉えてにっこりと素敵な笑顔を向けてくれた。
「あのね。あとでちょっと、お願いしたいことがあって頼みに来たの! それは差し入れー!」
きっとだいぶ減っちゃってるけどね……。
ぶんぶんと下から手を振ってみると、フランツも大きく振り返してくれる。
「ありがとー! いま、剣の整備してたとこだったから、終わったらそっち行くよ!」
「クロードも一緒にいいかな!?」
「わかったー!」
そんなやりとりを交わして、小一時間後。
救護班の二階にある、いまはポーション倉庫なんかに使っている部屋に私とフランツ、それにクロードの三人で集まることになった。
部屋の真ん中に置かれている小テーブルに、副団長が書いたあの騎士団の
それを指し示しながらの私の説明を、フランツは怪訝そうに眉を寄せながら、クロードは顎に手をあてて興味深そうに時折相槌を打ちながら聞いていた。
「というわけで、私が調べただけでも実体のよくわからないお金の出し入れがいくつもあったの。怪しいのまで含めるともっとたくさんあるけれど、バッケンさんとか団の人に確実のお金の受け渡しがなかったことを確認できたのはこの八つ」
「ふむ。書き間違えたという可能性は、少ないように思うな」
と、クロードが唸る。
「そう? こんだけややこしい書類だったら、間違えてもおかしくなさそうだけど」
フランツが不思議そうに言うのを、クロードは苦笑交じりに返した。
「普通の人間だったらな。でも、相手はナッシュ副団長だ。あの人は、私と一緒で庶民の出。低い身分出身にもかかわらず、あの年齢で副団長まで上り詰められたのは王城から相当な実力が認められているのは間違いない。炎の魔法士としての能力の高さだけじゃなく、実務的な面でもな。実際、彼の作る書類はどれもきっちり間違いがないものばかりだ」
自身もきっちりした性格のクロードが言うんだから、相当なものよね。
「じゃあ、クロードも、副団長がわざとこの記帳をしたって考えているのね」
そう尋ねると、クロードは鋭さのある青い瞳でこちらを見つめてくる。
「『も』ということは、カエデ自身もそう思ってるのだろう?」
クロードにそう返されて、私は戸惑いながら彼から視線を外す。
まだ、自分の中で確信があるわけじゃないんだ。ナッシュ副団長がなぜそんなことをするのか。そのことの理由がまったくわからなかった。
冷静に考えれば、一番可能性としてあがってくるのは『横領』ということになる。
嘘のお金の出し入れを記帳して、その分のお金を騎士団の財布から抜き取ってしまう行為だ。でも、あんなに誠実で実直そうな副団長がそんなことをするとは到底信じられなかった。信じたく、なかった。
でも一方では、ゲルハルト団長が私に金庫番補佐の仕事を任せてくれたのは、実はこの横領を見つけるためだったんじゃないかとも思うんだ。団長も何かしらのことを察していたけれど、彼には会計的な知識が薄くて帳簿を見ても決定的な証拠を見つけられなかった。だから、私の力を頼りにしたんじゃないかしら。
いつの間にか、私は胸元をぎゅっと掴んでいた。ナッシュ副団長とゲルハルト団長。どちらを信じればいいんだろう。
そのとき、すぐ間近で人の気配がして、私は内に向かいそうになっていた意識を目の前に向ける。顔を上げると、すぐ近くにフランツの顔があった。彼のいつもにこやかな双眸が、いまは心配するように目元を下げている。
「大丈夫か?」
すぐ間近にある端正な顔に、ついドギマギしてしまう。顔が熱くなるのを感じながら、私は何度も頷いた。
すると、フランツは私の頭をぽんぽんと軽くなでると、ニッといつもの笑顔になった。
「それを掴んだってだけでも、大したもんだよ。いままで、王城の人間たちも、この団の人間も誰一人それに気づかなかったんだろ? それを見つけ出したんだからさ、すごいと思う。あとは、俺たちも一緒に手伝うよ。カエデ一人に背負わせたりなんかしないから」
フランツの申し出に、クロードも相槌をうつ。
「ああ。これは……事によっては危険が伴うかもしれん。もしかすると、あの炎の使い手と対峙することもありえるからな」
そして私たち三人はお互いに顔を見合わせて頷いた。
一人じゃない。そう思えると、いつのまにか責任とか役割とかそんな名前で抱え込んでしまっていた重さが軽くなったような心地だった。
「で、このあと、どうするつもりだったんだ?」
フランツに問われて私はずっと考えていたことを口にした。やりたいと思っていたけれど、自分一人ではできなかったこと。それは。
「行方のわからなくなっているお金を探したいの」
いま、この
じゃあ、実際には存在しなかった物の購入で使ったことになっているお金はどこに消えたんだろう? 実はどこかに隠してあるんじゃないか。そう思えてならなかったの。
「となると、副団長の行動範囲を調べてみるしかないよな」
フランツの言葉に、クロードもうなずく。
「そうだな。まずは身辺調査だ」
「うん」
その日、私たちは遅くまでその方法について話し合った。
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